以前、メルマガにて大好評だった生き様インタビュー覚えていますか?
とても長いので数回に分けて投稿していきます!
これは2011年のこと…
第1回目はマグニチュード岸和田選手。
前から決めていました。
岸和田さんは僕にプロレスラーのイロハを最初に教えて下さった恩人なんです。
まぁ前置きはこれ位にして早速始めさせて頂きます。
まず岸和田さんがプロレスラーを志すきっかけから
プロレスラーになるまでのお話を
岸和田 最初はアニメやな
アニメでタイガーマスクやってたんだよ。それでタイガーマスクが本当にリングに上がってるって言う噂を聞きつけて
それでテレビで当時金曜日の夜8時から
太陽にほえろの裏番組だったかな?
そしたらアニメのタイガーマスクの格好した選手がいたんだよ。
それが凄いんだよ。
とにかく凄い動きをしてて衝撃を受けて
それから毎週テレビで観るようになって。
その時小学校四年生やったんやけど
凄い引き込まれて
それからやな
プロレスラーになろうと思ったんは。
それで当時プロレス大百科っ言う本があって
それを元にトレーニングを開始したんや。
それで中学校に上がる時に
クラブを始めたんやけど
まぁ普通プロレスラーになりたかったら柔道とかやるんやけど
初代タイガーマスクの空中殺法に憧れてたから体操部に入ったんだよ。
それと同時にウェートトレーニングが出来るジムに通い始めた。
って言ってもまだ中学1年やから最初は断られたんや
でも3回目でやっと入れてくれた。
クラブ活動で体操をして
それが終わるとウェートトレーニングのジムへ行くと言う毎日を送っていたんやけど
身長がな~
中学校入ってかなり伸びたんやけど
中学校3年になってピタッと止まってしもうて
俺は中学校卒業したらプロレスラーになるつもりやったんやけど
高校行かんとね
その当時は今と違って情報が入って来なかった。
だから中学校卒業したらプロレスに入るのが当たり前やと思い込んでいたんや。
でその頃UWFが新日本プロレスに上がった時期で
昭和60年の末だったかな?
それで今獣神サンダーライガーをやっている
山田恵一がいたんやけど。
その選手で身長が170センチで
170センチで一番小さかったんよ
俺でその時166センチだったんだよ。
それで絶対無理やなって思って。
とりあえず高校に入って
まぁ半分くらいはプロレスラーになるんは諦めてたんやけど…
またやれたらええなぁと
トレーニングだけは続けていて
その時めっちゃ力強かったねん。
中学3年で既にベンチプレス110キロ挙げてて…
プロレスラーは半分諦めてはいたけど
高校に入って競技のパワーリフティングを始めた。
そのパワーリフティングはベンチプレスで高校日本記録を作って
それで高校卒業して普通に働いていたんやけど
まぁこんな事やっててもしゃ~ないなと思ってて
プロレスは変わらずテレビで見てたんやけど
その時ちょうどインディー団体が出来ていた時期で
FMWとかな。
印象に残ってるんは
中牧昭二がプロレスに入れてくれって直談判して
会場の隅でスクワット千回とかやらされて
あぁこの年齢で出来るんやったら俺もって思って。
ただどの団体も身長制限があってやな。
まぁだから高校卒業するくらいに俺の身長は169センチくらいになってたんだよ
170センチでライガーがプロレスラーになれたんだから
あと1センチ違いやから
ひょっとしたらイケるんじゃないかなと思って来て
ずっとトレーニングは続けていたし。
それで週刊プロレスと言う雑誌で
オリエンタルプロレス新人選手募集と言う記事が
よく見たら身長制限なしって書いてあった。
これは受けようと思って。
その試験に備えて
普段のウェートトレーニングにプラスして一周400メートルあるグラウンドを毎日20周ランニングした。
そしてオリエンタルプロレスの試験を受ける事に
くいしんぼう仮面:「以下くい」
(※オリエンタルプロレスの)入門テストはどこで受けたんですか?
岸和田:生まれて始めて東京に行ったんやけど、東京の八王子ってトコ。
くい: 道場は?
岸和田:八王子から車で10分くらいのところで、初めて迎えに来てくれたのが※松崎さんやった。
くい:その時は岸和田さん何歳くらいやったんですか?
岸和田:二十歳やな。
くい:社会人で会社勤めしてたんは実質どれくらいやったんですか?
岸和田:1年くらい。
くい:入門テストで、試験官はちなみに誰やったんですか?
