第4回 復興・復旧の現実との狭間で②
派遣先へ入ってからの日々は全てが初めての事ばかりなため、仕事はもちろん生活環境にも慣れるのに一生懸命で、一日が長く感じた気がしました。派遣先での仕事は、こちらに来る前の派遣元での仕事内容と同じでした。が、風土の違いとか、いわゆる「ローカルルール」を把握するのに戸惑ったり、事務の細かい作業の違い(例えば決裁文の作成方法の違いなど)にさえ慣れるのに時間がかかりました。

とは言え、仕事上の話であり、職場の上司、同僚の方々にはとても温かく迎え入れていただき、おかげですぐに溶け込むことができました。市役所全体でも1年目は約40名ほど、2年目の現在も約30名ほどの、私と同じ志を持った方が全国から派遣されて来ていて、赴任早々にはトップをはじめとした幹部職員の皆さんが集まって歓迎会を催してくれたりして、受け入れ側全体での歓迎ぶりにはとても嬉しく、モチベーションがさらに高まりました。

また、私が軟式野球をやっているということで、派遣先の野球部に参加させてもらったり、他チームやソフトボールチームにからもお誘いを受けたりと、レクレーションにも沢山参加させてもらいました。おかげで、仕事で直接かかわりのない方とも幅広く交流させてもらえて、この時はつくづく野球を続けていてよかったと感じたものです。

日常生活にも早く慣れようと、通勤は徒歩にしました。アパートから職場までは直線距離にして2kmもない便利な場所だったのですが、仕事帰りはまっすぐ帰らずに毎日方角を変えて市内を歩いて探索しました。多賀城市は総面積が約20平方㎞と呉市の約70分の1ほどの「コンパクトシティ」なので、市内のほとんどの地域を歩いたはずです。

(多賀城市の重要文化財 多賀城碑)
さらには、休日をあちこち回るために自家用車を持ってきました。周辺市町を色々周ってみたり、観光マップなどを参考にして県内や近県で日帰りできる観光スポットなどを探してドライブしました。おかげで宮城県内はほぼ全域を見て周り、また他の東北5県にもすべて一度は訪ねることができました。ちなみに、派遣1年目の自家用車の走行距離が約2万㎞も伸びていたのには自分自身も驚きましたが。。。

(強行日帰りで見に行った青森ねぶた祭り)
特に震災による被害の大きかった地域へは1度は訪れることができました。気仙沼はもちろん宮城県内の被災地南三陸町、女川町、石巻市、名取市、岩沼市などに加え、岩手県陸前高田市や宮古市、福島県の原発事故により帰還困難区域など、何度も訪れ復興により町が変わっていく様子が遠巻きながら見ることができました。ただ、まもなく5年が経とうとする今も、被害の大きかった地域は復興工事などの進捗状況がなかなか進まない状況が感じ取れました。

(2011年6月10日撮影)

(2014年4月27日撮影)
こうして職場にも単身赴任生活にも徐々に慣れ、当初2カ月で10kgも体重が減ったものの、その後は安定したのと同じように、派遣生活も安定してきたのです
が、少しずつ周りの様子が見え始めてくるようになると、新たな疑問が生じてきたのです。
「私は災害派遣としてやって来ているのに、やってる仕事内容は直接震災被害に関
わる仕事ではなく、派遣先でやってきたことと変わらないじゃないか。
これで、被災地の復興・復旧に貢献していると言えるのだろうか」