生き様インタビュー冨宅飛駈編が終わりました。いかがでしたでしょうか?僕はとても貴重な話が聞けて当時はインタビューするのが楽しみでした。

さてさて、それでは皆さんお待たせいたしました(え?待ってない?)

今日からお送りします、私の履歴書。
こちらも、4~5年にほど前に書いた記事なので時系列が多少違うかもしれませんがご了承ください(^-^)/

では、お楽しみください。
私の履歴書01枚目

そもそもなんでこの仕事をやろうと思ったのか?それは父親の影響やねぇ。

親父はようプロレス見とったんや。長州力が好きやったな。
わしも単純やったから親父がプロレス好きやったらプロレス好きになって、
阪神タイガース好きやったら阪神好きになってと、ようするにお父ちゃん子だったわけや。

昔はプロレスラーって大男ばっかりやったから自然とあきらめてたけど、わしが中学生くらいになった時かな?
結構小柄な選手がちらほら出てきたんやわ。同時にわしも、もしかしたらって強く思ったわけよ。
そこからもうそれ一色よ。 とりあえず県内でレスリングが一番強い学校探してそこに入学して、
毎日「絶対わしはプロレスラーになる」って頭の中そればっかやった。若いから純粋やったんやろね。
正直そんなにレスリングでは強い選手にはなれんかっなぁ。でもそれが自信になり、財産になっとるわ。
そんで高校3年の時の10月、平成5年やったかな?
まわりは就職試験とかやっとるときに、わしは夜行バスに乗って東京までプロレスのオーディション受けに行ったんや。
今はとっくに無い団体やけどな。PWCって団体知らんわなぁ?田舎者やったから分からんかったんやなぁ。
当時はとにかくどこでもとりあえずプロレスの業界に入れば何とかなるとすごい行き当たりばったり的な考えやったから、今考えたらある意味すごい選択してるな。
胡散臭いオーディションに一応合格して いざ東京へと意気込んで行ったわけやが、案の定、前途多難やったんや。

道場兼合宿所はすでに無く、わしはその団体の営業部長が借りている六畳一間のアパートに転がり込んだんや。
まあ、その方はTさんというんやけど、超アバウトな人でなあ…えらい振り回されたわ(汗)結局このオッサンと3~4年くらい一緒に住んどったかな?
そんでその頃。PWCは横浜鶴見区の屋台村で週末試合やっとったんやけど、当然、わしじゃそこに行くわな。
こっからが大変やったんよ~。

そこに初めて足を運んだ時、当時代表を務める高野俊二…拳磁かな?が挨拶もそこそこに開口一番で「今日、試合できるか?」やって!
わし目が点よ「そんなに簡単に試合やってええもんなん?もっと苦労してデビューするもんちゃうん?」と心の中で思ったが、数時間後にはリングに立っていた。
まさに駆けつけデビュー戦って感じかな?
普通あり得へんやろ?デビュー戦の相手は、今のザ グレートタケル選手やねん。まあ、数少ないわしの同期やねん。
試合は…よう覚えてないなぁ…まあ生きてただけでも奇跡やね!

そんで記念すべきデビュー戦を終えて一息ついてると 高野拳磁さんが「メイン俺とのタッグでもう一試合行けるか?」やって!
気がついたら、わし&高野拳磁対現グレートタケル&現サバイバル飛田組というドリームカードでメインイベントのリングに立ってたんや。
しかも最後はわしのトップロープからのアシスト付きのダイビングボディプレスで勝ってしまった!
いやぁ~見よう見まねでできるもんやねぇってそういう問題ちゃうか(笑)
という訳でいろいろあったけど平成6年4月、わしは駆けつけデビューを果たしたんや。

続く…!!