他人と比較することを自分の中心に持ってきている人は少なくない。意識はしていないカモ知れないが世の中のシステムは比較に基づいていることが多く、それに過剰反応すると端的にモノの優劣だけで判断してしまうことになる。

例えば所有しているブランド品の質とか出身校のレベルとかが良し悪しの判断となり、比較することによって優劣を感じ、優っていれば劣っているモノをエサに幸せに思い、劣っていれば不本意に思うか、過剰な自己防衛をするか、または劣らない新たな居場所を探す。

を超えた残念な優越感か、極端な悲観視か、ハタマタ現実逃避か。何れも味気ない寂しい人生をおくることになってしまう。




もう少し違った切り口で考えてみると、例えばクルマを運転中に危険な割り込みをされたとする。殆どの人は不愉快な思いをし、また怒る人も少なくないだろう。

しかし、この割り込んだ相手が自分の年老いた母親と分かっていたら不愉快な思いになるだろうか? 怒る気持ちも湧かないだろう。「こんな運転をして事故を起こさないだろうか?」と心配するのが普通だ。




起きた事象に対して人によって気持ちが変化するのであれば、比較のパラダイムに陥っている可能性がある。それは本来誰もが持っている内面の原理原則、「一貫性」に反するからだ。




いま世界で起きている紛争も比較のパラダイムを中心としているがために起っている。これは簡単な要因解析をしてみると分かりやすい。

過去から紛争の原因を紐解くと、発端は土地の大小であったり、資源の有無であったり、宗教の誤解であったり。中東、アフリカ、旧ソ連や東ヨーロッパにおいても然り、全て心の中心に比較のパラダイムを置いた悲しい結果だ。

個人や集団や国家、如何なる立場でも比較のパラダイムを心の中心に置くようになると、ネガティブな思考が働き負のスパイラルに陥る。

この様な状態でトラブルが発生すると、問題の原因全てが相手側にあると思える様になる。

上記危険なドライバーだと、「危険な運転をするヤツが悪い」という考えが占領し、実際には前車とのスペースを縮め過ぎて他車が進入し難かったという要因には至らない。

問題は自分の外にあると思うこと自体が問題であることに気がつかないのだ。




比較すること全てが悪い訳ではない。比較することで自分の立ち位置が分かるし、目標を持つ良い機会にもなる。企業であれば生産コストを抑えるための比較であったり、個人的な比較であれば期末試験の結果がクラス平均点より低かったから次はガンバロウとか、良きバロメーターになる。

比較の良しあしは一概には言えないのだが、乱暴な言い方をすればポジティブになれるか否かだ。全てではないが前向きに捉えた比較からは破壊的な結果は生じない。





では比較のパラダイムをポジティブ捉えるためにはどうしたらよいのか?色々な方法があるだろうが、簡単にできることのひとつに「理解してから理解される」ということが挙げられる。

これは言葉のとおりで、相手の考えや立場などを理解してから自分のことを理解してもらう様に心掛けるというコミュニケーションスキルだ。

コミュニケーションを取る相手にとって、自分自身が理解されていると伝われば意志の疎通が容易に図れるし、また思いや考え方の行き違いがあった場合でも過剰な自己防衛などは不要となる。

このスキルを高い次元で修得すれば仲間の成功が自分の成功の様に思え、喜びを共有することが出来る。ネガティブに比較する必要がないから素直に他人の成功を喜ぶことができる訳だ。





理解してから理解されることの重要性は、このブログを読んでいる方ならお分かりになると思う。ブログと言う狭い世界でも一方的に自分の事を理解してもらおうとしたらコミュニケーションは上手くいかない。

特殊な場合を除いて双方向コミュニケーション、ブロガー同士が相互依存することで成り立っているからだ。

相手を理解することで自分自身構えずにオープンなコミュニケーションを取ることができる。「会ったことが無い相手と言葉のやり取りだけで意思の疎通が図れた」この様な経験をされたブロガーは少なくないと思う。





「理解してから理解される」ということを前提に、もう一度上記のクルマの運転を例に出して考えると、「危険な割り込みをしてきた運転手は何時もは安全運転で、急いでいる理由があってこの様な運転をしているのカモ知れない」とか「危険な運転をするつもりはなかったが、未熟ゆえこの様な結果を招いたのカモしれない」と考えることは出来ないか。

この様に相手を理解しようと考動(行動)を取ることで、例え知らない他人であっても自分自身の感情にブレーキがかかる。割り込みに対する怒りも半減するのではないか?





つまるところ割り込みも、夫婦喧嘩も、また国境の問題も根底は同じであることをつけ加えておく。




この様な事を常日頃から自分自身に言い聞かせているのだがマダマダ修行が足りない。暴走フェラーリが鼻先かすめて来たら瞬間湯沸かし器のごとくチンチンになってしまうし、釣りに同行した相手が大物を釣り上げると喜びを分かちあうどころか悔しさが全面に出てしまう。

しかし「理解してから理解される」ことが最善の結果をもたらすことは自身の少ない経験からも明白で、そしてこのスキルを身に付けた誰もが幸せな人生を歩むことができると信じている。



おわり