昨日、教育談義に花が咲いた。
そのご家庭では、姉弟で同じ中高一貫に通っている。
ご主人が塾の先生だという。
弟は楽しく通い始めた。
お姉ちゃんが合格したときは、これで安泰だと思っていたが、友達関係が嫌だから高校受験して脱出したいと言っている、という。
安泰なんてことはない。
じゃあ、親は究極のところ見守るしかない。
何周回っても、そこに行きつく。堂々巡りだ。
で、息子の卒業した小学校で低学年から中学校問題というのが浮上しているという。
どこの中学校に入れるか、というのが当面の問題と。
地元の公立では不安。
その小学校の女子は皆中学受験をするから、うちもうちも、という話。
うちの息子が卒業した小学校は、オルタナティブであり、どちらかというと探究型の公立の小学校。
もとは、訓練させたり、勉強漬では子どもは育たないといった理念があったのに、
まちがいなく、既に中学受験予備校のようにも見えてきます(笑)
お母さん方、完全に公立中学嫌がっています。
「そんなに皆公立中学が不安なんだなあ」と少し驚いた。
私は逆に、中学受験をさせることに不安があった。
この貴重な子ども時代に思う存分遊ばせなかったことで後悔したくない。
勉強漬けにしたくなかった。
そして、自分が子ども以上に受験にどっぷりつかって、子どもの成績に一喜一憂する姿を想像してゲンナリしたのだった。
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私には昔年の疑問があった。
なぜ、自分自身、中学受験塾に通い始めたら、急に算数ができなくなったのか。
なんで、自分は大学受験で数学をこじらせてしまったのか。
中学受験塾で、とんでもない怪物に出会った(つまり、あんな難問をいとも簡単に解くという意味で)が、その子たちは偶然にそのようになったのか。
私は親から受け継いだ遺伝子が悪かったのか。私は頭が悪いのではないか(努力ではどうにもならない部分も多い中受算数がゆえに)。
親がもっと小さな頃から難問を解く練習に付き添ってくれれば出来るようになったのか。
どんぐり倶楽部を6年続けて腑に落ちた。
でも、どんぐり倶楽部を続けるにつれて、今度は別の不安が出てきた。
先生や他人の
常に指示
常に管理
常に外圧
常に「次!」
に敏感に反応してしまう。
そして自分の言動が管理指示外圧になってないかが気になって仕方がない。
考えては疲れるのだ。
そして、今でも私は、
「この子自身のエンジンは育っているのか」というところで常に葛藤がある。
私が邪魔しているのではないか、と。
教育談義では、
「どこの学校が面倒見がよいか」
「どこの学校の環境がよいか」
「どこの学校が自主性を伸ばしてくれるのか」
という話になる。
私が中学校に期待することは「拘束しすぎないこと」「遠くないこと」「自由を奪い過ぎないこと」であり、不安の方向はほぼ学校には向かないから、まあ、そんな中学選びとなると、私は蚊帳の外になるんだけれども。
隣で聞いていて、親としての不安という意味では同じだよなあ、とも思うのだった。