私にとって 兄はいつも心配の種であった。
元々住んでいた東京から父の仕事の関係で引っ越しをしてきたのは今から50年前だ。
東京にいたときには学校が家の近くにあったので良かったが、引っ越しをした為に遠くなり
兄は中学校へ3年間自転車で通学し、私のほうは片道50分くらいの道をせっせと毎日ランドセルを背負って歩いて通学した。
月~土曜日まで週6日。1年生~6年間。
雨の日、雪の日、もう本当に毎日が辛かった。
私はすっかり忘れていたのだが、私が小学校の帰り道 熱を出して歩けなくなって
集団下校中の近所の子におんぶされて帰ってきた事があった、 と、兄が(入院中に降り返り)思い出話しをしたことがあった。
後でそういえばそんなことがあったかもしれない と 後日 何か懐かしく思い出した。
兄は一浪した後に工業系の大学へ進み卒業後は電気機器関係の会社に勤めていたのだが、数年して体調を崩しがちになり
辞めてしまった。
そして家にこもりがちになっていた時に父が他界し、その父が勤めていた会社の知人が再就職を勧めてくれたのだ。
結局、兄を心配し見かねた父の友人が父の勤めていた会社へ話をしてくれたおかげでめでたく再就職できたのだった。
しかし、ここでもまた体調が悪くなると会社への言い訳が始まる事となった。
時には、「母が倒れたので看病の為しばらく出勤できない」とか、言い出すこともあったらしい。
そのような言い訳をして休み出すと 会社を1週間位は休んでいた。 と、母から電話で相談された事もあった。
そして結局その会社も数年後に本社が福島県に移転するということになって、
母は一人暮らしするから会社勤めは続けて欲しいと言ったのに
兄は早期退社でさっさと辞める事を決心してしまった。
私には、すぐに次の勤め先を見つけて働くから、と告げたが 亡くなるまで22年間。
実際はそれっきりひきこもりのような状態になり二度と就職する事はなかった。
あの頃は、本当に情けない長男だと、家族みんなで行く末を心配していた。