性懲りも無く三国志。
前回
劉備軍は南蛮を滅ぼしました。
<曹操VS孫権>
益州では、「劉備VS南蛮」が行われてはいたが、おおむね平和だった。要所要所を名将・強兵が守っていたので。
しかし、それ以外では苛烈な戦闘が行われていたようだ。
孫策亡きあとを継いだ孫権の器量不足なのか、孫権軍は曹操軍に押されっぱなし。
また無意味な長征を繰り返しては惨敗。><
「江夏・ロコウ」を主戦場としていたはずが、いつの間にやら「柴桑」と「建業?」へ。
兵数も、曹操軍65万に対して孫権軍27万と、もはや勝負にならない感じ。
連敗につぐ連敗で、孫権の領土が「南方4郡」のみに。兵数も曹操90万、孫権8万・・・・。
この時点で異民族「羌」も滅ぼしていた劉備は、孫権に使者を送って全面的な支援を約束。
(劉備軍50万)
<支援内容>
①「永安」より「江陵」を曹操から奪い返し。
②「桂陽」を死守し。
③「柴桑」の攻略を支援。
①の
「江陵」攻略戦は、かつて無いほどの厳しい戦いになった。「江陵」の曹操軍15万。劉備20万。
当然、幻術・妖術は使用不可。相手の大将格は、あの泣く子も黙る「張遼」。
援軍につぐ援軍(双方とも)で、兵法兵法また兵法の兵法応酬&一騎打ち。
半年以上に及ぶ戦闘の結果、劉備軍の勝利に終わった。(耐久減らしじゃなくて完全ガチンコ)
が、戦後の劉備軍の総兵数15万+負傷兵15万。
(徴兵・輸送を繰り返してるので、実質20万以上の兵は戦死しているはず)
曹操軍はもっと酷くて、総兵力60万(負傷兵を含めて)を切っていたので30万以上の戦死が確定。
今回の戦闘では、曹操軍の「李典」が一騎打ちに敗北後、「超雲」の奮迅を食らって戦死。
また劉備軍の抜擢武将が2名捕虜になったあとに曹操軍に寝返り。(1名は後日、再度捕虜になり斬首)
劉備軍の「冷苞」も曹操軍に捕らえられ斬首。><
そして、、、、、
一騎打ちに応じてきた「曹操」が、
劉備軍の抜擢武将「呉圓圓:武力97」に負け、
隊が殲滅時に捕虜となり・・・・・。
「斬首」\(゜□゜)/
曹操所有の名馬「爪黄飛電」は、ターン直前に人質と交換になったばかりであった・・・・。
こちらの兵力(北の防衛に必要な分を除く)がもはや補充できない状態で、最期の1日に兵法炸裂で攻略。これ以上はもう無理・・・撤退しか・・・と思っていた時の、最期の一撃(飛射)は最高でした。
「江陵」を奪取したものの、戦力に余裕無く。
②5万の兵だけを「長沙」・「桂陽」近辺の陣に置いて、南方4郡の防衛とし、あとは戦後の復興に着手
。
③の話は無い。
*復興中に、北の「陽平関」に曹丕軍が襲来。11万の兵で守りきれるかと思いきや・・・。馬超隊殲滅。超雲隊殲滅・・・。(援軍も+6万程度あったが、次々襲い掛かる兵法に・・)
かなりの大損害を受け、関の兵数1万を切った段階で和睦の使者が「曹丕」の元へ到着。何とか和睦が成り、関は守られた。
油断をしていたわけではなかったが、まさか馬超・超雲の3万x2が袋叩きにあって殲滅するとは・・。
和睦の使者のタイミングがあと1ターン遅かったら間違いなく落とされていただろう。
この「陽平関」の戦いで、1名の抜擢武将を捕らえ斬首(江陵攻略戦で裏切ったやつね)。また、大逃亡時代に戦場で裏切った「荀彧」を捕らえ、こちらも斬首に処した。
