女性は残酷な生き物だと思う。
幾ら笑顔を取り繕っていても、腹わたでは何を考えているかを覗かせない。
本心からの笑顔なのか、それとは真逆のものを抱えていて、それを隠す為のそれなのか。
女性を表面的にただ眺めているだけでは分からない。
ただ、サインは確実に表情の僅かな機微、体の動かし方、声のトーンに漏れ出ている。

女性はその場、その環境で周囲の人間と協調する事に重きを置いて生きているから、本音で生きていない。
いや、本音を出す事はあったとしても、極めて信頼した限られた人間にしか吐露しないだろう。
常に悪者になるのを避けるように、集団の中で生活してきている。
だから、心の底にある思いを分かって欲しいという気持ちが男より強いのかも知れない。
自分が悪く思われたくないという恐れから、他人に気付いて貰って自分の居心地を良くしようとする。

それは、僕が自分で自分の生きやすさを切り開いていこうとはしない、他者依存的な生き方だとバカにしてきた生き方だった。

でも、そんな自分は他人の気持ちを想像しようとしてこなかった生き方をしてきた。
それは、他人の気持ちを想像すれば自分が自分の生きようとしている生き方を出来ない…それは嫌だ!という恐れからだった。

いつでも、自分至上主義で自分の居心地の良さは自分で確保するものだと、そう思い込んで、そう言い聞かせて生きてきた。
そうならなくなったら自分は自分じゃなくなってしまう…それが恐かった。

今は…結局、どちらが正しいか間違いかは、分からない…。

ただ、そうした二つの異なる生き方が、そうしてそこにあるんだと、静かに眺めて受け止めるだけで良いのかも知れない。

自分はこういう生き方を大切にしているけど、多分、この人はこうなんだろうな…と。

それを自覚する事は寂しい。

自分と他人が違う事を、まざまざと感じさせられるから。
自分とその他人は違う世界観で生きていて、恐らくどちらかが合わせようとしなければ、繋がる事は出来ないのだと分かる。

そうして繋がろうとする時の自分は…どこか寂しさを感じている。
その間は他者の価値観で生きている事を自覚しており、それがそのまま自己否定感に繋がる。

たとえ、そうした自分に好意を持って貰えたとして、その他人は本当の自分を見てくれているわけじゃない事を、自分は知っている。

それが、堪らなく寂しい。

結局、上辺では繋がっているように見えて、心的な距離では寧ろ乖離していく。

相手の価値観と自分の価値観が相反している事を分かりながらも…それを共存させていける対人関係の構築はあるのだろうか。

もっと、自分を…他者を見つめ続けていきたいと思う。