<大逃亡:後期>


南方4郡をGET後、全武将を移動。「新野・西城」の兵は、劉備と超雲が南方へ移動(長蛇)。


南方4郡にて、全武将で徴兵、訓練、探索。劉備・超雲の到着を待つ。



が・・・。



超雲は劉ショウの領地を華麗に通り抜けて到着したにも関わらず、劉備が・・・・。





江州からの攻撃を受け、仕方なく劉備は江陵方面よりの移動を余儀なくされる。現時点では劉表は中立なので何とかスルー・・して欲しい。。


その頃、「江陵」では劉表軍と孫策軍が戦闘を行っていた。



嫌な予感しかしなかったが・・・・。



案の定、劉備は何故か「江陵」を攻撃・・・。長蛇の陣で、敵接近でも無視にしといたのに・・・。


しかも城に張り付いて命令を聞かない状態><


結局、2万の兵が8千台になったところで城から離れて、南の港を占拠。負傷兵の回復を待って長沙へ。



色々あったが、これで全軍・全武将が集結。^^


ここから統一がんばるぞ~~・・・・・・・・・と思ったのも束の間。



孫策軍襲来!!



こちらの総兵力は5万。孫策軍は舟で4万。港は守るに適していないし、水軍能力のある武将がいない・・・。

さらに「柴桑」から「桂陽」へも数万の軍が進行中と判明。


自軍の総兵力5万。局地戦で数回勝っても、既に総兵力45万!!の孫策軍に抗しきれるか・・・。



迷ったが、決定は「撤退」。


残っていた空白地「交趾」への全軍撤退を命じたのだった・・・・。





<閑話休題>

今回の孫策軍は異常に好戦的かつ神速だった。

「寿春」への侵攻も速攻だったが、その後すぐに「江夏・新野・江陵」と落として、劉備軍が南方4郡を落とした直後には、劉表を降伏させていた。


そして間髪入れずに「長沙・桂陽」への進撃。更には「許昌」(曹操軍)への攻撃まで行っていたようだ。(許昌は落とせず)


最大事の兵力56万強。同時期の曹操35万。袁紹45万。をはるかに凌いでいた。



まさに小覇王孫策。



しかし彼は非業の死を遂げる。



「寿春攻防戦」(曹操VS孫策)において、曹操軍に敗退。捕らえられて斬首された。斬首された年はチェックし忘れたが、開始から5年はたっていなかったはずだ。


本当にあっけない最期だった。


そしてこれを気に形勢は逆転。



曹操軍は馬騰を降伏させ、袁紹を残り2都市(兵力5万程度)まで追いやり、孫権軍の領土へと侵略しはじめるのだった。