前回
劉備軍は南蛮を滅ぼしました。
<曹操VS孫権>
益州では、「劉備VS南蛮」が行われてはいたが、おおむね平和だった。要所要所を名将・強兵が守っていたので。
しかし、それ以外では苛烈な戦闘が行われていたようだ。
孫策亡きあとを継いだ孫権の器量不足なのか、孫権軍は曹操軍に押されっぱなし。
また無意味な長征を繰り返しては惨敗。><
「江夏・ロコウ」を主戦場としていたはずが、いつの間にやら「柴桑」と「建業?」へ。
兵数も、曹操軍65万に対して孫権軍27万と、もはや勝負にならない感じ。
連敗につぐ連敗で、孫権の領土が「南方4郡」のみに。兵数も曹操90万、孫権8万・・・・。
この時点で異民族「羌」も滅ぼしていた劉備は、孫権に使者を送って全面的な支援を約束。
(劉備軍50万)
<支援内容>
①「永安」より「江陵」を曹操から奪い返し。
②「桂陽」を死守し。
③「柴桑」の攻略を支援。
①の
「江陵」攻略戦は、かつて無いほどの厳しい戦いになった。「江陵」の曹操軍15万。劉備20万。
当然、幻術・妖術は使用不可。相手の大将格は、あの泣く子も黙る「張遼」。
援軍につぐ援軍(双方とも)で、兵法兵法また兵法の兵法応酬&一騎打ち。
半年以上に及ぶ戦闘の結果、劉備軍の勝利に終わった。(耐久減らしじゃなくて完全ガチンコ)
が、戦後の劉備軍の総兵数15万+負傷兵15万。
(徴兵・輸送を繰り返してるので、実質20万以上の兵は戦死しているはず)
曹操軍はもっと酷くて、総兵力60万(負傷兵を含めて)を切っていたので30万以上の戦死が確定。
今回の戦闘では、曹操軍の「李典」が一騎打ちに敗北後、「超雲」の奮迅を食らって戦死。
また劉備軍の抜擢武将が2名捕虜になったあとに曹操軍に寝返り。(1名は後日、再度捕虜になり斬首)
劉備軍の「冷苞」も曹操軍に捕らえられ斬首。><
そして、、、、、
一騎打ちに応じてきた「曹操」が、
劉備軍の抜擢武将「呉圓圓:武力97」に負け、
隊が殲滅時に捕虜となり・・・・・。
「斬首」\(゜□゜)/
曹操所有の名馬「爪黄飛電」は、ターン直前に人質と交換になったばかりであった・・・・。
こちらの兵力(北の防衛に必要な分を除く)がもはや補充できない状態で、最期の1日に兵法炸裂で攻略。これ以上はもう無理・・・撤退しか・・・と思っていた時の、最期の一撃(飛射)は最高でした。
「江陵」を奪取したものの、戦力に余裕無く。
②5万の兵だけを「長沙」・「桂陽」近辺の陣に置いて、南方4郡の防衛とし、あとは戦後の復興に着手
。
③の話は無い。
*復興中に、北の「陽平関」に曹丕軍が襲来。11万の兵で守りきれるかと思いきや・・・。馬超隊殲滅。超雲隊殲滅・・・。(援軍も+6万程度あったが、次々襲い掛かる兵法に・・)
かなりの大損害を受け、関の兵数1万を切った段階で和睦の使者が「曹丕」の元へ到着。何とか和睦が成り、関は守られた。
油断をしていたわけではなかったが、まさか馬超・超雲の3万x2が袋叩きにあって殲滅するとは・・。
和睦の使者のタイミングがあと1ターン遅かったら間違いなく落とされていただろう。
この「陽平関」の戦いで、1名の抜擢武将を捕らえ斬首(江陵攻略戦で裏切ったやつね)。また、大逃亡時代に戦場で裏切った「荀彧」を捕らえ、こちらも斬首に処した。