ネバーランドを抜け出して
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どんぱ

 戦国末期、集落が出来ては無くなり、人が生まれては死ぬ。人々は貧しかった。明日に希望は無かった。大名が戦をするように、ある群が、ある村が、時には人と人が、明日の生活を賭けて戦った。戦の後に残る物は、勝者の束の間の安息と、敗者の死と絶望だ。
 時は天生十五年、二人の齢十三の少年が、合戦場跡に残る武器や防具を拾い集めていた。それは米に替えられる。
「刀じゃ! 刀! 二助!」
 平次は興奮気味に言った。刀は、槍にして十本、弓矢にして百本の価値がある。基本的に勝利勢が持ち帰ってしまうため拾える事は少ない。
「本当か?」
 二助と呼ばれた少年が驚きの声を上げる。それに答えるように平次は刀を抜き、天に掲げた。
「似合わん。百姓の子が刀を持っても、やはり百姓じゃ。お侍にはなれん」
 二助に鼻で笑われ、平次は不服に思いながら刀を鞘にしまう。
「けれども、それの持ち主は名のある侍なのじゃろうな。侍の命、俺達の命に変えさせてもらおう」
 二助が手を合わせる。彼は妙に義理堅い男だ。墓荒らし――もとい合戦場荒らしという行いの中で、いつも死者へ礼儀を払い続けている。
「俺はあっちの茂みを見てくる」
 平次が言う。
「落ち武者には気をつけ」
 二助が返事をする。
 二人は同じ村の農家の次男だ。兄が家業を継ぎ、自分は養子に出るか、兄の下で一生を終える運命。決められた運命から逆らうように生き方を探し、家の手伝いをする傍ら、合戦場荒らしを始めた。
 平次が茂みを歩いていると悪臭が漂ってくる。死人の臭いには慣れているはずだと不思議に思いながら臭いのする方向に向かう。数十人の武士の死体があった。持ち物は何一つ失われていない。
「二助! 二助!」
 宝の山を見つけ、大声で二助を呼ぶ。
「なんだ?」
 二助の声は遠い。
「刀がたくさんあるぞ!」
「すぐ行く! 待っておれ!」
 二助の返事を聞き、平次は方向を伝えるために声を出す。
「あーあーあー」
「やかましい!」
 二助は言葉通り、すぐに来た。
「これは――たまげた」
 二助は嬉しそうに言いながら手を合わせる。
「鉄砲じゃ」
 平次は死体の懐から、鉄砲を見つける。今までに合戦場を荒らしても、鉄砲が見つかることは無かった。
「とりあえず持ち帰るべ」
 二人は両手と背中の籠を満杯にして、村の裏山の洞窟へ向かった。
 合戦場から持ち帰った荷物は一端洞窟に置き、一定の量が貯まると近隣の豪族の屋敷に持っていく。これが二人の決まりだ。
「鉄砲なんて引き取ってもらえるかの?」
 矢の束を作りながら平次が言う。
「わからん。明日、持って行けばわかるはずじゃ」
 二助が答える。
 当時、火縄銃は一部の力ある大名によって使われている高級な武器であった。その価値は計り知れないが、日本に伝来した当初の金額は一丁千両という現在の価値で言うところの一億程の価値があったという。

