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生き様インタビュー冨宅飛駈編004話

冨宅:そうですね。直接は見られてなかったんですが、やり取りが聞こえる近くに父親が居たので
 あの時は親として辛かったと言ってましたね。
 その後、父親は帰阪して、僕はそのまますぐちゃんこ番の手伝いをしましたね。

冨宅:ちゃんこ番の手伝いが終わってから、夕食はゴハン5杯とちゃんこ5杯と。

くい:いきなりノルマから?

冨宅:はい。でも全然食べれたんですよ。食べて片付けしてから合宿所連れて行ってもらって。

くい:合宿所ってどういう所なんですか?

冨宅:めちゃくちゃボロボロのアパートで、道場から自転車で10分くらいですかね。
 その時は自転車が無かったんで、歩いたら道場から2、30分は掛かるんですけど。

くい:勿論、部屋には風呂やトイレが無いような?共同ですか?

冨宅:はい。

くい:そのアパートに若手とみんな住んでたんですか?

冨宅:出入り口は共有の一箇所なんですが中に階段があるつくりで各部屋がある感じで。
 当時は、下に鈴木(みのる)さんと垣原(賢人)さんと田村(潔司)さんとかが
 上には宮戸(成夫、現:宮戸 優光)さんや長井(弘和、現:長井満也)さんや僕が。

くい:えーー!!!そのボロボロのアパートにですか!?

冨宅:はい。僕は寝るところが無かったんで台所に布団を敷いて一日目は寝ました。
 僕の時は練習生が5人いたんですけど、次の日の朝になると2人逃げていなくなって。
 それで二日目からは(逃げた練習生がいた)部屋に入れたんですよ。

くい:はい。

冨宅:初日は道場で毎日の掃除の仕方から盛り塩など「いろは」を教わりました。
 
くい:練習生は冨宅さん含めた3人、他2人の方は同期なんですか?

冨宅:入門テストは同じ時期に受けたんですが、僕の1週間くらい前に垣原さんが入ってて
 3週間くらい前には長井さんが入ってましたね。
 初めての練習ではスクワットや坂道ダッシュなど(基礎体力トレーニングメニュー)を色々こなして
 鈴木さんとはタックルの打ち込みだけで何十本とやったと思うんですけど。
 初めてのスパーリングは田村さんと。今考えればヒールホールドなんですが足首をキメられて初日から足が腫れ上がり洗礼を受けました(笑)

くい:めちゃくちゃですねぇ、初日から(笑)

冨宅:はい(笑)その日は練習が終わってから六本木に飲みに行くということだったので、そのまま道場に待機していたんですが
 タクシーに乗って何故か向井亜紀さんがやって来たんです。不思議に思ったんですが、田村さんは普通に談笑してて。
 その向井さんが乗って来たタクシーに同乗してそのまま六本木に行きました。
 途中で高田さんもやって来て飲まされたんですが、初めて酔っ払って。
 後日、高田さんと向井さんがお付き合いされてることを聞いて、やっぱりプロレスラーは凄いなぁと。

くい:そう思いますよねぇ。

冨宅:その日は土曜日で、当時日曜日が休みだったんです。月~土曜は練習の毎日で。

くい:ちなみに休みの日は何をしてたんですか?

冨宅:何してたんですかねぇ・・・晩は長井さんと近くの定食屋に食べに行ってたのは覚えてるんですが
 昼間は何をしてたのか覚えてないですねぇ(笑)

くい:その古びたアパートで(笑) 

冨宅:はい(笑)
 最初いた合宿所から5分くらいの場所に、もうひとつ合宿所があって。そこに中野(龍雄、現:中野巽耀たつあき)さんが住んでたらしいです。

くい:はい。

冨宅:中野さんがそこを出るということで部屋が空くので田村さんが行くことになったんです。
 もう一部屋あるからっていうことで、僕が行かしていただくことになって。
 結局、入門して最初の合宿所に入ってから一週間くらいで、もう一方の合宿所に移ったんです。

くい:そこは一人部屋ですか?

冨宅:一応(笑)風呂なしボロボロのアパートで洗濯機もないんで洗濯は道場でするかコインランドリーを利用して。
 テレビもない勿論クーラーも何もない裸電球の部屋でした。
 
くい:夏とかめちゃくちゃ暑いんじゃないですか?

冨宅:はい(笑)でも、窓を開けると線路の真横で。小田急線が走ってたんで踏み切りの音とか電車が走る音がうるさくて。
 それでも練習から帰ってきたりしたら、疲れてもう何も気にならなくなってましたね。

くい:練習生期間というのはどれくらい続いたんですか?

冨宅:ちょうど一年くらいですかね。僕は7月1日入門で、次の年の横浜アリーナでデビューなんで。
 (90年8月13日、横浜アリーナで垣原賢人戦でデビュー。)

くい:その横浜アリーナは高田延彦vs船木優治(現:誠勝)戦、注目のカードでしたね。

くい:練習生期間というのはどれくらい続いたんですか?

冨宅:ちょうど一年くらいですかね。僕は7月1日入門で、次の年の横浜アリーナでデビューなんで。
 (90年8月13日、横浜アリーナで垣原賢人戦でデビュー。)

くい:その横浜アリーナは高田延彦vs船木優治(現:誠勝)戦、注目のカードでしたね。

冨宅:船木さんの膝がモロに入って。(膝がこめかみに入り、高田選手無念のドクターストップ)

くい:はい。

冨宅:その前の年にもふたりは闘ってるんですが、幻の10カウントで。

くい:あれは一体何だったんですか?

冨宅:何だったんでしょうねぇ。
(89年8月13日横浜アリーナ、船木の掌打を食らった高田はダメージが大きく、ダウン。空中レフェリーがカウントを取るも立ち上がれないまま
 試合続行不可能かに思われたが、レフェリーはカウントを9でストップしてしまう。結局、高田はラクダ固めで船木に勝利するも
 疑惑のカウント事件に場内は騒然となった。)

くい:そこから船木さんの快進撃が始まった感じですかね?

冨宅:船木さんは性格的には感じさせないのですが、vs山崎(一夫)さんとやった試合(90年6月21日大阪府立体育会館)とか
 あの高田さんとの試合(90年8月13日横浜アリーナ)では壊し屋のイメージですよね。
 鈴木さんは奔放に見えますが、意外とあまり怪我させないんですよ。
 その後、藤原さんとやった試合(90年9月13日愛知県体育館)、前田さんとの試合では敗れましたが(90年10月25日大阪城ホール)
 異彩を放つ存在でしたよね。

つづく…!!