山川典子ちゃん(当時6歳)は、1991年5月6日に、大阪市東淀川区西淡路の自宅付近の公園で遊んでいたが、午後5時半ごろから行方がわからなくなり、その後、守口市のマンションの貯水槽下で遺体となって発見された。当初、現場で濃い緑色の外車が目撃されており、ひき逃げと見られていたが、典子ちゃんは頭と右手足の三か所を骨折、腹部全体に多くのひっかき傷と、右肩から左腹にかけて幅十五センチの帯状の皮下出血がたすき掛けにあったものの、交通事故特有のタイヤ痕はなく、殺害されたあと車で運ばれて遺棄されたものと考えられる。




犯人は若い男性。わいせつ目的で典子ちゃんを誘拐した。


最初は典子ちゃんも警戒していたが、話しているうちに楽しいお兄さんだと思い始める。


犯人が柔和で誘い方も優しかったため、油断しついていってしまった。


しかし車に乗ると態度は一変。犯人は本性を現した。


怖くなった典子ちゃんは激しく抵抗し、車から飛び降りようとして何とか逃げようとした。


こんなに抵抗されると思わなかった犯人は、脅し用の刃物で典子ちゃんを傷つけてしまう。


怪我をし出血したため、ぐったりした典子ちゃん。それを見て犯人は意気消沈し、わいせつ行為をするどころではなくなってしまった。


しかしこのまま放置するわけにも行かない。


典子ちゃんを遺棄し、足早に逃げた。


犯人が若いこと、またこの地域の人物ではないことで、容疑にもかけられなかった。


上手く逃げきれたことに安堵し、幼女への黒い欲望を抱えながら今も生きている。