96年10月に当時所属していたIWAジャパンプロレスが活動停止になった。

その時僕はターザン後藤さん率いる真FMWと言うグループに所属していたが
リーダーの後藤さんを始め雁之助さんや市原さんも新天地FFF(トリプルエフ)に新たな活動を求めIWAジャパンを離脱。

結局僕は後藤さんに連れて行った貰えず…

そのままIWAジャパンに残留することに。

そして年が明け

97年1月に新生IWAジャパンがスタート。

僕はIWAジャパンの正規軍としてと言うより

1若手として再スタート。
そこに来たのがWARを離脱してフリーになった折原昌夫さん。

当時からトンパチと言われていた折原さんの試合はまさに破天荒極まりなかった。

その時の僕は…

とにかく存在感がなく

ただ派手な技をやればお客さんが喜ぶだろうと勘違いした試合ばかりしていた。

当然会社からは全く評価されず…

まぁみんなに馬鹿にされてたんやろな~。

そんな中途半端な僕が

その年の5月に福島の会場で折原さんとシングルマッチで初対戦した。

ハッキリ言ってビビってたね。

何故なら既にウチの選手が何人か折原さんのハードな攻撃で壊されてたから…

しかし初対戦なのに試合は非常にスイングした。
業界的に言うところの手が合うと言うやつだ。

試合後もカブキさんに誉められた。

それから折原さんとは何度も試合で当たる事になる。

つづく…