「米俵で一つじゃ」
 無表情な門兵が言う。昨日の収穫をもう少し多く見積もっていたため、平次と二助の顔には落胆の色が浮かぶ。
「不満があるのか?」
「いえ、喜びを隠そうと必死なので」
 二人が声を合わせる。ここで不満などと口にすれば、下手をすれば打ち首になる。米俵を担いで村に帰った。
 二人の手土産を見て、村人は顔を上気させる。普段の食事が粟や稗のため、米は豊作の年の収穫期にしか口に出来ない。年に数度の二人の功績は少なからず認められているため、畑仕事をせずに合戦場荒らしをすることが許されている。
 米俵を村に届けて、二人はまた洞窟へ向かった。
「今日は結局持っていかなかったが、鉄砲はどうするかの?」
 平次が鉄砲を手に取る。
「持っていっても価値はわかってもらえんよ。それより――撃ってみたいと思わんか?」
「鉄砲を?」
「そうじゃ。百姓の子は百姓、それが世の決まりだ。じゃが俺達は鉄砲を撃ったことのある百姓になれるぞ」
 二助はにやりと笑う。
「じゃが二助。鉄砲の使い方わかるのか?」
「それは考える」
「考える?」
「おう。鉄砲を作った者は、鉄砲のしくみも、作りも、使い方も考えた訳じゃろう? それならば使い方だけを考えるなど訳無いわ」
 二助の理屈に、平次は関心した。学の欠片も無い農民の家系にも、生活の知恵は根付いている。
「それもそうじゃ」
 二人は洞窟内にある鉄砲に使えそうなものを集める。二人にとって子供の頃からの遊び場だったこの洞窟には、持ち寄ったがらくたが山のようにある。火打ち石、油、鉄砲と一緒に拾った火薬、玉。それらを地面の上に並べて試行錯誤を繰り返す。
「撃つぞ」
「いいぞ」
 不発に終わる。そんなやり取りを幾度と無く繰り返す内に気が緩み、平次が合図もせずに引き金を引いた。その瞬間に耳が痛くなる炸裂音が洞窟に響いた。撃った本人の平次も、隣にいた二助も驚嘆の声を上げる。
「どうやったんだ? 平次」
 平次は手順を二助に教えると、二助の鉄砲も同じように火を噴いた。
「凄い、凄過ぎる」
 二助は興奮が冷めない様子で、しきりに独り言を口にしている。しかし、そんな単純な感激とは違う事を平次は思っていた。
 何故これが戦いに使われるのだろうか。大きな音を立てて、人を興奮させる。鉄砲の使い方は、人殺し以外にもあるのではないか。
 幸か不幸か、火薬は大量にあった。平時は火薬を竹筒に詰めて、線香で作った導火線に火を点けてみる。
 線香が燃えて、竹筒の中まで届いたその刹那、鉄砲の発射音の数十倍とも思える爆音が響く。火薬が燃える様が明るく綺麗だ。
「今のは何じゃ?」
 二助が戸惑う。
「作ってみたんじゃ。名前は「どんぱ」とでも名付けよう」
 平次が言う。
「どんぱ?」
「おう。どん、っと大きく鳴ってから、ぱ、っと綺麗に燃えるじゃろう」
「おかしな名前じゃな」

 翌日から二人は「どんぱ」の研究に明け暮れた。火薬を詰める物を探し、火薬に混ぜる物を探し、導火線になり得るものをかき集めた。
 前に米俵を持ち帰ったこともあり、村人は二人に甘く。日々を遊び惚けても、さほど文句は言われなかった。
 だが、そんな日々は隣村からの合戦の申し込みで終わった。
 当時の村同士の関係は非常に特異なものだった。豊作があれば作物を分けることもあれば貰うこともあった。しかし村が貧困に苦しみ助けが見込めない場合は、合戦という形で相手の村から物を奪うということもあった。決して根には持たない。昨日の敵が今日の友にもなる。昨日の友が今日の敵にもなった。
 平次がその知らせを聞いたのは、ある日の夕餉後であった。
「平次、まだ武器と防具に残りはあるか?」
 平時の父、平造が言う。
「あるけど、何に使うんだ?」
「明後日、隣村との合戦がある」
「そうか、用意しておく」
 平次は内心では嫌だった。合戦となれば死人が出る。合戦場荒らしをしている分、人間の死体を多く見てきた。他人であれば関係無い、だがこの場合死ぬのは、もしかしたら自分の父かもしれないし、兄かもしれない。しかし彼の力では止めようは無く、出来ることは武器と防具の調達、そして自分の村の陣営を有利にすることだけだ。
 翌日、平時と二助は武具を村に運び、洞窟で落ち合った。二人とも武具の調達を大人達に誉められはしたが、自分の村を上げての合戦となると心境は複雑であった。
「合戦じゃな」
「合戦じゃ」
 言っても仕方がない言葉を言い合う。
「俺達は人よりも合戦の跡を見てきた。実際の合戦がどんなものかは知らない。じゃが終わりは決まって無惨じゃ」
 二助が言う。平次は頷きながら、自分と同じ心境の友がいて、少しだけ心強くなる。
「そうじゃな。じゃが止める方法など無い」
 平次は諦めたように視線を外す。
「一つだけ考えがある」
 二助が口にして続ける。
「合戦と言っても、村と村じゃ。大名同士という訳ではない。だから「どんぱ」を使うのじゃ。それで武力の違いを見せつけるのじゃ」
「確かに「どんぱ」は人を驚かせることは出来る。じゃがどうであろう。あの程度の小さな爆発で、大人達を止められるのか?」
「ここにある火薬を全て使い切れば――あるいは――」
 二助が考え込むが、彼の言葉で平次の答えは決まっていた。
「他に方法は無い。作るぞ。「大どんぱ」を――」

