1975年9月21日、北海道千歳市立富丘中学校1年生の千葉弓枝さん(当時12歳)が近くの空き地へ虫捕りに行ったまま行方不明になった。弓枝さんは同日朝、建設会社に勤める父親の富雄さんが出かけるのを見送った後、午前9時半過ぎにクラスメートの家を訪れ、虫捕りに誘った。しかし断られたため、1人で出掛けたという。弓枝さんは日頃から近所の雑木林で昆虫採集をしていた。 

12時半頃に弓枝さんが自転車で自宅付近を走っているのを近所の人が見たのが最後の目撃情報となった。19時15分頃、富雄さんが警察へ通報。警察が付近を捜索したところ、自宅から450メートルほど離れた地点にあるパソコン教室の前で弓枝さんの自転車が発見された。自転車は同日13時頃から停められていたことを近所の主婦が証言している。自宅には虫を採集したカゴが残されていたため、弓枝さんは午前中に虫捕りをした後一度自宅へ戻り、再び出掛けたとみられる。 

翌日の22日、千歳市役所に「1人誘拐した。3000万円を用意しろ。でなければもう1人を誘拐することとなる。」と身代金を要求する電話がかかってきた。電話の声は40代くらいの冷静な口調の男の声で、職員が「誰を誘拐したんだ」と聞くと、男は「警察に聞けばわかる」と答え、電話は切れてしまった。以降、身代金を要求する電話はかかってこなかったため、事件を知った者のいたずらの可能性もあった。

24日、千歳署は公開捜査を開始。捜査を進める中で「事件現場付近で白い車に乗った男が少女と会話していた」という目撃証言もあったが、事件解決の決め手にはならなかった。 

事件から19年が経過した1994年7月28日、千歳市内の雑木林で女性の頭蓋骨が発見された。新千歳空港からのバイパス建設中に発見されたもので、発見したのは早来町内の造材業者だった。頭蓋骨は一部が土の中に埋まった状態で、下あごの部分がなく、外傷もなかった。警察庁科学研究所の鑑定により、死後10年以上が経過、歯の状況から年齢12歳前後と判明。弓枝さんの写真と頭がい骨を重ね合わせる復元法で同一人物との結論が出たため、弓枝さんと断定した。 

弓枝さんは幼い頃に両親が離婚し、父親の富雄さんと2人暮らしをしていた。失踪事件の数年後、富雄さんは転勤で北海道を離れており、1989年4月に兵庫県明石市で交通事故により死亡している。そのため遺骨は親族が引き取ることになったという。

この記事では犯人目線で占っています。



これは無差別ではなく、弓枝さんを狙って行われた誘拐事件。


犯人は富雄さんの仕事関係の人物で、若い男性。


以前から弓枝さんを知っており、面識もあった。


犯人は弓枝さんに好意を持っていて、どうにかして連れされないかと思案していた。


その日、犯人は弓枝さんに声をかけるチャンスを狙っていた。偶然を装って自然に…不信感を持たれないように…。


弓枝さんは、父の仕事関係の人ということもあり

犯人の言葉を信じ、誘いに乗ってきた。


無事連れ去ることに成功した犯人は、弓枝さんを閉じ込めることにした。


念願だった弓枝さんとの2人暮らし。犯人は心躍るようだったが、当然ながら弓枝さんにはその気はない。


そろそろ帰らなきゃ。そう言う弓枝さんをあの手この手で引き止める犯人。


せっかく2人きりになれたのに、そう簡単に帰すわけにはいかない。


引き止めているうちに泣き出す弓枝さん。犯人は困惑した。思っていた展開と違う、どうしたらいい?


犯人は説得することにした。弓枝さんに危害を加えるつもりはないし、ただ一緒にいたいだけだ、ということを一生懸命伝えた。


そしてその通り、犯人は弓枝さんに甲斐甲斐しく尽くした。嫌がることはしなかった。


やがて弓枝さんは大人しくなり、犯人が家をあけても逃げ出すことはしなかった。


二人で冗談を言い合い、笑ったりもしていた。


犯人にとって、憧れていた幸せな時間だった。


しかしそんな日々も長くは続かない。


その日暮らしをしていた稼ぎの少ない犯人に、弓枝さんを養う甲斐性などなかった。


食事はまともなものは食べられず、病院にも行けない弓枝さんは衰えていき、息を引き取った。


犯人は悲しんだものの、このまま置いておく訳には行かないと思い、埋めることにした。


その後、弓枝さんとの楽しかった思い出を胸に犯人は真面目に生きていく。


二人の間には愛があったと犯人は信じている。