LF1『雄鶏と錨』亭14-1 | 左団扇のブログ

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      第十四章

 とある庭園と乙女に就いて — そして手紙と赤革の箱に就いても

 

    数日がなだらかに過ぎた。アスペンリー卿は礼儀作法の模範の様な人物だった。アシュウッド嬢に近寄る時も、その行儀は常に変わらず、持ち前の優しさが籠もったものだったが、その若いお嬢さんは相変わらず彼の本当の心積もりを知らないままだった。眼の前にいるのは色男気取りの奇怪な老人で、親達が別に早婚でなくても、自分の祖父であってもおかしくない様な相手であり、その気取って上品ぶった態度、ラピー[1] や頬紅(と云うのも、卿は幾らかの魅力を引き出す為に、人工物に頼っていたからだが)、そして、その小柄な身体の上やその周りに、とても正確で緻密に積み上げられた沢山のおめかしやその他の諸々に、メアリーは凝り固まった独身生活の(しるし)しか見て取れず、また、彼女の若い心を惹き付けようとする絶妙な心配りも、単に七十歳前後の色事に()けた独身紳士が時々(たの)しむ、恋愛弓術の射撃練習(ナンパ)位にしか思わなかった。だが、友人のエミリー・コープランドにはアスペンリー卿の優しい振舞いの本質が一目瞭然だった。そしてエミリーはこの幾分纏まりに欠けるドラマにおける他の役者達の、見掛けの役割と実際の立場とをはっきりと見抜き、賢明な乙女らしく自分の心の中で協議し、ちょっとした工夫で、他の役者達の間に入って有利に立てる様な、取って置きの手が打てるかも知れないとの結論に達した。


 しかしながら、ここでこの話の脇役的人物の数人に少しばかり眼を向けなければならない。彼等の介入は主役達の運命に、深く、そして永続的に影響を与えるものであった。


 ベッツィー・ケアリー嬢[2] は天気が好ければ、毎朝モーリー・コートの敷地内を散歩するのが習慣だった。そして、偶然にも(勿論、それは偶然だった)、この朝早い散歩では何時も静かな野原を幾つか過ぎ、垣をまたぎ、小綺麗な場所にはあるものの、手入れのされていない花畑に行き着いた。だが、そこは現在トバイアス・ポッツの統轄の下に、オランダ風の花畑になる様に、徹底的な改善がなされていた。トバイアス・ポッツは今は男やもめで、これまでの人生で二度身軽な独り身に戻っていた。直ぐ前のポッツ夫人は五年位前に失踪し、トバイアスはもう老齢に達していた。フクロウみたいな眼で、顔色は七面鳥だったが、おまけに耳が遠く、そのせいで口数が少なかった。だかしかし、彼は矍鑠(かくしゃく)としていて、姿勢も良く、頑健で、完璧な程に五体健全であり、悪癖も無ければコブ(子供)いない上に二部屋と屋根裏部屋とからなる、こぢんまりとした住居を所有し、結構な俸給を貰っていて、確信を持って噂されている所に拠れば、手元の何処かにかなりの金額の財産を置いているとの事だった。したがって、ケアリー嬢に取ってポッツ夫人と云う地位は、到達する価値があると強く感じさせるものだった。そこで彼女は何の疑いも招かずに(と云うのも、一般的に、若い女性達はポッツを畏怖の念で眺め、若い男性達は蔑視していたからだが)、この様な場合の為に出来て提供されている、意味深長な表現に従えば、トバイアスに自分の帽子を向け[3] 始めた。


 彼の何時もの出没地点で段庭道(テラス・ウォーク)[4] 造営の監督を(せわ)しなく務め、有能な庭師ならではの、簡潔で決定的で明快な指示を出している捜索の対象を彼女は見付けた。「お早うございます。ポッツさん」と、魅力的なベッツィーが言ったが、ポッツ氏の耳には達しなかった。


