どうやらこの「みちのくひとり旅」も、もうすぐ終点を迎えようとしています。
長かったようで、あっという間だった2年間、48歳で人生初の単身赴任を経験することになったおいらも、気がつけば間もなく50歳を迎えようとしています。
しかしながらこの2年間は、私の半世紀の人生の中でも単なる50分の2ではなく、最も貴重でかけがえのない、そして残りの人生の「ターニングポイント」にもなりうるような2年間になったと思います。


過去を振り返ることはあまり好きではありませんが、年齢とともに「記憶」を詳細に留めることが難しくなってきたこともあり、「旅の終わり」を迎えるにあたり、ここで旅を振り返るとともに、これからの「新たな旅」の起点にしたいと思いこのブログに綴ってみることにしました。
一度には書き下ろせないと思うので、何回かに分けて少しずつ書いていこうと思いますので
これまで、このブログを覗いていただいた貴重な方々も、初めて覗いていただいた方も、少しお付き合いいただければ幸いです


第1回 東北へ来たきっかけ


 2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災発生。。。
 私がその事を知ったのは、ネットのニュース速報でした。しかしその時はまだ、どれほどの大惨事なのか知る由もなく、「いつもの」地震速報としてしか把握していませんでした。事の重大さを徐々に知り始めたのは翌日からのテレビニュースの映像などからでした。


 「その日」は金曜日でしたから、翌日は土曜日で私は家族と朝早くから広島市内のショッピングモールへ出かけていました。子どもたちの買い物の待ち時間に家電コーナーへ寄ってみた時、展示品の大型液晶テレビから次々と流れてくる衝撃的映像を見て、私の体は硬直し、心臓が激しく鼓動し、ただ立ち竦むだけだったのを覚えています。
「日本でこんな恐ろしいことが起きているなんて」
というショックでしかありませんでした。


 その後も日々テレビから繰り返される衝撃映像や、多方面から様々な支援活動が行われている報道を見ていくうちに「俺にも何かできないのか」そんな思いが次第に強くなってきたのです。


 平成7年に発生した「阪神淡路大震災」の時も大きな衝撃を受けましたが、当時は長男がまだ1歳と小さかったことから、自分の家族を守らなければという思いの方が強く、私自身に「心の余裕」がなかったため、被災地へお手伝いに行くほどの気持ちは残念ながら起きませんでした。


 しかし、今回の東日本大震災が発生した5年前は、長男も高校2年生・次男も小学4年生とあって、子育て的にもかなり落ち着いてきてたのと、家族も父親の行動を理解してもらえる時期になってきていると思い、彼らに「父親の姿」を見て知ってもらいたいという思いもありました。


 何より一番強く思ったのが、私の周りの多くはこの震災の状況を「対岸の火事」的感覚で見ていたことに対する違和感でした。震災直後は、被災地・被災者の方への哀悼の意を込めて、テレビCMの自粛、イベントやプロ野球などの興行の延期など、日本全国で「がんばれ東北」という支援の高まりを感じる一方で、あくまでもそれはマスコミを通じて感じられるところであり、広島で生活している私たちの周りでは「遠い地域の出来事」的に感じているのではないかと思われる人も多く、中には「自粛のおかげで楽しみが減った」などの発言を聞くこともあり、とても残念な思いもしました。
 マスコミも被災地の現状をつぶさに伝えようとしてるんだろうと理解は出来ましたが、芸能人やスポーツ選手などの「有名人の支援」は多く取り上げていたものの、被災者の方々の実際の状況などは呉に住む私には伝わりにくかったのを覚えています。こうして私の心の中に、被災地へ実際行って真の実態や被災者の方々の生の声を聞きながら、直接お手伝いできないかという気持ちが高まってきたのです。


そうした経緯から、市役所内で応募のあった被災地への派遣募集に手を上げることに決めたのです。
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