1997年(平成9年)2月8日午後8時50分ごろ、千葉県千葉市若葉区みつわ台の自宅車庫脇で、東京都立小岩高等学校に勤める教諭・内村民夫さん(当時60歳)が血を流して死んでいるのを、帰宅した妻の和代さん(当時57歳)が発見した。

内村さんはこの日休日で、午前中に和代さんを千葉市中央区の外出先に送り届け帰宅した。1人で自宅にいたところへ空き巣に入られて物色中の犯人に遭遇。犯人が内村さんの胸部を包丁で突き刺し、殺害したものと見られている。

自宅の1階と2階にはタンスの引き出しが開けられるなど物色したような跡があった。発見時、内村さんは和代さんを送った際と同じトレーニングウェアを着て、うつ伏せの状態で倒れていたという。

警察のその後の捜査で、犯行時間は午前11時ごろと判明。内村さんの遺体の近くには犯行に使用された包丁が落ちており、室内に血痕が残っていた事から、内村さんは自宅の中で刺され、その後外に出て力尽きたとみられる。



犯人はあらかじめ空き巣をする家を下見していた。何件か候補を見て回り、被害者宅に決めていた。


内村さんはなんとなく嫌な予感がしていたため、防犯には気を使っていた。


その日、内村さんの方が先に、犯人が侵入していることに気づいた。


逃げる、助けを呼ぶ…瞬時に色々考えたが、とにかく先手を打とうと思った。


人がいると分かれば、空き巣は逃げるだろう。そう考えたのだ。


しかし犯人は家人がいた驚きと、顔を見られてしまったパニックから内村さんを刺してしまう。


刺されてもなお、内村さんは冷静に犯人を追い詰めていく。


犯人はその姿に慌てふためきながら逃走した。


今でも罪の意識を感じながら生きているが、自首する勇気はない。


亡くなった内村さんは、家族に対してとても申し訳なく思っている。


悲しい思いをさせてしまったこと、犯人を逃がしてしまったこと…後悔はいくつもある様子。