第5回 復興・復旧の現実との狭間で③

 多賀城市へ派遣後も気仙沼の様子は気になるところだったので、休日のドライブの行き先はまず気仙沼を選びました。地図で確認すると三陸海岸沿いを走れば石巻→女川→南三陸→気仙沼とそれぞれ見ることができるとあって、一気に見て回ることにしました。
 私の自家用車に搭載しているナビのデータを更新していなかったため、ナビに従い進んでいくと被災地に入ると見当たらない道があちこち見られ、震災の被害による様子がより伺えることが出来ました。震災から3年が過ぎたとあって、どの被災地も被害にあったガレキの撤去はほぼ終わってた感じですが、所々津波で壊された家屋や事務所がそのまま残っているものも見られ、それらを見るとあらためて津波の恐ろしさを感じたとともに、高台となっている場所への住宅地の開発造成工事が始まったばかりの様子や、津波で流された地区もようやく元の地盤より数メートル上げる嵩上げ工事が始まっている箇所、ガレキなどが撤去されて更地のままになっている箇所などがほとんどで、復興へ向けてはハード面の工事がまだまだこれからだって様子が見て取れました。
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(女川町 2014年4月27日撮影)
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(仙石線女川駅周辺 2016年1月10日撮影)
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(気仙沼市・リアスシャークミュージアム 2011年6月7日撮影)

 こうして被災地の復興への現状を直に見ることが出来たものの、そのため私の中に生じてきた「疑問」は大きくなるばかりでした。私のような事務職のできる仕事は限られていて、それ以上に復旧・復興工事に関する技術職系の仕事に対しての人手不足が顕著なのだと。事実、赴任1年目の派遣職員は、約40人中大多数が技術職の方でしたから。
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(2014年4月11日撮影 JR多賀城駅北口広場前)
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(2015年11月20日撮影 北口広場整備工事状況)

 こんな気持ちの中派遣生活を過ごし、約3か月経った平成26年7月初旬に、宮城県の主催で「震災復旧・復興に係る自治法派遣職員情報交換研修会」が行われ、参加することになりました。宮城県富谷町にある東北自治総合研修センターという宿泊研修所で1泊2日で開催されたのですが、研修会というタイトルは付いていたものの、実際は宮城県内に全国の自治体から派遣で来られている方同士の「交流会」的なものでした。
 初日の夜には懇親会が開催されたり、2日目のプログラムではグループワークでの情報交換という半日ほどのプログラムが組まれていましたが、情報交換というよりはむしろ「雑談会」という雰囲気でした。参加者同士でざっくばらんにそれぞれの派遣先での様子などを話したのですが、中には派遣先の「愚痴」を話す方や生活面での悩みや苦労話などで大いに盛り上がりました。
 あとから聞いた話では、震災からまだ時間が経たない時期に、ある被災地に派遣されてきた方が仕事や生活面で思い悩んで自殺されたという事件があったことから、この研修も全県を挙げて派遣職員をフォローしようという取り組みの一つだそうでした。この研修に参加し自分だけじゃなく、同じ志を持って来られた派遣職員の人たちも私と同じような苦労をされていることを知り、少し気が楽になったのです。
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 さらに、私の迷いを完全に吹き飛ばしてくれて、その後の派遣生活を無事終えることが出来るためのきっかけとなったのが、この研修の報告をした時に話してくれた所属長のあたたかい言葉でした。

「色んな思いや意気込みで、こちらに来ていただいてたとは思いますが、かなりのギャップに悩まれてたようですね。
 でも、震災後膨大に増えた仕事量を本来ならこちらの職員だけで残業してでもやらなければならないところを、あなた達が来てくれてやってくれていることで、こちらの職員もスーパー残業をせずに、ほぼ通常生活を保つことが出来ているんです。そのことで「復興支援」していただいているんです。
 だから特別なことをしようと肩に力を入れずに、お互いに「当たり前」のことが出来るように、お手伝いをお願いします。」