岸和田:※板倉さん、松崎さん、あと※剛竜馬さんもいたかな?※平野さんもいた。
俺は旗揚げ前(5月)に入って。
でも旗揚げして巡業には連れて行ってもらえなかったんだよ。居残り。
※荒谷さんはオリプロに入ったのは俺より後なんだよ。
くい:え?岸和田さんより入門は後やったんですか?
香川で旗揚げしたんですよね?荒谷さん旗揚げ戦出てましたよ?
岸和田:荒谷さんは(6月に入門)大相撲から来て大抜擢で1ヶ月ぐらいの間でみっちりトレーニングしたと思うんだよね。
デビューは向こうの方が早いけど。
くい:練習生みたいな感じですよね?練習生は岸和田さんだけやったんですか?
岸和田:俺がプロレスラーになろうと思った時は、毎回入門テストやる度に10人とか15人
多い時には20人くらい応募者が来てたんだよ。
柔道何段とか、空手何段とか、スクワットでも何でもみんなデキるヤツばっかり。
アマチュア格闘技で実績あるヤツとか結構来てたよ。
俺が受けたのがオリプロの第1回新人募集やったんやけど、そこからコンスタントに月一くらい入門テストしてて。
やる度に5人10人15人20人って応募者が来てたんだけど、オリプロの練習生で残ったのは俺だけなんだよ。
(トレーニングが)過酷なんてもんじゃなかったからね。
くい:どんな感じやったんですか?
岸和田:基礎体力は自分でもトレーニングしてたってのもあるんやけど。
オリプロのメニューでその時やったのははスクワット500回。
それも並みのペースじゃないんだよ、スピードスクワットやねん。
くい:誰が仕切ってたんですか?それは。実際に試験官も一緒にやるんですか?
岸和田:周りはやらないよ、試験官はやらない。
くい:試験官はやらないんですか!?
え~・・・!!!
岸和田:スピードスクワットがあまりに早いペースなんで足がパンプアップしちゃって・・・
300回過ぎたあたりからみんな倒れだしたんだよ。普通のスクワットなら大丈夫なんやけどスピードスクワットやったから。
ヘロヘロになりながらも何とか意地で最後までやって。
でもその後に待ってるのが、ジャンピングスクワット50回・3セットってのがあって。
もうその時点で足が笑ってたんだよだいぶとね。
みんな何とか号令について行って。
くい:根性ありますね。
岸和田:で、その後に腕立てを50回・3セットだったんだよ。
そしてこの腕立ては反対にめちゃくちゃ遅いんだよ。胸が(床に)付くまでおろして。
くい:キツいっすねー・・・
岸和田:この腕立てがキツい。もう足は笑ってる状態で・・・今思えば恐らくあんなメニューできる人はいないと思うんだよ。
最初から向こうが潰してやろうというような(笑)
くい:舐められたらダメっていう?
岸和田:そういう意味やったと思うんやけど。
スクワットは早く、腕立ては超スローで。普通の理論からしたら全く逆のやり方で。
1セット目までは意地で震えながらやれたけど、2セット目は腕が上がらないんだよ。
できる人間は一人もいないっていう(笑)
くい:ははは(笑)
岸和田:そして、その後に腹筋を100回・2セット。旧式の二人組みでやる、手を後ろで組んで背中まで下ろすやつ。
腹筋はみんなだいたい文句言いながらも何とかギリギリ付いてこれる感じで。
最後にブリッジ3分やって基礎体力はそれで終わり。
そこからスパーリング。
つづく…※以下参照
※オリエンタルプロレス
1990年に活動を停止したパイオニア戦志でエースだった剛竜馬が、新スポンサーを得て再び立ち上げた団体。
1992年7月26日に香川県琴平町営西駐車場特設リングにて、当地の商工会が企画した夏祭りの余興として旗揚げ戦を行う。
小規模なインディー団体の身軽さを利して『出前プロレス』のキャッチフレーズで、日本全国呼ばれればどこへでも赴くスタイルで興行を打った。
※松崎和彦 1969年2月18日生まれ。神奈川県川崎市出身。バックボーンは空手。パイオニアで下積みを経てオリプロでプロデビュー。
※板倉広 1970年2月11日生まれ。東京都江戸川区出身。パイオニアでプロデビューした中では唯一オリプロへ。剛竜馬の一番弟子。
※荒谷信孝 1968年3月7日生まれ。神奈川県茅ヶ崎市出身で九重部屋所属の元大相撲力士。92年にオリプロ入門。
※剛竜馬 1956年3月23日生まれ。東京都新宿区三光町出身、神戸育ち。言わずと知れたプロレスバカ一代。
※平野勝美 1965年9月27日生まれ。千葉県館山市の出身。オリプロではレフェリー兼任。
とても長いので数回に分けて投稿していきます!
