みなさん、こんにちは。
カラーズ・ビジネス・カレッジ(CBC) の高田裕子です。
「週刊SPA!」の特集記事「早死にしない生き方」に、前職の同僚、高山知朗さんのインタビューが掲載されました。8年間の闘病について、短い文章でコンパクトに、わかりやすく書かれた取材記事です。サイト記事はこちらから。↓
3年前にブログでご紹介しましたが、前職の同僚、株式会社オーシャンブリッジ創業者、高山知朗さんの著書『治るという前提でがんになった』(幻冬舎)です。
ビジネスも順調に活躍していた高山さんが、40歳で脳腫瘍が発覚し、2年後に2つ目のがん、臀部に悪性リンパ腫を発症。病院探しにはじまり、海外の同じ病気の論文を読み漁りと、とにかく徹底的に調べつくし、医師ととことん話し合って、納得して選んだ手術と治療法でがんを克服した、壮絶な戦いが書かれた本です。(3年前のブログは、こちらです)
2つのがんに苦しみんがらも、
「娘の二十歳の誕生日を家族3人でお祝いする」と強い決意で頑張り、克服した高山さん。でも、2度のがんでは終わらなかったのです・・・
2016年11月、前職同僚と「高山さんの生還祝い」をしたときの写真です。PET検査の結果、問題なし、がんが完治! 「がん患者」から「元がん患者」になったお祝いしました。まさかこんな食事会をできる日がくるなんて!本当に嬉しく、高山さんもよくワインを飲み、食事をして、たくさん笑った夜でした。
お祝いをした4か月後に、まさか3度目のがん「骨髄性白血病」が発覚し、8か月もの入院生活を送ることになるなんて・・・、本当に驚き、ショックでした。
3度目のがんは、臍帯血移植をし、これまで以上に大変な、想像に絶する壮絶な闘病だったようです。
なんとしても「娘の二十歳の誕生日を家族3人でお祝いする」 この強い決意、生きる強い意志で、3度も乗り越え、がんに打ち勝った高山さんは本当にすごいというしかありません。
5年前に発症した帯状疱疹後神経痛に、今でも日々痛みに悩まされているようですが、前向きに頑張っています。
高山さんが闘病記を綴っている「オーシャンブリッジ高山のブログ」は、同じ病の方やご家族の方にとり、病院選びやがんとの向き合い方だけでなく、生きる希望や勇気、大きな励ましになっているようです。闘病記ではありますが、さまざまな気づきや、物事に対する姿勢を教えてくれる学びの多いブログです。
「僕は、病と闘う病室の中で、ともに病と闘ってくれ、支えてくれる家族のありがたさを何度も実感しました。そして家族こそが、自分が人生で最も大切にすべきものだと気付きました。その上で、それまで人生で最も優先度の高かった自分の会社を手放す決断をしました。」
自分が創業した会社を手放すことはとても勇気のいる決断だったと思います。「すごろくのような先の見えた人生よりも、何が起きるか分からない人生のほうが楽しい。」と明るく高山さんを支えている奥様も素晴らしい、高山さんは幸せですね。
現在2冊目の本を執筆中だそうで、とても楽しみです。が、決して無理をしないでほしい。いつかまたみんなで笑いながら食事をできる日を楽しみに、これからも応援しています!