1961年(昭和36)3月28日夕刻、三重県名張市葛尾(くずお)の公民館で開かれた住民の懇親会の席上、毒物が混入されたぶどう酒を飲んだ女性5名が死亡し、12名が重軽傷を負った事件。
懇親会は、名張市葛尾と隣接の奈良県山辺(やまべ)郡山添(やまぞえ)村の住民でつくられていた、生活改善クラブ「三奈の会」の総会の後に行われた。仕出しの折詰めや女性たちが持ち寄った料理がふるまわれ、男性用に日本酒、女性用には合成のぶどう酒が出された。乾杯後しばらくして、女性ばかりが次々に倒れた。5人はその場で死亡し、1人が一時重体となり、ほかに11人が中毒症状を呈した。女性参加者20人のうち、無事であったのはぶどう酒に口をつけなかった3人だけであった。
住民の一人奥西勝(おくにしまさる)(当時35歳)が殺人・同未遂罪に問われた。
検察側は、公民館からみつかったぶどう酒瓶の王冠についた傷が、奥西が歯で噛(か)んだときについたものだとする鑑定書を提出。これが、事件と奥西を結びつける唯一の物証であった。
犯行の動機について検察側は、奥西は同じ集落の女性との愛人関係が妻にみつかり、夫婦仲が悪くなり、愛人からも責められてやけくそになり、妻と愛人を一挙に殺して三角関係を清算しようした、と説明。「三奈の会」に出される女性用の酒に農薬ニッカリンTを入れることを思い立ち、公民館にぶどう酒を運んだ後、1人になった10分間に、酒瓶の王冠を歯でこじ開けて、ニッカリンTを注ぎ込んだ、と主張した。そして、ぶどう酒に農薬を入れる機会は、この10分間しかなかったとして、奥西に死刑を求刑した。
犯行の動機について検察側は、奥西は同じ集落の女性との愛人関係が妻にみつかり、夫婦仲が悪くなり、愛人からも責められてやけくそになり、妻と愛人を一挙に殺して三角関係を清算しようした、と説明。「三奈の会」に出される女性用の酒に農薬ニッカリンTを入れることを思い立ち、公民館にぶどう酒を運んだ後、1人になった10分間に、酒瓶の王冠を歯でこじ開けて、ニッカリンTを注ぎ込んだ、と主張した。そして、ぶどう酒に農薬を入れる機会は、この10分間しかなかったとして、奥西に死刑を求刑した。
しかし、逮捕後の取調べ中から犯行否認に転じる。
その後異議審を重ねたが棄却。第九次の申立て後に奥西は高熱が続き、2015年10月4日、89歳で死亡した。
2015年11月6日、奥西の妹が請求人となって第十次再審請求を起こしたが、2017年12月8日名古屋高裁はそれを棄却。妹は異議を申し立てた。
真犯人は別にいる可能性が高い。
当日、奥西さんは妻と2人で参加する懇談会を楽しみにしていた。
事件が起こるまで、いつものようにお互いお酒の場を楽しんでいた。
事件後も悲しみに暮れる間もなく聴取が始まったが、疑われはしているがすぐに容疑が晴れるだろうと思っていた。
だって自分は何もしていないのだから。
しかし捜査が進むにつれ、いつの間にか自分が犯人かのような、自白を迫られる立場になってしまっていた。
わけが分からなかった。
混乱している奥西さんの裏で犯人は、警察や周囲の人達にまるで奥西さんに動機があり、毒を入れた犯人だと決めつけるような発言をして回った。
みんながみんなそれを信じた訳ではないが、揉めると厄介な相手なので犯人に対しては誰も何も言わなかった。
犯人は被害者のひとりとトラブルになっていて、そのために事件を起こした。
すでに犯人は鬼籍に入っており、遺族は何も知らないため真相が解明される可能性は低い。