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生き様インタビュー冨宅飛駈編005話
 
くい:そうですね。冨宅さんがデビューされた頃っていうのは団体としてどうだったんですか?
 もう既に揉め事があったんですか?
(SWS:メガネスーパーがスポンサーとなり、実質オーナーを務めた。天龍源一郎をトップに新日本や全日本から選手を集め設立。
第2次UWFもメガネスーパーが参入した頃から前田日明と神新二社長が対立。リングにSWSの選手を上げるか否かで意見が分かれていた様子。)

冨宅:僕がデビューした90年8月にはまだ耳にはしていませんでしたが・・・
 でも10月の大阪城ホール大会後にはもう選手とフロントの間に修復不可能な程に埋められない溝がありました。
 その時期、前田さんは(試合の他にも団体運営等で多忙を極め)道場に顔を出すことはなかったんですけど、
 不意に道場に現れて、選手達を集めフロントの不正経理について追求するためミーティングがありました。
 船木さんと鈴木さんからは、藤原さんがメガネスーパーからの話しで?離脱の可能性を聞いていたのですが・・・
 当時僕は本当に下っ端で傍観するしかないような状態でしたね。

(以下・参照)
90年12月1日松本運動公園総合体育館にて選手は一致団結の万歳三唱、神社長は全選手の契約解除を発表し興行は停止。
 選手達により新団体設立かに思われたが、意見の対立もあり解散。以下の3団体に分裂することになる。
 ◆藤原組:藤原喜明を中心に、91年3月4日旗揚げ/92年12月には船木・鈴木・冨宅ら数名が離脱し、後93年9月21日にパンクラスを設立)
 ◆UWFインターナショナル:高田延彦をエースとして91年5月10日旗揚げ。
 ◆リングス:前田日明が91年5月11日旗揚げ。

くい:練習生の時は給料はどれくらいだったんですか?

冨宅:月3万ですね。お金を使うこともあまり無くて。衣食住は全部保障されてますし。
 たまに前田さんとか高田さんとかがコレでメシ食えって1万くれたり、船木さんは夜に毎日道場に来て練習してたんです。
 練習が終わるとゴハンに連れて行ってもらったりなど、最後は道場まで車で送って下さって。

くい:へぇー。車はいい車乗ってましたか?

冨宅:船木さんは、昔のZですね。(フェアレディZ・日産のスポーツカー)

くい:いいお給料だったんですね。

冨宅:そうだと思いますよ。僕が入門した当時にはまだ教習所に通われてて、免許取得までは毎日タクシーで移動されてましたよ。

くい:船木さん金持ちですね(笑)

冨宅:良くしていただきました。

くい:前田さんとかはどうだったんですか?イメージとしては怖そうですが(笑)
 
冨宅:何回か怒られたことはありますが、全然。

くい:山崎(一夫)さんとかはどうでしたか?

冨宅:普通に接して下さいましたね。何か身の回りのことをしても、ありがとうと言ってくれるような感じで。
 高田さんの付き人をしてたんですが、ある時高田さんのジャージを失くしてしまったことがあったんです。
 どこを探しても無くて・・・「本当にすいません、新しいの買ってきますので」と謝ったんですが
「別にいいから。これからそういうことのないように注意しろよ」と。本当は怒られる所なんですが優しかったですね。

くい:さすがですね。

冨宅:中野(龍雄、現:中野巽耀たつあき)さんは一番理不尽でしたね。
 挨拶ひとつしても、あちらの気分次第では目も合わせてくれないですし。
 機嫌が悪かったりしたらワケの分からないことで本当によく怒られました。

くい:冨宅さんがデビューしてからは、(90年8月13日、横浜アリーナで垣原賢人戦でデビュー。)給料はどれくらいだったんですか?

冨宅:月15万でしたね。

くい:デビューしたてでそれくらいいただけるのは凄いですよね。

冨宅:はい。でも、船木さんは冨宅とか垣原が50万くらい貰えるようにならないと夢ないよねって
 道場で皆で練習してる時にふと言ってましたね。
 15万でも全然、当時は衣食住が保障されてたのもあってお金をあまり使うことも無かったですし溜まって行く一方でしたね。

くい:はい。給料貰った期間はどれくらいだったんですか?

冨宅:結局、デビューしてからすぐ解散という感じで。(90年8月デビューだが、同年12月長野・松本大会で新生UWFは事実上の解散)
 解散してからも度々選手ミーティングがあり、(フロントの不正経理の件で)前田さんの弁護士の方の渋谷の事務所に皆呼ばれて行ってたんですよ。

くい:はい。

冨宅:12月はもう給料が出ないということで、前田さんが自分のお金をみんなに。
 月々貰ってた給料と同じ金額を選手全員に支払ってくれました。
 
くい:そうなんですか!?

冨宅:前田さんはお母さんにマンションを買う為に貯めてたお金を切り崩して選手の給料にあてて下さって。

くい:男気のある方ですね。

冨宅:はい。本当に良くして下さって。
 解散はしましたが、僕自身は本当に周りの方々には良くしていただいて。
 まだ雑用もあり(新生UWFの)事務所にも通ってたんです。神社長にも今後の生活の心配などしていただいて。

くい:はい。

冨宅:前田さんは昔から体の大きい人しか気に入ってくれなかったですけど
 神社長は、これからはもう普通の人が格闘技をやる時代だからという考え方を当時から持ってらして。

くい:先を見る力というか、備わってたんですね。先見の明が。

冨宅:そうですね。それはやっぱり凄いなと思いました。

くい:色んなこと取り入れてましたもんね。ぴあとかプレイガイドも有効に使ったりだとか
 会場ではレーザーライトで演出したりプロレスの興行としては斬新でした。

冨宅:そうやって色んな方面で動いて行かないとこれからの時代はやって行けないという考えをお持ちでしたから。

くい:やり手といえばやり手ですよね。

冨宅:そうですね。

冨宅:結局、新生UWFも終わって(90年12月長野・松本大会で新生UWFは事実上の解散)
給料は前田さんが自分のお金を選手に支払ってくれたんですが、会社からは最後にボーナスを貰ったんです。

くい:はい。ボーナスはどれくらいだったんですか?

冨宅:給料が15万だったんで、その3ヶ月分くらいはあったと思います。
 ビデオのロイヤリティも別にいただいて。僕は3試合しか出てないんですが、それでも50万くらいいただいて。

くい:給料と合わせると一気に100万くらい?それが口座に振り込まれてたんですか?

冨宅:はい。ビックリしましたね。

くい:すごく夢のある話ですね(笑)

冨宅:はい(笑)

つづく…!!