生き様インタビューマグニチュード岸和田編 002話
岸和田:(過酷な基礎体力トレーニングメニューが終わってから)スパーリングやったんやけど。
その時は、受身っていうのは入門テストなんで無いんで。
くい:そうですよね。
岸和田:今にしてみたらアレやけど、ムチャクチャ強いと思ったね。板倉さんとやったんやけど、1分間の間に7,8回キメられて。
これは、プロレスラーっていうのはとてつもなく強いなって思って。まあ、それで逆にヤル気も出てきたな。
その当時俺はパワーリフティングやってたけどその時82、3kgくらいで。板倉さんと松崎さんは95kgくらいやったかな?すごいデカかったんや。
腕とかもすごい太くて。何せ、ガチンコがすごい強かったから。これは強いなと、ここで受かれば大したもんやなと。
スパーリングは確か板倉さんが全員相手にしたんかな?全員キメられてたね。
基礎体力の時点で歩ける状態でもないし、全く体がいうこと利かなくて、力が発揮できないような状態でやってるわけなんやけど。
そして1週間後くらいに連絡があったんだよね。合格だってことで喜んでたんだけど。
今にして思えばその入門テストっていうのは誰でも良かったんだよね。来てやりたい人間だったら。落ちた人間って多分いないんだよ。
みんな入ってくるんだけど、そこからほとんどの人間が辞めて行くっていう。
くい:はい。
岸和田:要は、オリエンタルプロレスっていうのは剛竜馬が土方要員を募集してたから。
くい:なるほど。そこからすぐ上京ですか?
岸和田:テスト受けて2週間後にはもう東京行ったんだよ。
くい:早いですね~。八王子ですか?
岸和田:八王子に1週間だけ滞在して、その後、千葉の浦安ってトコに剛さんと提携してる土方の会社があったんだよ。
そこに入れられて、土日だけ八王子の道場に通うっていう。
くい:平日はずっと仕事なんですか?
岸和田:そやな。それも段々システムが変わってきて、練習に来るのは日曜日だけでいいから土曜も働いてくれっていう話で(笑)
くい:ははは(笑)平日は練習しないんですか?
岸和田:平日は仕事終わってからだよ。千葉県浦安市に住んでて、そこから現場の市原市まで行くんやけど。
高速道路の部品作る仕事やってたんだよね。
くい:めちゃ危ないんですよね?
岸和田:危ない危ない。指とか無い人とかいっぱいいてんねん。
そこの現場に行くのに1時間くらいで行けるんやけど、7時8時に出てたら車が混むから5時に起きて現場に着いてからもう一回寝るみたいな感じ。
くい:へぇーー・・・
岸和田:だいたい定時が夜の6時くらいまでやったと思うんやけど、やっぱりみんな生活があって、俺なんかは金貰ってなかったからあれなんやけど。
みんな残業するからだいたい8時くらい。
帰って来たら9時半くらい。飯場で用意されてる飯があるんだよ。もう何とも言えない味だよ・・・何て言うんかなァ・・
もう、そういうトコに住んでる様な人が食うような(路上生活者が食べるような?)あんまり旨くない感じ。
くい:量的には全然足りないんじゃないですか?
岸和田:いや、飯は食い放題なんだけど旨くないんだよね。食えないんだよハッキリ言って。
本当は練習終わってから食いたいけど、食堂が開いてる時間が決まってたんで先に食わないといけないんだよ。
それからトレーニングだよ。夜だいたい9時とか10時くらいから始めて。
その時は時間が無いから1時間から1時間半くらい基礎体力でスクワット・腕立て・腹筋・ブリッジこの4つは絶対入れるなァ。
ウエイトトレーニングとかランニングとか、俺の同期は3人くらいいてたんやけどたまに時間ある時は体育館の中の柔道場でスパーリング。
くい:それは練習生だけでですか?
岸和田:そうやね。最初、俺含め練習生3人いてたけど1ヶ月後にまず1人辞めたんだよ。もう、これはやってられんぞと言って。
もう1人いたヤツも入って3ヶ月後に辞めて、だからずっとひとりだったんだよ。
その時、剛さんとの取り決めが日当は3500円で、残業すると1時間につき千円だか何だかって形やったかなァ・・・。
月に25日以上は働いてたから8万・9万にはなるわけだよ。残業も毎日やってたから残業手当入れても12、3万にはなる。
いつも給料は厚木に取りに行くんだよね、月に一回取りに行くと渡されるのは5万だけなんだよ。
くい:・・・。3500円で計算したら残業手当も入れると12、3万にはなるんですよね!?
