46年前の今日はフランクザッパ&マザーズ@京大西部講堂。

あまりにもみすぼらしい半券は捨ててしまった・・・たしか上記ザッパのイラストがもぎられて半分だったと思う。

74年に郡山ワンステップフェスティバル、75年にワールドロックフェスティバルを主催した内田裕也さんが次に仕掛けたのはフランクザッパの日本への招聘だった。

どのプロモーターも無しえなかったのを費用の一部をザッパ側が負担、オーストラリア公演の帰りに日本に立ち寄るというものだった。メインは「浅草最大のロックショー」への出演で日本のバンドとの共演だった。

1月31日朝来日、昼から記者会見で翌日が「浅草最大のロックショー」と慌ただしかった。

その後3日大阪厚生年金会館、5日日本青年館の間に京大西部講堂が組まれた。

「浅草最大のロックショー」のプログラムは西部講堂でも売っていて600円だった。

何とこの中に共演した四人囃子も載っているのだが何故かメンバーの子供の頃の写真。

ある時この画像を岡井さんに見せたら「おぉ~!!この写真ウチの嫁さんでも見た事無い。」(笑)

で、4日の西部講堂、チケットをどうやって入手したのか覚えていない。友達に買ってきてもらったのだと思うが高校一年生でザッパの難解な音楽が理解出来るのか不安だった。一応最新作の「狂気のボンゴ」はじめロキシーのライブやリプリーズ移籍後のアルバムは数枚聞いて臨んだ。

入口の前には地べたに座り込んだお兄様お姉様が一升瓶抱えて酒盛りしていた、2月の寒空の下。内一人の女性に声を掛けられたがそそくさと中へ。既に満員で椅子には座れなかったので後ろに畳が積まれていたところにもたれ掛かって立っていた。開演時間を10分ほど過ぎた頃裕也さん登場。

「東京、大阪と演ってきて共演が多いので演奏時間が短いとザッパが怒ってます!ですので今日はフランクザッパだけの演奏にします。」場内大歓声。入れ替わりにメンバー登場しいきなり演奏開始。

”Inca Roads”だったのは後で知った。そしてウワサには聞いていたが演奏の終わりになるとザッパがジャンプし着地したら次の曲に変わってる!!(@_@) 殆ど途切れず次々と演奏、ブレークしたのは演奏開始して時計を見たら90分経っていた!

5人だけのシンプルな構成だったが何とベースがローウェルジョージが脱退しリトルフィートを組む時に一緒に辞めたロイエストラーダ。この後に加入するパトリック・オー・ハーンやアーサー・バロウのような超絶技巧は持ち合わせていないものの、堅実なプレーと例のハイ・トーン・ヴォイスは健在で嬉しかった。リトルフィートを辞めた後ミュージシャンを辞めて工場で働いていたのをザッパが再度引っ張って復帰させたらしい。しかしこの翌年捕まって二度と彼の演奏を聴くことが出来なくなったので非常に貴重だった。そしてドラムがこの後U.K~ミッシングパーソンズで活躍するテリーボジオ。上記のようにいきなり90分叩きっぱなし、トンでも無いヤツとその時から思ってた。

次のアルバム「Zoot Allure」に大阪のライブが収録された”Black Napkins”はフルだとナポレオンマーフィーブロックのサックスソロが素晴らしい。「狂気のボンゴ」からの”Advance Romance”は直ぐに分かったが初来日ということもあってか”Freak Out Medley”を演ってくれたのは感激した。

アンコール3回、5曲まで全20曲以上、3時間半。多分今まで何千回とライブを見ている中で3本の指に入る素晴らしいライブだった。ツアー・スタッフ自ら「近年で最高のパフォーマンス」と絶賛する程だったらしい。

ザッパが設立したBarking Punpkingからカセット2本組でこの時のライブが発売され一時京都の完全版ブートがCD-R4枚組で出ていたが今は大阪、京都2枚ずつのしか入手出来ないみたい。