 二人は各自の家の許可を取り、洞窟内に泊まり込むことにした。合戦前の忙しさから、二人の言葉を聞かれること無く「勝手にしろ」との許しが出た。
「爆発に色を付けられんかの?」
 平次が言う。初めて「どんぱ」を作ったとき、心から綺麗だと思った。
「とりあえずある物を混ぜてみるかの」
 二助が鋼や銅の削りカスを火薬に混ぜて爆発させてみると、意外な事に不思議な色が出た。これは後に炎色反応と呼ばれるものである。
「綺麗じゃ」
 平次は感動した。きらびやかな物を自分達が作り出している。それは御上だけが許されたことだと思っていた。
「後は大きな入れ物じゃな」
 平次は洞窟内を探る。
「無ければ作ればいい」
 二助が竹を割いて組み、球体を作り始める。平次がそれを手伝い、出来上がる頃には夜も更けて、二人は眠った。

 翌朝、合戦の予定地でもある原っぱへと向かった。
「この辺りが、ちょうど真ん中かの?」
 二助が原っぱの中心に立って両手を空に掲げる。
「そうじゃな。向こうの茂みに櫓を建てて、そこで爆発させてはどうか?」
「それで決まりじゃ」
 櫓を組む作業は問題無く終わった。二人の手先が器用だったこともあり、太陽が沈むことには、全ての準備は整った。
 夕餉を自宅で済ませた二人は、月明かりが照らす洞窟で眠れない夜を過ごしている。明日の合戦を止めることができるのは自分達だけという重圧は、強く二人の心を押し潰す。
「上手くいくかのう?」
 二助が球状の「大どんぱ」をなでる。
「上手くやるのじゃ」
 平次は強がる。
 そして、弱気に負けないようにと、他愛もない話を続けていると二人は眠くなり、どっちが先とも言えないような順番で眠りに落ちた。

「平次! 起きろ! 朝じゃ!」
 平次は二助に起こされる。微睡みの中で、今日が合戦の当日だということを思いだし、一気に目が覚める。
「行くかの?」
「おう」
 合戦予定地に作った櫓の上に「大どんぱ」を乗せて待つ。太陽が高くなり、凄まじい雄叫びと友に、両陣営の村人達が集まった。
「親父じゃ」
 二助が言う。平次も自分の村の陣営に兄一平と父平造がいることを確認する。
 両陣営の代表者が挨拶を終えると、男達は各々に声を上げて、敵へと走り出した。
「始まったぞ」
 二助の合図を聞き、導火線に火を点ける。
「逃げるぞ!」
 火薬を中に編み込んだ導火線がばちばちと音を立て始め、それを見届けて平次は言う。
「おう」
 二助が返事をする。茂みの中を駆けて「大どんぱ」から十分な距離を置いて、地面に腰を下ろす。二人に会話は無い。「大どんぱ」を眺めていると、地面を揺らす爆発音と共に「大どんぱ」は弾け飛んだ。様々な色の火をまき散らし、まるで神聖な何者かの怒りのように。
 それを見た大人達は逃げて去っていく。走りながら念仏を唱えるものまでいる。
 静かになった合戦場跡で二人は顔を見合わせて笑った。
「何か落ちてないかのう?」
 平次が言う
「村同士じゃ。大したもんは見つからんよ」
 二助が返す。
合戦が起こる予定であった原っぱには、何も残っていない。しかし、二人は気付いていた。ここには平和があった。

 戦国末期、人々は貧しく、明日に希望は無い。しかし、二人の笑顔は本物だった。
 戦国末期、人々は貧しく、明日に希望は無い。しかし、救われた命も誰かが止めた戦いもある。
 戦国末期、人々は貧しく、明日に希望は無い。語り継がれない物語が無数にあった。

