「狭山事件」とは、1963年(昭和38年)5月1日、埼玉県狭山市で1人の女子高校生が行方不明になり、身代金を要求する脅迫状が届けられましたが、警察は犯人を取り逃がし、3日後その女子高校生が惨殺死体で発見された事件です。

この事件で、5月23日、被差別部落出身の石川一雄さんが窃盗などの別件で逮捕されました。石川さんは、窃盗などについては認めましたが、本件については否認を続け、1ヵ月後に「自白」をします。この「自白」については、あまりにも客観的事実と一致しない不自然な点が多く、「自白」までの経過に、取り調べ方法や長期間逮捕・勾留などの問題が分かっています。



被害者はとても順風満帆な生活を送っていた。


友達も多く、家族仲も良い。勉強も頑張る優等生だった。


事件当日、珍しく母と喧嘩をしてしまった。


母が言ってきたことがとても理不尽に感じ、つい反発し言い返した。


そんな自分にもモヤモヤしてしまい、憂鬱な一日を過していた。


そのとき、犯人は被害者の弱みに漬けこんできた。


話を聞き、優しく慰めてくれた。


甘い言葉に誘われて、ひとけのない場所までついて行ってしまう。


すると犯人は直ぐに豹変した。


ころされる…


そう思った時には遅かった。


犯人はお金に困っていた青年。


計画性はなかったが、被害者と話しているうちに誘拐することを思いつく。


そして犯人は行動に移し、うまくいってしまった。


お金も手に入り、犯人と疑われることもなく、楽しく人生を送った。


全く後悔していないし、反省もない。


真犯人は別にいるため、冤罪の可能性が極めて高い。