これもまた今から4年ほど前…
2011年の記事です!
生き様インタビュー冨宅飛駈編001話
富宅さんがプロレスラーになられたのは平成2年。
まだまだプロレスラーになるのが難しい時代だった。
団体も確か今より全然少ない時代。
まさに富宅さんは選ばれし者。
僕とは全然毛並み?が違う
エリート中のエリートなイメージがある。
前田日明さん率いる新生UWFでデビューするのがどれほど難しいか。
それから藤原組へ新天地を求め
秒殺で話題になった
船木さん、鈴木みのるさんとともにパンクラスへと活動の場を移して行く。
これだけ見たらまさに順風満帆なエリート街道まっしぐらなイメージがある。
縁があって富宅さんとは今から8年程前から一緒にお仕事をさせて頂いてる。
富宅さんの事はプロレスラーとしては勿論リスペクトしているが
人間として本当に見習うべきところが沢山あるんだ。
そんな富宅さんなんですが
本当に洗いざらい全てを語ってくれた。
リング上の事だけではなくプライベートな事まで…
最初はええ部分だけ載せようかと考えていたけど…
いや、やはりここは全部載せようかなと(今でも正直迷っているが)
実際インタビューして楽しかったし
はっきり言って感動した。
そして富宅さんの事がもっと好きになった。
皆さんにも感動してもらって
そして富宅さんの事をもっと好きになってもらいたいと思っています。
3時間にも及ぶ対談でしたので
編集に時間がかかると思いますが…
今しばらくお待ちを。
そんなわけで乞うご期待下さい。
◆プロレスラー生き様インタビュー。第2回ゲストは冨宅飛駆選手!
冨宅選手はプロレスラーとしては勿論リスペクトしているが、人間としても本当に見習うべきところが沢山ある冨宅さんは本当に洗いざらい全てを語ってくれました。
冨宅飛駆選手インタビュー記念すべき第1回の始まりです!
くい:冨宅さん昔からプロレスはすごい好きやったんですか?いつくらいから興味を持ち始めたんですか?
冨宅:中学1年くらいから、でも弟の方がプロレスが好きで。
関西は土曜日の夕方に全日本プロレスの中継をやっていて、弟が見てたから僕も一緒に見るようになって。
最初は全日本しか見てなかったんです。
くい:はい。当時の全日って誰が居たんですか?
冨宅:ちょうどハンセン選手が全日本に入って。
くい:新日本から全日本に?
(1981年、新日からのハンセンの移籍は極限られた関係者の間で秘密裏に進められ、ファンや関係者を非常に驚かせた。)
冨宅:そうです。そのスタン・ハンセンのことも当時は知らなくて。弟に色々聞いたりしながら見てました。
当時は全日本しか見てなかったんですけど、たまたま正月に特番で新日本を見て。
タイガーマスクvsダイナマイトキッド戦でタイガーマスクの動きにビックリして、そこからファンになって新日本プロレスも見るようになりました。
くい:へぇー。この間インタビューした岸和田さんも同じようなことを言ってましたね。
タイガーマスクからすごいハマってしまったって。
冨宅:ええ。あれはやっぱりスゴイですよ。
くい:僕、世代的にタイガーマスクあまり記憶に無いんですよ。
どちらかと言うと、ザ・コブラの方が記憶にあって(笑)あんまり嬉しくないんですけど(笑)
(ジョージ高野扮する覆面レスラー、ザ・コブラはカナダ・カルガリーマットでデビュー。
当時、ダイナマイト・キッドらと抗争を展開していた。ちなみに初代タイガー佐山サトルとは同期。83年8月、タイガーの新日退社に伴い凱旋帰国。
新日ジュニア戦線において団体の期待は高かったがキャラクターとして大成しなかった。)
冨宅:はははは(笑)
つづく…!!!
2011年の記事です!
生き様インタビュー冨宅飛駈編001話
富宅さんがプロレスラーになられたのは平成2年。
まだまだプロレスラーになるのが難しい時代だった。
団体も確か今より全然少ない時代。
まさに富宅さんは選ばれし者。
僕とは全然毛並み?が違う
エリート中のエリートなイメージがある。
前田日明さん率いる新生UWFでデビューするのがどれほど難しいか。
それから藤原組へ新天地を求め
秒殺で話題になった
船木さん、鈴木みのるさんとともにパンクラスへと活動の場を移して行く。
これだけ見たらまさに順風満帆なエリート街道まっしぐらなイメージがある。
縁があって富宅さんとは今から8年程前から一緒にお仕事をさせて頂いてる。
富宅さんの事はプロレスラーとしては勿論リスペクトしているが
人間として本当に見習うべきところが沢山あるんだ。
そんな富宅さんなんですが
本当に洗いざらい全てを語ってくれた。
リング上の事だけではなくプライベートな事まで…
最初はええ部分だけ載せようかと考えていたけど…
いや、やはりここは全部載せようかなと(今でも正直迷っているが)
実際インタビューして楽しかったし
はっきり言って感動した。
そして富宅さんの事がもっと好きになった。
皆さんにも感動してもらって
そして富宅さんの事をもっと好きになってもらいたいと思っています。
3時間にも及ぶ対談でしたので
編集に時間がかかると思いますが…
今しばらくお待ちを。
そんなわけで乞うご期待下さい。
◆プロレスラー生き様インタビュー。第2回ゲストは冨宅飛駆選手!
冨宅選手はプロレスラーとしては勿論リスペクトしているが、人間としても本当に見習うべきところが沢山ある冨宅さんは本当に洗いざらい全てを語ってくれました。
冨宅飛駆選手インタビュー記念すべき第1回の始まりです!
くい:冨宅さん昔からプロレスはすごい好きやったんですか?いつくらいから興味を持ち始めたんですか?
冨宅:中学1年くらいから、でも弟の方がプロレスが好きで。
関西は土曜日の夕方に全日本プロレスの中継をやっていて、弟が見てたから僕も一緒に見るようになって。
最初は全日本しか見てなかったんです。
くい:はい。当時の全日って誰が居たんですか?
冨宅:ちょうどハンセン選手が全日本に入って。
くい:新日本から全日本に?
(1981年、新日からのハンセンの移籍は極限られた関係者の間で秘密裏に進められ、ファンや関係者を非常に驚かせた。)
冨宅:そうです。そのスタン・ハンセンのことも当時は知らなくて。弟に色々聞いたりしながら見てました。
当時は全日本しか見てなかったんですけど、たまたま正月に特番で新日本を見て。
タイガーマスクvsダイナマイトキッド戦でタイガーマスクの動きにビックリして、そこからファンになって新日本プロレスも見るようになりました。
くい:へぇー。この間インタビューした岸和田さんも同じようなことを言ってましたね。
タイガーマスクからすごいハマってしまったって。
冨宅:ええ。あれはやっぱりスゴイですよ。
くい:僕、世代的にタイガーマスクあまり記憶に無いんですよ。
どちらかと言うと、ザ・コブラの方が記憶にあって(笑)あんまり嬉しくないんですけど(笑)
(ジョージ高野扮する覆面レスラー、ザ・コブラはカナダ・カルガリーマットでデビュー。
当時、ダイナマイト・キッドらと抗争を展開していた。ちなみに初代タイガー佐山サトルとは同期。83年8月、タイガーの新日退社に伴い凱旋帰国。
新日ジュニア戦線において団体の期待は高かったがキャラクターとして大成しなかった。)
冨宅:はははは(笑)
つづく…!!!