でも、(日当)3500円の時点でおかしいですもんね(苦笑)
岸和田:ミヤザキ興業っていう会社だったんだけど、実はこれだけ出てるという額を入った時に言われたんだよ。
中身は剛さんが抜いてるからって、最初にミヤザキ興業の社長が教えてくれたんだよ。
ああ、そうですか・・みたいな。
くい:なんぼ出てたんですか?
岸和田:日当は13000円だか15000円出てて、元々ミヤザキ興業自体が下請けの会社で。まずそこでなんぼか抜かれる。
俺の手元に入ってくるのは9500円だかそんな値段で。そこから剛さんが更に抜いて・・・
くい:6000円抜いて・・・
岸和田:(日当は)俺には3500円という。月25日以上、毎日残業も込みで働いても渡される給料は5万だけなんだよ。
結局、5万以上はくれないんだよ。結局・・・計算すると日当1500円くらいで働いてるという計算なんだよ(苦笑)
くい:すごい(苦笑)
岸和田:その時は貯金が無かったらやって行けなかったな。100万あった貯金もあっという間に無くなって。
岸和田:(ある時)引越しがあるからって。松崎さんに言われて引越しの手伝いに行ったんだよ。
手伝いに行ったのに、レンタカーを俺の金で借りてきて。
くい:ははは(笑)
岸和田:ガス台も俺の金で入れて、引越し(に掛かった金)は俺が全部出したっていう(笑)
くい:ははは(笑)恐ろしいですね。
岸和田:昔はもう当たり前。そういう世界やったなァ。
だからみんな辞めて行ったよ、当然の如く。
くい:そうですよねぇ・・・。それでオリプロには結局何年くらい居たんですか?
岸和田:(92年)5月に入って12月末まで居たんだけど。生活出来ないんでって辞めたんだけど、でもその時には実は板倉さんが
新オリエンタルプロレスっていう剛竜馬を抜きにしたオリエンタルプロレスっていうのをやり始めていたんだよ。
そっちの方に来ないかって誘いを受けていて。
くい:(オリプロは)辞めたんですか?
岸和田:そう。剛竜馬には一旦(実家に)帰ってやり直すってことにしてたんだよ。
くい:実際、帰ったことは帰ったんですか?
岸和田:そう。12月29日まで仕事して30日に大阪へ帰ったんだよ。
(当時)1月2日に毎年恒例の、昼間にW★ING・夜は全日本っていう興業を毎年やってたんだよ。
それがあるからって。2日にはもう板倉さんに呼び戻されて。
くい:剛さん確か追放されたのが12月・・・?
岸和田:そう。追放された。でもその時は剛さんには俺のトコに付いて来いって言われてて。
バレたんだよ、剛竜馬に。俺が新生オリエンタルプロレスに行ったのが。
剛さんから電話が掛かって来て「お前、ヤ○ザ使ってでも殺したるからなって。」そういう世界、これはホントの話。
覚悟しとけよって。
くい:コワ~~(怖)恐ろしい世界ですね。
岸和田:それがあって・・・俺は12月はもう1回も八王子の道場には行かなかった。
だから日曜日も全部出てずっと仕事してて。その分の給料っていうのは一銭も貰ってない。12月分は剛さんから一銭も。
くい:へぇ・・・。その当時は板倉さんとか何してたんですか?仕事とかしてたんですか?
岸和田:仕事はしてなかったな。その時は、剛竜馬が居てる時は八王子に道場があったから、そこで毎日練習してたな。
朝10時から昼過ぎくらいまで基礎体力トレーニングを中心とするような練習してたんちゃうかな。ウエイトとかランニングとか。
夜に受身とかマット運動を中心に。
くい:岸和田さんは勿論参加はしてないですよね?
岸和田:最初東京に出て来た一週間と、(俺含めた練習生が)3人居てた時は土日に行ってて。(※岸和田編その3参照)
そこから段々もっと仕事やってくれって言われて道場に行く回数が減ってきて。
くい:そっち(土方の仕事)がメインになって行ったと。
岸和田:そうそう。
くい:新生オリエンタルプロレスに行ってからは仕事は?
