【1】それでも新しくなるパソコンの基本ソフト!

 1》昔なら新ソフト発売で“大騒動”
 
  1995年11月23日にWindows95が発売されたのは、
  まだ記憶に新しいところです。
  
  その際には特に、表計算に強いExcelを中核とした
  Office95も同時発売され、それがワープロ(Word)の他に
  プレゼンテーションソフト(Power Point)を同梱していたこともあって
  大きな注目を浴びました。
  
  従来のパソコンの主力であった“マッキントッシュ”と、
  ワープロの主役であった“一太郎”を包み込む形
  “大戦争”が仕掛けられたからです。
  
  Windows95の発売日には、電気街のショップに長蛇の列ができ、
  各企業の担当者も『導入するか否か』で、
  企業向け説明会に足を運びました。
  
  大騒ぎでしたが、結局その後、WindowsをOS
  (オペレーティング・システム)として、その上で動く
  Officeセットが圧倒的勝利を収めて行くことになったわけです。


 2》再来しなかった“大騒動”
 
  2007年1月30日、今度はWindows Vista(ビスタ)と
  Office2007が同時発売されました。
  
  しかし、12年という時の経過のせいでしょうか。
  あるいは競争相手がいなくなったからでしょうか。
  新商品発売の喧騒はほとんど見られませんでした。
  
  それどころか、インターネット・サイトを見ると、むしろ
  従来ソフトや現状の周辺機器が
  全て使えるかどうか確認できるまで買うな

  という論調の方が多く、売れ行きまで心配したくなるほどです。
  
  それは、Vista等を導入しなくても、従来のWindowsやOfficeで
  十分役立つし、逆に新しいWindowsやOffice導入の費用と面倒さには、
  無視できないものがあるからでしょう。
  
  ある大企業では、いまだにWord97を社内の標準ワープロに
  指定しているくらいです。
  Word97といえば10年前のソフトですが、
  社内文書作成には大して困らない(?)のだそうです。


 3》見えてくる広い意味での“意外な経営視点”
 
  しかし、なぜOSというパソコンの基礎部分が
  12年間で8回(Windows95/98/98SE/Me/NT/2000/XP/Vista)も
  更新されなければならなかったのでしょう。
  
  そして、それを使う側の私たちとしては、
  どこまでその変化に対応すべきなのでしょうか。
  
  そんなことを考えていると、意外な経営視点にぶつかるのです。


 【2】変化を敵にするか味方にするかを決める要素


 1》ソフト進化の4つの必然
 
  パソコンのOSが“進化?”しなければならなかった背景には
  1.パソコン自体のスピードアップがあります。
  
  そこに、1つの機械ではなく、社内でネットワークを組み、
  更にインターネットの一員になるという
  2.ネットワークの必然性が加わります。
  
  ネットワークは“もっと早くもっと安全に”を求めるので、
  その対応のためにソフトは更に進化する必要があるのです。
  
  その上、そこにテレビや音楽メディアとの融合である
  3.マルチメディア化が加わり、一層の
  4.大容量化が不可避になります。
  
  新しい機能を安全に使おうとするなら進化を受け入れなければ
  ならないのが、パソコン利用者の宿命でもあるわけです。
  
  古いソフト使用の際は、表面的に“困らない”ように見えても、
  インターネットにつなぐと危険な場合もあり、
  見かけだけで油断することはできません。


 2》進化が迫る“経営判断”
 
  ただ、それが目に見える必要であれ、
  別段必要性に気付かないものであれ、
  “新しいモノ”が出現すると、それに“ついて行く層”と“遅れる層”の
  二極分化が生まれる
ことは否定できません。
  
  そしてそれがパソコンのように、
  業務そのものを左右しかねないモノであるケースでは、常に、
  どのタイミングで、どこまで新しいものを追いかけるか
  という問題が付きまとうわけです。
  
  パソコンソフトに限らず、経営環境や業務環境の変化に
  どこまでついて行くか
は、費用対効果を含んだ面倒な“経営判断”を、
  常に私たちに強いているとも言えそうです。


 3》変化を敵にするか味方にするか
 
  しかし、今回の“ソフトの進化”は、
  “経営判断視点”に重要な示唆をくれたと、
  ある社長は言われていました。

  その50歳代のA社の社長は、すでに30年近いコンピュータ愛好家ですが、
  変化を敵にするか味方にするかは“ひとつの要素”で決まる
  言われるのです。
  
  それはどういうことなのでしょうか。