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私の履歴書02枚目


平日は建設業のアルバイト、週末はプロレスの真似事と変わらない毎日を過ごしていた18歳のわし。

当時のPWCは横浜の屋台村で試合しとったっていう話は前回したんやけど、屋台村でプロレスするっていうのが当時、非常に珍しいらしくて、テレビの取材とかが増えてきたんや。

そんな中、あの伝説の番組が取材に来たんや。プロレスファンだったら知っとるやろ?『リングの魂』が屋台村に来たんやよ~!

南原清隆と石黒賢が来たんやで!

そこで組まれた試合が現グレート・タケル&わし対宇宙パワーwith KYワカマツの2対1のハンディキャップマッチ!

そこで大事件勃発や!

こういう試合ってセオリーからいくと、2人のほうは一人ずつ出てくるんやけど、わしらは相手の事お構い無しで自分らのやりたい様に2人同時に突っ掛かって行ったんや。

相手もビックリしたんやろな。こいつら何も分かってないなって。案の定、身体で分からされたわ…もう二人ともメタメタの半殺し状態やで…

わしは総合格闘技真っ青の四点ポジションでの顔面蹴りを喰らったり、張り手で鼓膜破かれて病院送りにされたんや。

幸い軽い脳震盪で済んだんやけど…

やっぱりプロレスって基礎からやらんとね…

新弟子は身体作りしたり、受け身覚えたり、そのほかいろいろやる事が山のようにあるんやけど、そういう事教えてくれる人が一人もおらんかってん。でも、一応リングに上がれるし…わしはそんな状況の中、しばらく屋台村でプロレスしとったんや。

東京に出て来て2ヶ月。わしの周りの環境が変わりつつあった。まずPWCと屋台村が喧嘩別れしてん。

代表の唯一の収入源を断たれた訳やね。

屋台村の社長も毎週20万円も払うのがしんどくなったんかなぁ…?

喧嘩別れと言っても代表が出て行って、わしとか若手数人とリングアナとレフェリーは高野拳磁抜きで、いつも通りに屋台村で普通に試合しとったわ。

実は菊タローと初めて会ったのはこの屋台村のリングやってん。わしが18歳、菊タローは17歳の時やけど、
彼はユニバーサルプロレスで練習生やっとって、身体も基礎も出来とったな。お互いスタートはこの屋台村のリングやったんやね。
しばらくして平日働いてた建設業をやめて、

その当時のわしの愛読書『フロム エー』で仕事を探して、警備員の仕事をやり始めた。わしは箱根の彫刻の森美術館でピカソ館の警備を担当してたんやで!

この仕事はホンマ楽しかったし、お金も貯まるし、いつからか週末もアルバイトに明け暮れたな、屋台村の試合もさぼってな…

当時一緒に住んでたTさんもアルバイトに明け暮れとった。上京して約5ヶ月、二人ともプロレスから離れてもうたんや。

それからいろいろあって東京を離れる事になるんや。

 元PWC営業部長Tさんの口車に乗せられて北海道に行くことになったんや。

向かった先は釧路。そして、そこで待ってたのはジョージ高野!

そう!高野拳磁のお兄さんや!元は一緒にPWCの一員としてやってたんやけど、喧嘩別れして東京を離れて釧路に住んどったんや。

早い話、この釧路でジョージ高野が団体を旗揚げして、わしも参加することになったって言うこっちゃ!

新天地で初心に戻って練習生から本格的にプロレスのトレーニングをするぞ!と、意気込んで向かった先は職安やった…

続く…‼︎