岸和田:そこからは、有名なユニオンの※武井(笑)(※武井匡:旧ユニオンプロレスでは代表、レフェリーを務めた。)
くい:瓦屋ですか?(笑)
岸和田:そうそう。千葉県流山市にある。
くい:よく存じております(笑)(※くいしんぼうメルマガ僕のプロレス人生において欠かせない人達参照)
岸和田:その時に武井さんが提携してる土木の会社が松戸市にあったんだよ。南流山の駅の近くにあって。
そこは日本人はひとりも居ない。外国人が住む寮みたいなトコにぶち込まれて。
(2日にW★INGのセコンドに立った後、)そこで自分ひとりで朝・昼・晩 真面目にトレーニングしてた。
くい:はい。
岸和田:確か5日か6日くらいやったかな。朝の練習終わってから寝てたら、いきなり板倉さんがやって来て食らわされて(苦笑)
もう俺としては何のことかわからへん。練習してないと思われとったんかな。
俺は元々練習熱心やったんやけど。何かすごい覚えてるよその時の経験も(笑)
仕事は武井さんのとこで働くの決まってたんやけどまだ正月休みで。
くい:1月デビューして、そんなに長くなかったですよね?オリプロ自体は。
岸和田:俺がデビューしたのは1月20日なんだよ。その時は受身もまだしっかり出来なくて、何とか後ろ受身が出来るかなくらいだった。
※1高杉さんの相手やったかな。急遽、※2ジプシー・ジョーが欠場になって。
その時、オリプロとW★INGが一緒にやってて※3。
ひとりずつ若手を出して高杉さんとハンディキャップマッチをしようってことで。それが一応デビュー戦。プロレスなんて言えるもんじゃなかったけど。
くい:いえいえ。確か後楽園の?
岸和田:そう。後楽園のセミファイナルでデビューなんだよ。
くい:※高山さんと組んで?(※現・BADBOY非道。93年1月20日、W★INGでデビュー。妻は元FMW女子のエース、邪道姫こと工藤めぐみ)
岸和田:そうそう。非道と組んで。
(以下※参照)
※1 高杉正彦(1955年6月17日生 )大学時はアメフト選手として活動。卒業後は国際プロレスに入門。
国際プロレス解散後、単身メキシコへ。メキシコ遠征後は自らジャイアント馬場に売り込み覆面レスラーとして全日マットに登場。
その後は二代目タイガーマスクが誕生した事で、素顔に戻され、特に目立った活躍もないまま
86年3月、剛竜馬・アポロ菅原と共に全日を解雇される。後に剛・菅原と共にパイオニア戦志を旗揚げ。
パイオニア崩壊後、再びフリーとして活動する中、92年に剛が旗揚げしたオリエンタルプロレスに参加。
※2 ジプシー・ジョー(1933年12月2日生 )はプエルトリコ出身のプロレスラー。75年9月、国際プロレスに初来日。
81年からは全日の常連外国人となり計10回に渡って来日。91年8月、W★INGの招聘で久々に日本マットに登場。
93年2月3日には後楽園ホールにて、高杉を相手に5分間のエキシビション・マッチによる引退試合も行われた。
その後も単発的に復帰。95年と02年には後継プロモーションのIWAジャパンに来日している。
※3 剛の離脱後は高杉正彦をエース格とし、W★INGプロモーションやみちのくプロレス、などの協力を得て、
残った選手達で興行を行っていた。
くい:(デビュー当時雑誌に)経歴が出てましたよね?確か。パワーリフティングの学生チャンピオンって。
岸和田:その当時はね、インディでも何でもデビューすればカラー1ページくらいは扱われたんだよ。
俺の時も確か1ページだか何か載って。
くい:はい。記憶あります。
岸和田:(当時は)プロレスってのはそれくらい(盛ん)だったんだよね。
くい:93年の1月ですか。
岸和田:うん。結構、93年ってデビューした人多いんだよ。俺と非道が1月だろ。
3月に今のミラクルマン、南条(隼人)さんが ※PWCで 黒田テッちゃんも(黒田哲広)。
(PWC※ジョージ高野・高野俊二(現:高野拳磁)兄弟を中心に設立された)
7月だったか?弾丸・田中将斗(ZERO1)とか。あと、五所川原吾作(フリー、現:Gosaku 93年11月デビュー)。
確かブラックバファローもだったんじゃないかな。
くい:8月くらいですかね、確か。(山田圭介:新オリエンタルプロレスにてデビュー。)
岸和田:あと、神風。(ZERO1所属、現:KAMIKAZE)10月くらいやったんとちゃうかな。
くい:※SPWFで。(※谷津嘉章が旗揚げした団体)
岸和田:そう。彼は最初から特待生みたいな感じで(本名の)丸山昭一でデビュー。
くい:93年って僕、高校3年生の時ですね。
つづく…!
