この夏もまた、岩手に帰省しました。
私が子供のころ育った町は、無くなったまま。
何かができたわけでもなく、何かが生まれ変わったでもなく、
昔は住宅街だった場所には、ただただ青々とした草が生い茂っていました。
強いて言えば、自然に生えたのか、人の手で植えられたかはわかりませんが、
かわいらしいヒマワリが、たくさん花を咲かせ並んで揺れている光景に、
心癒されました。
十何年ぶりに、かつては日本一と称された防波堤に上ってみました。
遠くで青々とした海が穏やかに波立ち、水面がキラキラ光を反射しています。
この海が、この防波堤を乗り越え、私たちの町をすべて飲み込んだなんて、
いまだに想像もつきません。
町の再生について、予ねて続いた議論は、高台移住で決定したとのこと。
山の斜面が削られて、新しい土地の開拓も始まっていましたが、
実際に町の人たちが元の生活を取り戻すまでには、まだまだ時間がかかりそう…。
故郷を離れてもう13年が経ちました。
ただただバカみたいに都会に憧れ、「こんな田舎、なんにもない」と文句を言い、
高校卒業と同時に、この町を去りました。
大学生活を東京で暮らし、就職で配属された名古屋で暮らし、転勤で静岡に暮らし…。
そこには、かつて幼い私が憧れたほとんどのものがありました。
けれど、その溢れるものや場所の中で生活しながら、
今になって気付くこともあります。
Tシャツのままドブンと潜った綺麗な海や、山ブドウを摘みながら駆け回った野山。
山で拾った胡桃や栗、婆ちゃんのよもぎもち。
子供の頃に死ぬほど食べた、父が採ってきた新鮮なウニやアワビやイクラや。
夕飯に、畑にいって引っこ抜いたネギやじゃがいもや白菜や。
近所の人が育てて分けてくれたお米や。
私の育った町には何もなかったのではなく、すべてがそこにあったのではないかと、
少し大人になって世の中を知った私は、つくづく思うのです。
東日本大震災のあと、至るところで「復興」という言葉を聞きます。
響きは格好いいですが、実際個人にできることはほとんど無く、
「復興させたい」という希望と、「復興させられる」という現実には
あまりに大きなギャップがあり…。
都会での仕事をやめて、復興のために地元に帰った友人知人も何人かいますが、
震災の影響で怪我をしたり病気になったりした親や身内の介護と、
そしてまた自分の仕事探しに追われ、
復興のために帰ったはずなのに、何ができるのか、
日々模索しながら暮らす毎日なのだそうです。
今、自分ができることって何でしょう。
自分も深く考えました。
そして、考えながらいつのまにか2年以上が経ちました。
自分ができることって、ひとまず行動することなのかなって、
何となく自分なりの結論が出せました。
私が気付かされたように、
素晴らしい私の故郷を多くの方に知って頂くべく、
「被災地」としてではなく、純粋な魅力ある土地として、
私が知り得るすべてを発信していきたい。
それが巡り巡って、被災地への何らかの貢献につながったとき、
初めて私たちが「復興」を実感できる日となるのかもしれません。
その日を夢見て、今、また新しい人生を歩みだします。