1989年3月25日、北海道函館市美原に住む主婦の長光希三子さん(当時51歳)が行方不明になった。朝、出勤時に長女(当時32歳)が長光さんの姿を見ており、その後午前10時ごろに夫(当時63歳)が出勤する際に姿を見たのが最後となった。夫が午後6時過ぎに帰宅した時には既に姿が見えなかった。
玄関は無施錠で、室内の電灯は消されていた。室内に物色された跡はなかった。湯飲みなどがテーブルの上に出ていることもなく、誰か客人が来ていた様子もなかった。 その日の夜、男性の声で「(長光さんと)これから江差に行く」との謎の電話があったため、不審に思った夫が午後9時半に近所の交番に捜索願を出した。
長光さん失踪から6年後の1995年5月16日午前8時40分ごろ、作業員2人が長光さん宅の改修工事をしていたところ、1階6畳和室の床下からミイラ化した長光さんの遺体が発見された。
発見時長光さんは普段着にエプロン姿で、死因は首を絞められたことによる窒息死と断定された。床下は空気の通りが良い構造で異臭が漂うことがなかったため、長期間にわたって発見されなかったものとみられる。
捜査本部は遺体の状況から殺人事件と断定。
長光さんが行方不明になった当時家に荒らされた形跡がなかったことなどから、顔見知りの犯行と見て捜査を進めていたが、6年間という空白の期間があったことで捜査は困難を極めた。有力な手掛かりが得られないまま、2004年3月25日に時効が成立した。
犯人は身近な人物、当時青年だった人。
以前からお金を無心されていて、当日も突然やって来た。
長光さんは今まで自分にできる範囲で助けていたが、もう限界だった。
「もうこれ以上は無理、あとは自分でなんとかしなさい。」
そう突き放され、犯人は裏切られた気持ちになった。
少し脅かすつもりで刃物をチラつかせると、長光さんは大声を出した。
思った以上の反応に犯人は焦り、慌てて長光さんに飛びかかり口を塞ぐ。
まさかこんなことで捕まるわけにはいかない。
静かになったのを確認し手を離すと、すでに長光さんは息絶えていた。
驚いた犯人は急いで床下に隠した。
その時は車を持っていなかったので、持ち出すことは出来なかった。
すぐにバレるだろうか。
罪悪感と恐怖に苛まれ、その土地で暮らすことは出来ずに遠くへ引っ越した。
時効が成立したあとも事件を忘れられることはなく、荒れた生活をして生きている。