いよいよ やっと、実家売却の決済の日取りが本決まりになったので 兄に確認の電話を入れてみたらぜんぜん反応が無い。
二人のきょうだいで代わる代わる電話したが何度鳴らしても出なかった。
いつものように気まぐれで出る気がないんだと最初は高を括っていた。
でも 脚が痛いと言っていたのに翌日の夜になっても電話に出なかった。
電話機の故障を疑って兄の部屋の賃貸の管理棟に部屋を訪ねてもらった。
とても親切に私の話を聞いてくれて兄の部屋の外で電話の呼び出し音の確認もしてもらった。
部屋の中から電話の呼び出し音は聞こえたが人がいるかどうかの気配まではわからなかった と教えて下さった。
こんな時どうしたらいいのかわからなかったので管理のかたに尋ねると
とりあえず まず警察に連絡し合鍵を持ってこちらになるべく早めに駆け付けて下さい とのことだった。
一人で部屋に入るのはやめたほうがいいと言われた事もあり、
家族の帰りを待って家を出ることにし、20時頃に兄の部屋の前で管轄の警察官と待ち合わせをした。
どうか無事であって欲しい・・・みんな心の中でそう思っていた。
到着すると、部屋の窓には灯りがついていなかった。 嫌な予感がした。
部屋の外で先に到着していた若い警察官が私を待っていてくれたので、
合い鍵を渡してから警官の後ろに立ち外から家の中の間取りを案内した。
玄関に入って左側の一つめの部屋には兄はいなかった。
右の部屋に入ってすぐ警察官が はっ!っとした様子に変わった。
「あっ・・・」 「こちらにいらっしゃいます」 「亡くなられていらっしゃるようです・・・」
「あの、どうなっていますか?」 「まるで眠っているようです」 ・・・・
それから警察官に促されて私は兄の顔を確認した。
その後は、部屋の様子から、警察が部屋の様子などを写真に残したり、兄の最近の様子などを聞いてきたりした。
救急車やパトカーが駆けつけて団地がちょっとした騒ぎになっていた。
その時私は 暗い夜の出来事である意味良かったと思ってしまった。
私はとても緊張していてこれからの事を一人でいろいろこなしていかなければならない重責を感じて戸惑っていた。
コロナウィルス感染症も考えて行動しなければならず兄の顏もゆっくり見ることもできなかった。
今 そのことがとても心に引っかかっている、
自分の部屋でひとり亡くなったことで変死ということになり、黒い袋に入れられて搬送され、その後すぐに解剖されることが決まったので
兄との別れがアッという間に決まってしまったからだ。
そして 検死解剖の後は棺に入ってそのまま顏を見ることもなく荼毘に臥された。
兄はたったひとりで逝ってしまった。
運悪く、不動産の決済日はその直後に決まった・・・
(10月10日土)
(10月12日月)