くい:プロレスラーになりたいと思ったのはいつ頃からですか?
冨宅:もう、それからすぐですね。中2の時。
くい:僕も一緒くらいですね。
冨宅:タイガーマスクvsスティーブ・ライト、タイトルマッチの試合か何かを見て。
(82年4月1日蔵前国技館にて行われたWWFJr.ヘビー級選手権試合)
くい:すごいテクニックでしたよね。僕もビデオで見たことがあるんですけど。すごかったですね。
冨宅:はい。タイガーマスク負けるんちゃうかっていうくらいすごいドキドキして。それでも何とか最後は勝って。
あの試合を見てから何でかわからないですけど、プロレスラーになりたいと思いました。
くい:あのスティーブ・ライトの技術はすごいですよね。冨宅さんは柔道をされてたんですよね?
冨宅:柔道は高校に入ってしばらくしてから始めました。
中学生でプロレスラーに憧れて、とりあえずスクワットとか腕立てとか体育館や家でやったり。
最初は頑張っても30回くらいしかできませんでしたが、毎日少しずつ回数を増やして、中学卒業する頃には何とか100回できるくらいにはなってたんですよ。
くい:はい。
冨宅:高校に入ってからは市の体育館で一回200円で講習を受けられたので、申し込んで毎日ウエイトトレーニングやってましたね。
くい:柔道はどれぐらいからですか?
冨宅:高校2年の時にその体育館の上の階で柔道教室が週2回あったので。プロレスラーを目指すなら柔道やっていた方がいいかなと思って。
くい:その時期くらいにはもうどこの団体に入るとか決めてたんですか?
冨宅:UWFに。昔の※旧UWFがちょうど高校に入学した頃にできたので。
くい:何で、UWFなんですか?
冨宅:藤原さんとか前田さんとか高田さんとか好きな選手が居たということが大きいんですが
一番影響を受けた佐山さんが入ったということで。
(以下※参照)
【旧UWF:第一次UWF】84年4月11日、埼玉・大宮スケートセンターにて旗揚げ。
当時、アントニオ猪木が起こした事業の失敗により猪木が負債を抱え、新日本プロレスでの収益を資金流用しているといった話しから
新日内部でクーデターが起こり、猪木派・新間寿営業本部長が猪木の新たな主戦場として用意したのがUWFだった。
しかし猪木あっての新日本プロレス中継だった為、テレビ朝日の介入によりクーデターは未遂に終わる。
新日主力トップ選手の参加を匂わす触れ込みで宣伝していたが、結果としてはそうではなく波乱の旗揚げになった。
新間寿を中心に前田日明、ラッシャー木村、グラン浜田、マッハ隼人、剛竜馬、後に藤原喜明が高田延彦を引き連れ参加。
佐山サトルがザ・タイガーとして84年7月23日、24日の後楽園ホール大会に出場。8月には正式入団。
相手の技を簡単には受けず、プロレスのショー的要素を排除した格闘技色の強いレスリングは斬新で旋風を巻き起こした。
冨宅:昔、ビデオって高かったですよね(苦笑)
くい:高かったですよね~(驚
冨宅:当時、お年玉で【UWF実力No.1決定戦】を買って何回も何回も見てました。
(佐山サトルがスーパー・タイガーとして、第1ラウンド84年9月7日後楽園ホールで藤原喜明を破り
同年、9月11日の第2ラウンドでは前田日明を破りUWF実力No.1の称号を手に入れた。)
くい:はい。高校卒業してからは何をされてたんですか?
冨宅:就職が決まってたのですが、そのまま就職したらプロレスラーにはもうなれない気がして。
でも高校卒業するくらいにはUWFは崩壊してしまったんですが、事務所はまだあったので履歴書を送ったりしてました。
高校2年の時の担任の先生がたまたまプロレスが好きな方で、色々相談したりしましたね。
入門しても合宿所とはいえある程度お金は必要やからお金を貯めといた方がいいとアドバイスしていただいたり
応援するよって言っていただいて。
くい:良い先生ですね。
冨宅:はい。家の近くのコンビニでバイトをしながら、当時は今以上にお金持ってましたね(笑)
くい:ははは(爆笑)いや、僕も東京でアルバイトしてる時、金持ってましたよ(笑)