岸和田:(過酷な基礎体力トレーニングメニューが終わってから)スパーリングやったんやけど。
その時は、受身っていうのは入門テストなんで無いんで。
くい:そうですよね。
岸和田:今にしてみたらアレやけど、ムチャクチャ強いと思ったね。板倉さんとやったんやけど、1分間の間に7,8回キメられて。
これは、プロレスラーっていうのはとてつもなく強いなって思って。まあ、それで逆にヤル気も出てきたな。
その当時俺はパワーリフティングやってたけどその時82、3kgくらいで。板倉さんと松崎さんは95kgくらいやったかな?すごいデカかったんや。
腕とかもすごい太くて。何せ、ガチンコがすごい強かったから。これは強いなと、ここで受かれば大したもんやなと。
スパーリングは確か板倉さんが全員相手にしたんかな?全員キメられてたね。
基礎体力の時点で歩ける状態でもないし、全く体がいうこと利かなくて、力が発揮できないような状態でやってるわけなんやけど。
そして1週間後くらいに連絡があったんだよね。合格だってことで喜んでたんだけど。
今にして思えばその入門テストっていうのは誰でも良かったんだよね。来てやりたい人間だったら。落ちた人間って多分いないんだよ。
みんな入ってくるんだけど、そこからほとんどの人間が辞めて行くっていう。
くい:はい。
岸和田:要は、オリエンタルプロレスっていうのは剛竜馬が土方要員を募集してたから。
くい:なるほど。そこからすぐ上京ですか?
岸和田:テスト受けて2週間後にはもう東京行ったんだよ。
くい:早いですね~。八王子ですか?
岸和田:八王子に1週間だけ滞在して、その後、千葉の浦安ってトコに剛さんと提携してる土方の会社があったんだよ。
そこに入れられて、土日だけ八王子の道場に通うっていう。
くい:平日はずっと仕事なんですか?
岸和田:そやな。それも段々システムが変わってきて、練習に来るのは日曜日だけでいいから土曜も働いてくれっていう話で(笑)
くい:ははは(笑)平日は練習しないんですか?
岸和田:平日は仕事終わってからだよ。千葉県浦安市に住んでて、そこから現場の市原市まで行くんやけど。
高速道路の部品作る仕事やってたんだよね。
くい:めちゃ危ないんですよね?
岸和田:危ない危ない。指とか無い人とかいっぱいいてんねん。
そこの現場に行くのに1時間くらいで行けるんやけど、7時8時に出てたら車が混むから5時に起きて現場に着いてからもう一回寝るみたいな感じ。
くい:へぇーー・・・
岸和田:だいたい定時が夜の6時くらいまでやったと思うんやけど、やっぱりみんな生活があって、俺なんかは金貰ってなかったからあれなんやけど。
みんな残業するからだいたい8時くらい。
帰って来たら9時半くらい。飯場で用意されてる飯があるんだよ。もう何とも言えない味だよ・・・何て言うんかなァ・・
もう、そういうトコに住んでる様な人が食うような(路上生活者が食べるような?)あんまり旨くない感じ。
くい:量的には全然足りないんじゃないですか?
岸和田:いや、飯は食い放題なんだけど旨くないんだよね。食えないんだよハッキリ言って。
本当は練習終わってから食いたいけど、食堂が開いてる時間が決まってたんで先に食わないといけないんだよ。
それからトレーニングだよ。夜だいたい9時とか10時くらいから始めて。
その時は時間が無いから1時間から1時間半くらい基礎体力でスクワット・腕立て・腹筋・ブリッジこの4つは絶対入れるなァ。
ウエイトトレーニングとかランニングとか、俺の同期は3人くらいいてたんやけどたまに時間ある時は体育館の中の柔道場でスパーリング。
くい:それは練習生だけでですか?
岸和田:そうやね。最初、俺含め練習生3人いてたけど1ヶ月後にまず1人辞めたんだよ。もう、これはやってられんぞと言って。
もう1人いたヤツも入って3ヶ月後に辞めて、だからずっとひとりだったんだよ。
その時、剛さんとの取り決めが日当は3500円で、残業すると1時間につき千円だか何だかって形やったかなァ・・・。
月に25日以上は働いてたから8万・9万にはなるわけだよ。残業も毎日やってたから残業手当入れても12、3万にはなる。
いつも給料は厚木に取りに行くんだよね、月に一回取りに行くと渡されるのは5万だけなんだよ。
くい:・・・。3500円で計算したら残業手当も入れると12、3万にはなるんですよね!?