優しいセカイ

【優しいセカイ】

 目の前には先端の見えない高い壁がある。この壁について私が知っていることは、たった三つだけ。向こう側へは行けない、赤い煉瓦で出来ている、そしてワンダーウォールと名付けられている。それ意外の事は何一つ知らない。
 雪が降りしきる中で、白い息を吐きながら、煉瓦に触れてみる。気温は氷点下を下回ったはずなのに、少しだけ温もりがある。相変わらず不思議だと思う。
 私がこの街に来たのは一週間前、それ以前のことはよく覚えていない。感情が抜け落ちてしまったように悲しみも不安も無く、ただ安らかな時間が流れている。
 この街には私にとって必要なものが全てあった。小さな部屋と、生活に困らないお金を貰える仕事、こんな風に散歩を出来る時間。街の入り口で出会ったギルという男の子が案内してくれたおかげで、何一つ困ること無く、この街での生活を始めることが出来た。
「ララ、ここにいたか」
 近付きながらギルが言う。彼のニットキャップからはみ出た耳たぶが、寒さのせいで真っ赤になっている。
「ねぇ、ギル。この壁の向こう側には何があるのかな?」
「知らない。知りたくもないし」
 ギルはぶっきらぼうに言う。ワンダーウォールについての話を振るとギルは決まって不機嫌になる。その理由は聞いても教えてくれない。
「そうだよね。それで何か用事?」
「そうそう、ララに手紙が来たんだよ」
 飾り気の無い封筒を手渡される。どこを見ても差出人と宛先が書かれていない。
「これって私に?」
 浮かんだ疑問が口をついて出る。
「ララ以外に手紙が来る奴はいないよ」
「なんで? 宛先も無いし、差出人もわからないし、どうして私に来たってわかるの?」
「そう決まってるからだよ」
 ギルの口癖だ。この街に来て、住む場所も、仕事のやり方も、ギルに教わった。そんな中で、ギルは自分にとって都合の悪い質問に、こう答えるという事を学んだ。
「わかった。開けていいの?」
 わざわざ手紙を届けてくれたギルをこれ以上不機嫌にしないために疑問を飲み込んで、話を変える。
「ララが開けたいなら」
 違和感のある答えが返ってくる。
「それなら、暖かい場所で読もうかな」
「部屋? 喫茶店?」
「喫茶店の方で」
 手紙をポケットにしまってから街の方に歩いた。

 この街は小さくて建物が少ない。そのため固有名詞なんてものは最低限あれば足りる。そのためだろう、喫茶店に名前は無い。ただ喫茶店と口にすれば、誰もがこの店を想像する。ギルが紹介してくれた仕事は、この喫茶店の店番だ。
 街の入り口から石畳が続き、煉瓦作りの住宅エリアがある。その先に一業種一店舗だけの商業エリアがあり、ワンダーウォールはその奥にある。
 こういう言い方をすると、街の外を一周回ればワンダーウォールの向こう側へ辿り着けるような気がするが無理だった。私は実際に試してみたが、街の外には百八十度地平線が続く野原があり、その反対側にはもう百八十度分ワンダーウォールがそびえ立っている。私が街の外に出た日、ギルに野原の先には何があるのか聞いたが野原が続くだけだと教えられた。それはギルが見たのかと質問をすると、お得意の「そう決まっている」という返事が返ってきた。
 肌寒い風に縮こまりながら喫茶店に入ると、暖かい空気に体を包まれて溶けそうになる。
「ララちゃん、確か今日は休みをあげたよね?」
 喫茶店のマスターであるバーバさんからカウンター越しに笑顔を向けられる。バーバさんの皺の多い顔に、笑い皺が加わって可愛らしい。
「お疲れさまです。今日はお客さんとして来ました」
「そうかい。あれま、ギルも一緒。もしかして今日は逢い引きかな?」
「そんなんじゃねぇよ」
 逢い引きという言葉の意味がわからずに戸惑っていると、ギルが怒気を含んだ声で答えた。
「まぁ、ゆっくりしていきなさい」
 ギルと一緒に二人掛けのテーブル席に座り注文をする。私のカフェモカと、ギルのアメリカンをバーバさんが運んでくれる。
 砂糖もミルクも入れずにコーヒーを飲むギルを見て、不思議だと思う。値段も大して変わらないのに、甘い飲み物じゃなくて苦い飲み物を選ぶなんて人生を損している。ギルが不機嫌になりそうなので口には出さないが、その代わりに彼をまじまじと眺める。
「なんだよ」
 ギルが言う。
「それ苦いのに美味しいのかなと思って」
「不味かったら金払って飲まない」
 それもそうだなと頷きつつも、内心はギルの味覚を疑った。
「それより、手紙。読むんだろ?」
 ギルは私のポケットを指さす。
「忘れてた」
 バーバさんのカフェモカには魔力がある。口に含んで甘いチョコレートの香りを嗅ぐと、幸せに包まれて他のことを考えられなくなる。
「ボケるなら順番があるだろ。バーバより先にボケてどうすんだよ」
 バーバさんが苦笑いしている。私はギルの言葉を無視して、ポケットから取り出した封筒を開く。二つ折りにされた飾り気の無い便箋を広げる。
 ――覚えていますか?
 汚いが一生懸命書いたと伝わる字で書いてあるのはたった一言だけ。差出人の伝えたいことがわからない。けれど直感で、この手紙の送り主は、私に大切な何かを伝えようとしていることだけはわかる。
「読み終わったか?」
 ギルが心配そうに私の顔を見る。
「一応ね」
 ギルの心配を無くすために空元気を出して返事をする。
「手紙の意味、わかったか?」
「正直わからない」
「そっか」
 ギルは複雑そうな表情を作り、コーヒーカップに口を付けた。
 喫茶店を出てギルと別れ、部屋に帰る。机とベッドと最低限の着替えがあるだけの無機質な空間。白を基調としたカーテンからは清潔感が漂い、汚してはいけないような脅迫観念に駆られる。
 シャワーで一日の汗を流し、ベッドに寝転がって、さっきの手紙をもう一度読み返す。やっぱり意味がわからない。その内容を暗号パズルのように解こうとしたり、光に透かしたりと試行錯誤を続けていると、だんだん瞼が重くなって目覚ましをセットして布団に入った。