これは2011年のこと…
第1回目はマグニチュード岸和田選手。
前から決めていました。
岸和田さんは僕にプロレスラーのイロハを最初に教えて下さった恩人なんです。
まぁ前置きはこれ位にして早速始めさせて頂きます。
まず岸和田さんがプロレスラーを志すきっかけから
プロレスラーになるまでのお話を
岸和田 最初はアニメやな
アニメでタイガーマスクやってたんだよ。それでタイガーマスクが本当にリングに上がってるって言う噂を聞きつけて
それでテレビで当時金曜日の夜8時から
太陽にほえろの裏番組だったかな?
そしたらアニメのタイガーマスクの格好した選手がいたんだよ。
それが凄いんだよ。
とにかく凄い動きをしてて衝撃を受けて
それから毎週テレビで観るようになって。
その時小学校四年生やったんやけど
凄い引き込まれて
それからやな
プロレスラーになろうと思ったんは。
それで当時プロレス大百科っ言う本があって
それを元にトレーニングを開始したんや。
それで中学校に上がる時に
クラブを始めたんやけど
まぁ普通プロレスラーになりたかったら柔道とかやるんやけど
初代タイガーマスクの空中殺法に憧れてたから体操部に入ったんだよ。
それと同時にウェートトレーニングが出来るジムに通い始めた。
って言ってもまだ中学1年やから最初は断られたんや
でも3回目でやっと入れてくれた。
クラブ活動で体操をして
それが終わるとウェートトレーニングのジムへ行くと言う毎日を送っていたんやけど
身長がな~
中学校入ってかなり伸びたんやけど
中学校3年になってピタッと止まってしもうて
俺は中学校卒業したらプロレスラーになるつもりやったんやけど
高校行かんとね
その当時は今と違って情報が入って来なかった。
だから中学校卒業したらプロレスに入るのが当たり前やと思い込んでいたんや。
でその頃UWFが新日本プロレスに上がった時期で
昭和60年の末だったかな?
それで今獣神サンダーライガーをやっている
山田恵一がいたんやけど。
その選手で身長が170センチで
170センチで一番小さかったんよ
俺でその時166センチだったんだよ。
それで絶対無理やなって思って。
とりあえず高校に入って
まぁ半分くらいはプロレスラーになるんは諦めてたんやけど…
またやれたらええなぁと
トレーニングだけは続けていて
その時めっちゃ力強かったねん。
中学3年で既にベンチプレス110キロ挙げてて…
プロレスラーは半分諦めてはいたけど
高校に入って競技のパワーリフティングを始めた。
そのパワーリフティングはベンチプレスで高校日本記録を作って
それで高校卒業して普通に働いていたんやけど
まぁこんな事やっててもしゃ~ないなと思ってて
プロレスは変わらずテレビで見てたんやけど
その時ちょうどインディー団体が出来ていた時期で
FMWとかな。
印象に残ってるんは
中牧昭二がプロレスに入れてくれって直談判して
会場の隅でスクワット千回とかやらされて
あぁこの年齢で出来るんやったら俺もって思って。
ただどの団体も身長制限があってやな。
まぁだから高校卒業するくらいに俺の身長は169センチくらいになってたんだよ
170センチでライガーがプロレスラーになれたんだから
あと1センチ違いやから
ひょっとしたらイケるんじゃないかなと思って来て
ずっとトレーニングは続けていたし。
それで週刊プロレスと言う雑誌で
オリエンタルプロレス新人選手募集と言う記事が
よく見たら身長制限なしって書いてあった。
これは受けようと思って。
その試験に備えて
普段のウェートトレーニングにプラスして一周400メートルあるグラウンドを毎日20周ランニングした。
そしてオリエンタルプロレスの試験を受ける事に
くいしんぼう仮面:「以下くい」
(※オリエンタルプロレスの)入門テストはどこで受けたんですか?
岸和田:生まれて始めて東京に行ったんやけど、東京の八王子ってトコ。
くい: 道場は?
岸和田:八王子から車で10分くらいのところで、初めて迎えに来てくれたのが※松崎さんやった。
くい:その時は岸和田さん何歳くらいやったんですか?
岸和田:二十歳やな。
くい:社会人で会社勤めしてたんは実質どれくらいやったんですか?
岸和田:1年くらい。
くい:入門テストで、試験官はちなみに誰やったんですか?