でも、(日当)3500円の時点でおかしいですもんね(苦笑)
岸和田:ミヤザキ興業っていう会社だったんだけど、実はこれだけ出てるという額を入った時に言われたんだよ。
中身は剛さんが抜いてるからって、最初にミヤザキ興業の社長が教えてくれたんだよ。
ああ、そうですか・・みたいな。
くい:なんぼ出てたんですか?
岸和田:日当は13000円だか15000円出てて、元々ミヤザキ興業自体が下請けの会社で。まずそこでなんぼか抜かれる。
俺の手元に入ってくるのは9500円だかそんな値段で。そこから剛さんが更に抜いて・・・
くい:6000円抜いて・・・
岸和田:(日当は)俺には3500円という。月25日以上、毎日残業も込みで働いても渡される給料は5万だけなんだよ。
結局、5万以上はくれないんだよ。結局・・・計算すると日当1500円くらいで働いてるという計算なんだよ(苦笑)
くい:すごい(苦笑)
岸和田:その時は貯金が無かったらやって行けなかったな。100万あった貯金もあっという間に無くなって。
岸和田:(ある時)引越しがあるからって。松崎さんに言われて引越しの手伝いに行ったんだよ。
手伝いに行ったのに、レンタカーを俺の金で借りてきて。
くい:ははは(笑)
岸和田:ガス台も俺の金で入れて、引越し(に掛かった金)は俺が全部出したっていう(笑)
くい:ははは(笑)恐ろしいですね。
岸和田:昔はもう当たり前。そういう世界やったなァ。
だからみんな辞めて行ったよ、当然の如く。
くい:そうですよねぇ・・・。それでオリプロには結局何年くらい居たんですか?
岸和田:(92年)5月に入って12月末まで居たんだけど。生活出来ないんでって辞めたんだけど、でもその時には実は板倉さんが
新オリエンタルプロレスっていう剛竜馬を抜きにしたオリエンタルプロレスっていうのをやり始めていたんだよ。
そっちの方に来ないかって誘いを受けていて。
くい:(オリプロは)辞めたんですか?
岸和田:そう。剛竜馬には一旦(実家に)帰ってやり直すってことにしてたんだよ。
くい:実際、帰ったことは帰ったんですか?
岸和田:そう。12月29日まで仕事して30日に大阪へ帰ったんだよ。
(当時)1月2日に毎年恒例の、昼間にW★ING・夜は全日本っていう興業を毎年やってたんだよ。
それがあるからって。2日にはもう板倉さんに呼び戻されて。
くい:剛さん確か追放されたのが12月・・・?
岸和田:そう。追放された。でもその時は剛さんには俺のトコに付いて来いって言われてて。
バレたんだよ、剛竜馬に。俺が新生オリエンタルプロレスに行ったのが。
剛さんから電話が掛かって来て「お前、ヤ○ザ使ってでも殺したるからなって。」そういう世界、これはホントの話。
覚悟しとけよって。
くい:コワ~~(怖)恐ろしい世界ですね。
岸和田:それがあって・・・俺は12月はもう1回も八王子の道場には行かなかった。
だから日曜日も全部出てずっと仕事してて。その分の給料っていうのは一銭も貰ってない。12月分は剛さんから一銭も。
くい:へぇ・・・。その当時は板倉さんとか何してたんですか?仕事とかしてたんですか?
岸和田:仕事はしてなかったな。その時は、剛竜馬が居てる時は八王子に道場があったから、そこで毎日練習してたな。
朝10時から昼過ぎくらいまで基礎体力トレーニングを中心とするような練習してたんちゃうかな。ウエイトとかランニングとか。
夜に受身とかマット運動を中心に。
くい:岸和田さんは勿論参加はしてないですよね?
岸和田:最初東京に出て来た一週間と、(俺含めた練習生が)3人居てた時は土日に行ってて。(※岸和田編その3参照)
そこから段々もっと仕事やってくれって言われて道場に行く回数が減ってきて。
くい:そっち(土方の仕事)がメインになって行ったと。
岸和田:そうそう。
くい:新生オリエンタルプロレスに行ってからは仕事は?