 昨日の手紙が気になり、仕事に集中出来ないままに昼休みを迎えることになった。カウンター席の端に座り、賄いとして出して貰ったピザトーストとカフェモカで一時の幸せを感じていると、入り口のドアが開く。
「バーバ、例の娘って今日いる?」
 店に入ってきたスーツ姿の綺麗な女の人が言う。
「ララのことかい? そこに座ってるよ」
 バーバさんの返事を聞いて、その女の人は私の隣に座った。
「私、リュレ。ギルから君の話は聞いてたんだ。よろしくね」
「私はララです。よろしくお願いします」
 リュレさんは私の顔を覗き込むようにして頷く。
「ララちゃんって可愛いね。ギルも頑張る訳だ。納得した」
 突然の誉め言葉に戸惑う。
「いきなりごめんね。驚いちゃったよね」
「いいえ、大丈夫です」
 言ったものの何が大丈夫なのか自分でもわからない。リュレさんは笑顔を浮かべたままで、コーヒーを注文した。
「すみません。私、もう休憩終わるんで」
 リュレさんに言う。
「いいわよ。いつも頑張ってくれてるし、そんなに忙しい訳でもないんだから、ゆっくりお話しなさい」
 バーバさんに言われ、好意に甘えることにする。
「リュレさんって何をしてる人なんですか?」
「まぁ――堅い仕事かな」
 仕事については話したくなさそうな雰囲気だったので、違う話題を探す。
「それよりララちゃんのこと聞かせて。この街での生活とかさ」
「まだ来たばっかりなんでわからない事たくさんあるんですけど、毎日楽しいです」
「良かった。ワンダーウォールには行った?」
 リュレさんは珍しい。基本的にこの街の人はワンダーウォールを当たり前のように存在していて、なおかつわざわざ会話に出す訳でも無いものとして扱っている。まるで空気のように。けれどリュレさんは自らの口からワンダーウォールの話題を出した。
「行きましたよ」
「どんな感じだった?」
「温かかったです」
「そっか。きっとララちゃんは幸せだよ」
「なんでですか?」
「そう決まってるからよ」
 ちぐはぐな会話が続く。リュレさんの口から出てきた「そう決まっている」という言葉で、ふとギルを思い浮かべる。けれどギルとは違いリュレさんの言う「そう決まっている」には大人の秘密というニュアンスがある。
 暫く他愛もない会話が続き、リュレさんが店を出る。
「またね、ララちゃん」
「はい。また」
 そして私は仕事に戻った。
 働いている途中で、いきなり強い頭痛に襲われる。
「ララちゃんもしかして具合悪い?」
 バーバさんから心配そうに言われる。
「大丈夫です」
「顔を真っ青にして大丈夫なんて言っても、真実味ないよ。いいから、少し休んでいなさい」
 さっきも休憩を長くもらったため、これ以上バーバさんに迷惑をかけたくないという気持ちがあり、その申し出に断ろうとした。けれども言葉を口にする前に意識が遠のいて、目の前が真っ暗になった。

