1948年12月29日に熊本県人吉市で発生した一家4人が殺傷された強盗殺人事件(夫婦が殺され、子供2人が重傷)で、被害者はいずれも頭部に鉈様の凶器による多数の傷痕があり、指紋や遺留品はありませんでした。


犯人とされた免田栄さん(事件当時23歳)は翌年1月に警察に連行され、別件窃盗事件で逮捕されて本件につき不眠不休の取調べを受け、逮捕後3日目に自白して起訴されました。


1950年3月、熊本地裁八代支部は死刑判決を宣告し、1951年3月、福岡高裁は控訴を棄却し、同年12月、最高裁は上告を棄却し、死刑判決が確定しました。


捜査機関は、極端な見込み捜査により、別件で免田さんを逮捕し、暴行、脅迫、誘導、睡眠を取らせない等の方法により、免田さんに自白を強要しました。免田さんは当初からアリバイを主張しており、移動証明書や配給手帳等により裏付けられていましたが、全て無視されました。


第6次再審請求の抗告審で、ようやく、免田さんの自白が客観的事実に反していること、免田さんにアリバイがあることが認められたのです。




犯人は被害者のことをよく知っている、近所に住んでいた青年。


人生に行き詰っていた犯人は、一か八か、被害者宅に強盗に入ることにした。


金銭を奪って速やかに逃げようと思っていたが、被害者に気づかれてしまった。


命乞いをする一家を無惨にもころしてしまう。


動揺した犯人は強盗どころではなくなり、焦って逃げた。


遠くに逃げなければ…


しかし事件は思いのほか早く進展してしまい、逃げるタイミングを失ってしまった。


それからは恐怖の日々だった。


いつバレるか、逮捕されるか。


ころしてしまった罪悪感はなく、保身のための不安しかなかった。


それも杞憂に終わり、なぜか自分ではない人が逮捕された。


よく分からないけど、助かった…


不安は残るものの、それからは慎ましく暮らしている。