岸和田:※板倉さん、松崎さん、あと※剛竜馬さんもいたかな?※平野さんもいた。
俺は旗揚げ前(5月)に入って。
でも旗揚げして巡業には連れて行ってもらえなかったんだよ。居残り。
※荒谷さんはオリプロに入ったのは俺より後なんだよ。
くい:え?岸和田さんより入門は後やったんですか?
香川で旗揚げしたんですよね?荒谷さん旗揚げ戦出てましたよ?
岸和田:荒谷さんは(6月に入門)大相撲から来て大抜擢で1ヶ月ぐらいの間でみっちりトレーニングしたと思うんだよね。
デビューは向こうの方が早いけど。
くい:練習生みたいな感じですよね?練習生は岸和田さんだけやったんですか?
岸和田:俺がプロレスラーになろうと思った時は、毎回入門テストやる度に10人とか15人
多い時には20人くらい応募者が来てたんだよ。
柔道何段とか、空手何段とか、スクワットでも何でもみんなデキるヤツばっかり。
アマチュア格闘技で実績あるヤツとか結構来てたよ。
俺が受けたのがオリプロの第1回新人募集やったんやけど、そこからコンスタントに月一くらい入門テストしてて。
やる度に5人10人15人20人って応募者が来てたんだけど、オリプロの練習生で残ったのは俺だけなんだよ。
(トレーニングが)過酷なんてもんじゃなかったからね。
くい:どんな感じやったんですか?
岸和田:基礎体力は自分でもトレーニングしてたってのもあるんやけど。
オリプロのメニューでその時やったのははスクワット500回。
それも並みのペースじゃないんだよ、スピードスクワットやねん。
くい:誰が仕切ってたんですか?それは。実際に試験官も一緒にやるんですか?
岸和田:周りはやらないよ、試験官はやらない。
くい:試験官はやらないんですか!?
え~・・・!!!
岸和田:スピードスクワットがあまりに早いペースなんで足がパンプアップしちゃって・・・
300回過ぎたあたりからみんな倒れだしたんだよ。普通のスクワットなら大丈夫なんやけどスピードスクワットやったから。
ヘロヘロになりながらも何とか意地で最後までやって。
でもその後に待ってるのが、ジャンピングスクワット50回・3セットってのがあって。
もうその時点で足が笑ってたんだよだいぶとね。
みんな何とか号令について行って。
くい:根性ありますね。
岸和田:で、その後に腕立てを50回・3セットだったんだよ。
そしてこの腕立ては反対にめちゃくちゃ遅いんだよ。胸が(床に)付くまでおろして。
くい:キツいっすねー・・・
岸和田:この腕立てがキツい。もう足は笑ってる状態で・・・今思えば恐らくあんなメニューできる人はいないと思うんだよ。
最初から向こうが潰してやろうというような(笑)
くい:舐められたらダメっていう?
岸和田:そういう意味やったと思うんやけど。
スクワットは早く、腕立ては超スローで。普通の理論からしたら全く逆のやり方で。
1セット目までは意地で震えながらやれたけど、2セット目は腕が上がらないんだよ。
できる人間は一人もいないっていう(笑)
くい:ははは(笑)
岸和田:そして、その後に腹筋を100回・2セット。旧式の二人組みでやる、手を後ろで組んで背中まで下ろすやつ。
腹筋はみんなだいたい文句言いながらも何とかギリギリ付いてこれる感じで。
最後にブリッジ3分やって基礎体力はそれで終わり。
そこからスパーリング。
つづく…※以下参照
※オリエンタルプロレス
1990年に活動を停止したパイオニア戦志でエースだった剛竜馬が、新スポンサーを得て再び立ち上げた団体。
1992年7月26日に香川県琴平町営西駐車場特設リングにて、当地の商工会が企画した夏祭りの余興として旗揚げ戦を行う。
小規模なインディー団体の身軽さを利して『出前プロレス』のキャッチフレーズで、日本全国呼ばれればどこへでも赴くスタイルで興行を打った。
※松崎和彦 1969年2月18日生まれ。神奈川県川崎市出身。バックボーンは空手。パイオニアで下積みを経てオリプロでプロデビュー。
※板倉広 1970年2月11日生まれ。東京都江戸川区出身。パイオニアでプロデビューした中では唯一オリプロへ。剛竜馬の一番弟子。
※荒谷信孝 1968年3月7日生まれ。神奈川県茅ヶ崎市出身で九重部屋所属の元大相撲力士。92年にオリプロ入門。
※剛竜馬 1956年3月23日生まれ。東京都新宿区三光町出身、神戸育ち。言わずと知れたプロレスバカ一代。
※平野勝美 1965年9月27日生まれ。千葉県館山市の出身。オリプロではレフェリー兼任。