おはようございます。
前回の記事から一年後くらいになります。
なぜ、一年も間を与えたかというと、悟りはそんなに書くことがないんです笑
悟りとは知識や哲学ではなく、体験だからです。
だから、私が、ここでなにを書こうが、なにをしようが悟る人は悟ります。
しかし、私も悟りの体験を書きたい気持ちがある。
ところが、小悟はたくさんあるけど、大悟は数えるくらいなんです。
なので、読んでもらえるような記事ができるまで少しお時間をいただく必要があるんです。
私は、この一年間、小悟は数知れず、大悟は二、三回くらいだった。
あのね、私の悟りはいつでも悟れるかというとそうじゃなくて、いつ悟れるかコントロールできないの笑
一休さんも同じように、いつでも悟れたわけじゃないんだけど、悟った体験てのは宝なんだよね。
前回の記事にも書いたけど、悟と心が静かになります。
つまり、対象がなくなる。
私という一人称があるから二人称、三人称となるけど、その一人称の私が消える。
私が消えるって言っても生きてるよ?笑
私が見ている世界が消えて、幸福、存在、静寂になる。
そんな境地。
いわば真我だけ。
私は、どこにもいかないし、行けない。
私が、あまねく広がって、全ては真我なんだ。
あなたと私の境目がなく、一つ。
いや、そもそも一つなんだけど、エゴ(我)が個と個とにわけてた。
エゴは私ではありません。
私はエゴではありません。
これは私ではない、これは私ではない、、、
そして最後に残ったもの。
意識が私。
そんな感じ。
また、更新は一年後かもわかんないけど、この記事が誰かのお役に立つなら嬉しいです。
最後に。
自分は悟ったと言ってる人の悟りはまだまだ甘いです。
私はまだまだ甘いです笑笑
けど、今日は記事を書けてよかった。
ずっと書こう書こうと思ってた。
しかし、書けなかった。
今日、この記事を書いて一つ楽になりました。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
また、来年(予定)お会いしましょう。
それじゃ、またね〜!