 傍観者の私、観察対象の私、二人の私がいて、そのどちらもが私自身だ。朧気な残像と共に恐怖がやってくる。それを他人事のように眺めている。
 暗闇の中、起きている事を確認しようと近付くと、眩しい光に包まれた。

「大丈夫か?」
 ギルの言葉で目を覚ます。ここはどこだろう。私は横になって、暖かい毛布に包まれている。
「うん、多分」
「そうか。おい、バーバ、ララが起きたぞ」
 ようやく思い出す。私は仕事中に気を失って、おそらくバーバさんにこの場所に運んでもらったのだろう。
「ララちゃんは病み上がりなんだから、そんな大声を出すもんじゃないよ」
 バーバさんは言いながら、ゆっくりと私のそばに近付く。
「すみません。ご迷惑おかけして」
「気にしなくていいよ。それより落ち着いたみたいで良かった」
 バーバさんから笑顔を向けられる。
「今日はもう上がっていいから、家でゆっくり休みなさい」
「はい。ありがとうございます」
「ギル、ちゃんと送ってあげるんだよ」
「言われなくてもわかってるよ」

 雪の積もった石畳をギルと二人で歩く。時折、まだ誰にも踏まれていない新雪がサクサクと音を立てる。
「私ってここに来る前、何をしてたのかな?」
「そんな事、俺が知る訳ないだろ」
 ギルが苦笑いを浮かべる。
「私、夢を見たんだ」
「どんな?」
「真っ暗で何が起こっているのかわからないけど怖いの。不安で、それに押しつぶされそうで、でも何故か昔に体験したような気がする。そんな夢」
「そっか」
 ギルが俯く。
「ゆっくりでいいんだからな」
「どういう意味?」
「言葉通りだよ」
 ギルが視線をワンダーウォールに向ける。その目の焦点は、ワンダーウォールの向こう側が見えているかのように合っていない。
「辛かったら呼べよ」
「わかった。ありがとう」
 部屋の前でギルと別れた。
 シャワーを浴びて、夕飯を食べて、いつも通りベッドに入る。ここに来る前に何があったんだろうか、という漠然とした疑問が思い浮かぶ。はっきりと、何かがあった事はわかる。けれどその先がどうしてもわからない。明日誰かに、私がこの場所に来た時の事を聞いてみようと決めて、それ以上考えることをやめた。

 喫茶店に呼び出していたギルが、テーブル席で退屈そうにコーヒーカップを眺めている。仕事が終わりギル向かいに座る。
「お待たせ」
「待ち疲れた。それで何?」
「私がこの場所に来た時ってどんな状況だった? それに私についてギルが知ってる事教えて? あとは――」
 ギルが掌を私の前で振る。
「そんな一気に質問するなよ。頭がこんがらがる」
 それもそうだなと納得して、一つづつ質問をする。
「――って感じだな」
 ギルの話でわかったことは一つだけ、私自身に関することは何もしらない。ギルにわかることは全て、出会ってからの私について。当たり前のことだが少し不服だ。
「何でもいいから教えてよ」
「だから無理って決まってるから」
 ギルとの口論が続く。私が理不尽な事を言っているのはわかっているが、引っ込みがつかない。
「私が教えてあげようか?」
 会話を聞いていたリュレさんが口を挟む。
「おい、リュレ」
 何故かギルがそれを窘めるような素振りを見せる。
「いいでしょ。本人が聞きたがってるんだから」
「はい。お願いします」
 ギルが何かを言い出す前に、リュレさんに言う。
「もういい。帰る」
 ギルが怒って帰ってしまった。私とリュレさんの二人だけがこの場に残る。
「私に教えてあげられる事は一つだけ。どんな事でも教えてあげるけど、ララちゃんの出来る質問は一つ。わかってくれる?」
 リュレさんの言葉に頷く。
「何が知りたい?」
 リュレさんの瞳が私をのぞき込む。
「出来る質問って一つだけなんですよね?」
「ええ、そうよ」
「今夜一晩だけ考えさせてもらってもいいですか? 一回だけのチャンスなら、大切に使いたいんで」
 リュレさんは少し悩む。
「仕方ないわね。また明日来るわ」
 言いながらリュレさんは喫茶店を去った。
 私は店を出てからワンダーウォールに向かった。自分が出せない答えが、何故かこの場所にある気がしたからだ。近付くとギルの姿が見える。珍しく深刻な表所でワンダーウォールを眺めている。
「なんだよ」
 ギルの横顔を眺めていると、振り向きもせずに言われる。
「なんでもない」
 言いながらギルの隣に腰を下ろす。
「リュレに何を聞いた?」
「何も聞いてない。明日まで待ってもらってる」
「そうか」
 ギルの口調が少しだけ柔らかくなる。
「本当に――本当に思い出したいのか?」
「うん。自分のことだもん」
「そうだよな」
 暫く沈黙が続く。
「明日の夜、この場所にいるからさ。だからリュレには聞かないでくれよ」
 ギルの言葉には重みがある。必死なメッセージを伝えようとしていて、でも言葉に出来ないもどかしさのようなものが伝わってくる。
「なんで?」
「それは言えない」
「そう決まってるから?」
 ギルは笑って頷いた。