「お早うございます、ポッツさん」と、その乙女は叫び声に近い程に声を張り上げて繰り返した。


 トバイアスは帽子にぶっきらぼうに手を触れ、挨拶を返した。


「まあ、何て綺麗に仕上げているのでしょう」と、赤土の盛り土をうっとりと見詰めながら、侍女が再び叫んだ。その未完成の形態は芸術家の眼でなければ段庭と見破る事が出来ないものだった。「素晴らしくきちんとしていて、誰もが認める所ですわ、そして、どうやってあなたが思い付いたのかと考えるだけで頭が混乱してしまいます、ホントに優雅ですわ」


 トバイアスは返事をせず、乙女は感傷的な様子で、未だ声を張り上げながら続けた。


「全ての職業の内、大小取り混ぜて沢山ある中で、もしも私が男なら、庭師の仕事よりも前に選びたいものは無いです」


「いいや、そんな事は無いよ、きっと」と云うのが簡潔な返事だった。


「ああ、でもはっきりと断言しますが、私はそのつもりです」と、若い女性が大声で叫んだ。「だって庭師は老いも若きも、何時だってとても陽気で、愛想が良く、若々しい感じなんですもの。ああ、やっぱり私は庭師になりたいですわ」


「でも年寄りの庭師だけはダメだ」と、ポッツ氏がぶつぶつと言った。


「いいえ、やっぱりなりたいです、善良な神様に掛けて誓ってでも」と、娘が固執した。「どっちかならば年取った庭師の方を選びます」(これは大胆な雄弁の発露だったが、ポッツには聞こえなかった)「むしろ年取った庭師になりたいです」と、彼女はもう一度叫んだ。「老若の内、年取った庭師になりたいと、私は思います。


「そいつは私が望む以上だ」と、ポッツが非常に無愛想に、そして滅多に無い程邪険に言い返した。と云うのも、彼は未だ未だ自分は若いと、心密かに信じていたが、それが急速に絶望的なものになって来ている事も、同じ位はっきりと分かっていたからだ。不幸な事に、この瞬間までその特殊な心持ちを乙女は知らずにいた。したがって、これは若い女性を大いに困惑させる転換点となった。取り分け、直ぐ近くを手押し車(猫車)を転がしている、風変わりなズボン姿の若い男の顔に、侮蔑の眼付きを見て取ったと思ったからで、彼女はトバイアスには不十分だが、そのボロいズボンを履いた若者には十分聞こえる声量でこう言った。


「何て馬鹿な年寄りでしょう。あの人をからかうのが何よりの楽しみだわ、全く」。そして作り笑いをし、軽い足取りで屋敷へ戻って行った。


 先に述べた垣に近付いた時、彼女は足元間近の地中で、何か聞き取れないささやき声が聞こえた様な気がした。そんな奇怪な現象にひどく驚き急に立ち止まると、直ぐに強烈なアイルランド訛りで次の様な短い呼び掛けが聞こえた。


「美しくて愛嬌のおあんなさる、テー()ベッツィー・ケアリーさん優しい心の聴いて下され


 声を掛けられた当事者は少し不安に思いながら、声の主の手掛かりになる、何か眼に見えるものが無いか四方八方を見廻したが、何も見当たらなかった。だがやっと、近くの水路の(へり)生えているギシギシ(羊蹄)[5] やその他の雑草が異常に深く繁茂している中から、何か赤いものが現れるのが見え、間も無くそれが勝手知ったるラリー・トゥールの顔付きだとはっきり分かった。


[1]  匂いの強い粗悪な嗅ぎタバコ。

[2]  メアリーの専属メイド。

[3]  「自分の帽子を向ける(set one’s cap at <for>)」とは、女性が男性の気を惹いて結婚しようとする事。フランス語の表現(mettre le cap sur=「に向かう」)からと云う説がある。ただし、フランス語のcapは「針路」の意味。女性がおめかしで帽子を冠り直すからと云う説もあるが、女性ならcapじゃなくてhatだろう。

[4]  庭園を段々畑の様に造り、そこに遊歩道を設けたもの

[5]  タデ科の多年草。ヨーロッパ原産。