岸和田:そこからは、有名なユニオンの※武井(笑)(※武井匡:旧ユニオンプロレスでは代表、レフェリーを務めた。)
くい:瓦屋ですか?(笑)
岸和田:そうそう。千葉県流山市にある。
くい:よく存じております(笑)(※くいしんぼうメルマガ僕のプロレス人生において欠かせない人達参照)
岸和田:その時に武井さんが提携してる土木の会社が松戸市にあったんだよ。南流山の駅の近くにあって。
そこは日本人はひとりも居ない。外国人が住む寮みたいなトコにぶち込まれて。
(2日にW★INGのセコンドに立った後、)そこで自分ひとりで朝・昼・晩 真面目にトレーニングしてた。
くい:はい。
岸和田:確か5日か6日くらいやったかな。朝の練習終わってから寝てたら、いきなり板倉さんがやって来て食らわされて(苦笑)
もう俺としては何のことかわからへん。練習してないと思われとったんかな。
俺は元々練習熱心やったんやけど。何かすごい覚えてるよその時の経験も(笑)
仕事は武井さんのとこで働くの決まってたんやけどまだ正月休みで。
くい:1月デビューして、そんなに長くなかったですよね?オリプロ自体は。
岸和田:俺がデビューしたのは1月20日なんだよ。その時は受身もまだしっかり出来なくて、何とか後ろ受身が出来るかなくらいだった。
※1高杉さんの相手やったかな。急遽、※2ジプシー・ジョーが欠場になって。
その時、オリプロとW★INGが一緒にやってて※3。
ひとりずつ若手を出して高杉さんとハンディキャップマッチをしようってことで。それが一応デビュー戦。プロレスなんて言えるもんじゃなかったけど。
くい:いえいえ。確か後楽園の?
岸和田:そう。後楽園のセミファイナルでデビューなんだよ。
くい:※高山さんと組んで?(※現・BADBOY非道。93年1月20日、W★INGでデビュー。妻は元FMW女子のエース、邪道姫こと工藤めぐみ)
岸和田:そうそう。非道と組んで。
(以下※参照)
※1 高杉正彦(1955年6月17日生 )大学時はアメフト選手として活動。卒業後は国際プロレスに入門。
国際プロレス解散後、単身メキシコへ。メキシコ遠征後は自らジャイアント馬場に売り込み覆面レスラーとして全日マットに登場。
その後は二代目タイガーマスクが誕生した事で、素顔に戻され、特に目立った活躍もないまま
86年3月、剛竜馬・アポロ菅原と共に全日を解雇される。後に剛・菅原と共にパイオニア戦志を旗揚げ。
パイオニア崩壊後、再びフリーとして活動する中、92年に剛が旗揚げしたオリエンタルプロレスに参加。
※2 ジプシー・ジョー(1933年12月2日生 )はプエルトリコ出身のプロレスラー。75年9月、国際プロレスに初来日。
81年からは全日の常連外国人となり計10回に渡って来日。91年8月、W★INGの招聘で久々に日本マットに登場。
93年2月3日には後楽園ホールにて、高杉を相手に5分間のエキシビション・マッチによる引退試合も行われた。
その後も単発的に復帰。95年と02年には後継プロモーションのIWAジャパンに来日している。
※3 剛の離脱後は高杉正彦をエース格とし、W★INGプロモーションやみちのくプロレス、などの協力を得て、
残った選手達で興行を行っていた。
くい:(デビュー当時雑誌に)経歴が出てましたよね?確か。パワーリフティングの学生チャンピオンって。
岸和田:その当時はね、インディでも何でもデビューすればカラー1ページくらいは扱われたんだよ。
俺の時も確か1ページだか何か載って。
くい:はい。記憶あります。
岸和田:(当時は)プロレスってのはそれくらい(盛ん)だったんだよね。
くい:93年の1月ですか。
岸和田:うん。結構、93年ってデビューした人多いんだよ。俺と非道が1月だろ。
3月に今のミラクルマン、南条(隼人)さんが ※PWCで 黒田テッちゃんも(黒田哲広)。
(PWC※ジョージ高野・高野俊二(現:高野拳磁)兄弟を中心に設立された)
7月だったか?弾丸・田中将斗(ZERO1)とか。あと、五所川原吾作(フリー、現:Gosaku 93年11月デビュー)。
確かブラックバファローもだったんじゃないかな。
くい:8月くらいですかね、確か。(山田圭介:新オリエンタルプロレスにてデビュー。)
岸和田:あと、神風。(ZERO1所属、現:KAMIKAZE)10月くらいやったんとちゃうかな。
くい:※SPWFで。(※谷津嘉章が旗揚げした団体)
岸和田:そう。彼は最初から特待生みたいな感じで(本名の)丸山昭一でデビュー。
くい:93年って僕、高校3年生の時ですね。
つづく…!