 部屋で一人考える。私の欠片が居場所を失いさまよっているように感じる。そのパズルのピースにも似た記憶を組み合わせていくと、徐々に今までのことを思い出せた気分になる。私自身を形作っていたものが溢れだしてくる。
 テーブルの上に一通の手紙を見つける。前と同じ差出人無しの封筒を開く。
 ――愛していました
 この手紙を書いた人は前回の差出人と違うのだろう。几帳面だが優しさの溢れる字、それと前回の手紙を比べてみる。
 ――覚えてますか?
 ――愛していました。
 パパとママの字だ。そうわかった事が連鎖して、今までの記憶が一気に蘇る。優しい――とても優しい時間が流れていて、そして私は。
 何度考えても私がこの場所に来る直前の事を思い出せずに、気が付けば夜が明けていた。

 お昼のピークが終わり休憩に入ると、すぐにリュレさんは来た。
「一晩考えて答えは出た?」
「はい」
「じゃあ言ってごらん」
 リュレさんは軽い準備体操とばかりに首を回す。
「答えはいらないです」
 リュレさんが怪訝な顔をするが、すぐにその表情は微笑みに変わる。
「そう、本当に良いの? このタイミングを逃したら、もう二回目は無いよ」
「いいんです」
「わかったわ。じゃあ、さようなら」
 リュレさんはコーヒーを飲み終えるとすぐに喫茶店を出た。私も休憩が終わり仕事に戻る。
「ララちゃんは、何か掴めたのかな」
 バーバさんに話しかけられる。
「わからないですけど、ギルが――」
「ギルがどうしたの?」
「リュレさんには聞かないでくれって言うから」
「そうかい」
 優しい笑顔を向けられる。
「リュレさんに迷惑かけちゃいましたよね」
「気にしなくていいんだよ」
 一息置いてバーバさんは言葉を続ける。
「リュレが教えられるのは回答って意味の答えなんだよ。それでララちゃんに必要なのは応じるって意味の応え。それをくれるのはギルだっただけだよ」
 心が少し軽くなる。
「――」
 バーバさんの言葉はよく聞き取れない。
「何ですか?」
「わからなくていいのよ。私が言っておきたかっただけだから」
 その後は他愛の無い会話をしながら仕事を続けて、上がりの時間が来る。
「お疲れさま。ありがとうね」
「こちらこそ、ありがとうございました」

 待ち合わせをしたワンダーウォールの前に急ぐ。なんとなくギルはもう既に着いている気がした。その予感は当たり、肩を縮ませながらギルは私を待っていた。
「来たか」
 ギルは嬉しそうに言う。
「うん」
 力強く答える。
「いきなりで驚くかもしれないけどさ――俺は、いわゆる天使なんだ。アルバイトだけどな」
「どういう意味?」
「言葉通りの意味だよ。いいから信じろ、話が進まない」
「わかった。信じる」
「今、ワンダーウォールが見えるか?」
「うん」
「実はそんな物ないんだよ」
 ギルの言葉が響き、あったはずのワンダーウォールが跡形もなく消える。
「ララは交通事故で死んで、ここは命の終着点。自分の死が納得いかない人が、それを受け入れるための街」
「それで?」
「期間は十日間だけ、その間に全てを受け入れるか、リュレみたいな奴に記憶を作ってもらうかして、それが終われば向こう側へ行ける」
「ララのお父さんもお母さんも向こう側にいるから、心配しないで行きなよ。あの手紙、誰から来たのか気付いたんだろ?」
「なんでわかったの?」
「天使だから――ってのは冗談でリュレに答え貰わなかったんだろ? それだけでわかるよ」
「そっか」
「聞いておきたいことあったら全部教えてやるよ」
「絶対、向こう側に行かなきゃいけないの?」
「心配するなよ。お前らの言う天国って場所だからさ。ってか地獄なんて無いんだけどね」
「じゃあギルは何で私に優しくしてくれたの?」
「そう決まってるからだよ」
 ギルの視線が泳ぐ。
「嘘でしょ? ただの決まりなら、リュレさんの一件にも口挟む必要無いじゃない」
「やっぱ思い出せないか」
 ギルが寂しそうに俯く。
「教えて」
「お前と俺、付き合ってたんだよ。俺は一足先にここに来て、お前の事を待ちたくて、天使のバイト始めて、ずっと待ってたんだよ。そしたらこんなめんどくせぇ死に方しやがって、人の気にもなれ」
 ギルの言っていることの半分以上は聞いていなかった。そう、私とギルは付き合っていた。ギルが死んじゃってその悲しみも、この場所で封印されてしまっていたのかもしれない。
「ごめんね」
 涙が頬を伝う。
「気にすんなよ」
 ギルは優しく微笑む。
「ギルと一緒には向こう側に行けないの?」
「わからねぇ」
 それ以上、ギルは口を開こうとしない。
「どうしても行かなきゃいけないんだよね」
「ああ」
 ギルの目は充血している。
「色々、ありがとう」
「好きでしたことだよ。またな」
 ワンダーウォールが消えた向こう側へ歩き出す。優しい光に包まれて、感覚が遠のいていく。

 目を開くと階段がある。これを上れと言うのだろうか。とりあえず他に出来る事も無く。階段を一歩一歩と上る。
「おい」
 ビルで言うところの五階分程までの高さに来て声が聞こえる。振り向くと息を切らせながら走ってくるギルの姿がある。
「なんで?」
「いや、あのな。天使、クビになった。俺、ララに昔の事話しただろ? あれ言っちゃいけない決まりで、天国送りになった」
 喜びがこみ上げてくる。もしも神様がいるのなら感謝をしてもいい。確かに理不尽な死に方をした私だけど、死後の世界っていうのは、こんなにも優しいものだった。
「ほら行くぞ」
 ギルが私に手を差し伸べる。私はその手を取り、赤く染まる頬を悟られないようにそっと俯いた。

ボードレールに憧れて

【怠惰の獣】
 歳の頃、二十過ぎにして、日がな怠惰を貪る獣。朝日の定義の外れる時の頃、窓より差し込む日差しにまどろみを破壊され、過睡眠の頭痛を抱えつつも布団を出る。
 居間に降りて、魔法瓶の温くなった湯でインスタアントコーヒイを作る。それを胃に流し込む。覚める、醒める。現に体が落ち着いていく。薄くぼやけた視界が、徐々にくっきりする。
 髭を剃り、髪を整え、着古したデニムで家を後にする。小生の課題にあるは、はな、帰る場所は家であるか、外であるか、社会であるか。答えが見えずに目下当たり障り無く、家に帰るところに落ち着いている。
 太陽は高く、しかしながら下校の中学生が見える。あの頃に真っ当を選んでいれば、小生はこの場所にはいなかってのではないか。過去にもしもを問いかけて、答えの無い哲学思想に耽る。
 明日も変わらぬ、明後日も変わらぬ、もしや一週間も変わらねば、一生変わらぬままではないか。不安に駆られ変革を求める。しかし変革の方法が見えぬ。
 日が暮れて、夜が更けて、そして帰る場所に戻る。帰る場所は家で無く社会であれば。それが出来ぬは怠惰の獣。
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