宮城は今日も雨。
最高気温も22度ほどだったらしく
部屋に居ても上着を着てないと肌寒いほど。
ホント、東北の夏って短いの?
 
雨なんで、出かけるつもりもなくテレビをつけると
夏の高校野球真っ盛り
 
そういえば、先週呉に帰った時に
妻から渡された封筒があったっけ。
 
毎年夏の予選大会前に送られてくる、高校野球部OB会からの封筒。
予選会前の激励会の案内と、OB会費の振込用紙。
 
もうとっくに終わってるし。。。
 
30年前は俺らも「一応」甲子園目指した(夢のまた夢だったけど)高校球児。
正直良い思い出はほとんどなかった。。。
 
公立高校で当時は初戦突破が第一目標程度の弱小野球部。
でも入学当時は中学でやってたハンドボールの先輩に誘われて
流れでそのままハンドボール部に入部してた。
 
中学から野球をやりたい気持ちはあったものの
「柄の悪さ」を理由に親に反対され
友達に誘われるままにハンドボール部へ。
 
後から思えば当時の自分の意志の弱さにあきれるものの
ハンドボールで鍛えた肩の丈夫さが
現在の現役続行にも繋がっているのかなと思えば
今では感謝はしているけれど。。。
 
しかし、ある日の部活の終了後
同級生で野球部のO君に突然声をかけられた。
「ちょっと、マウンドで投げてみんか?」
 
彼は中学からも野球一筋でやってきて
高校入学時には県内の強豪校から誘われたほどの名捕手
って話は聞いてたけど、
クラスも違うし、声をかけられたのも初めてだった。
 
「ええよ」
と何げに応じたものの、やはり興味あったマウンドに
ワクワクしながら、全力投球。
 
ボールは高めに浮き、彼の頭上を通り過ぎていった。
するとO君、ニコニコと驚いた表情で
「オマエ、すげぇのぉ。速い球投げるじゃんか」
 
確かにハンドのおかげで肩には自信があったが
そんなに俺って凄いの?と少し有頂天。
 
「わし、キャッチングには自信あるけど、わしが取れん球投げるやつは初めてよ」
後から考えれば、O君の渾身の演技と口車だったようで。
新チームになって同級生が少ないことを案じてたO君は
部員集めにと、他のクラブを周り気になる同級生にアタックしていたそうで。
 
そんなことも知らず、当時は純粋な俺らはその言葉にウハウハ。
 
「一緒に野球やらんかいや?」
 
一週間後には入部を決断して、髪の毛丸坊主に。
しかし、誘ってくれたハンドの先輩には裏切り者扱いされたし
クラスの担任には
「勉強が疎かになるんじゃないか?
 甲子園に行けるのと、難関大学受かるのとどっちが確率高いかのぉ?」
と言われたり。
 
でも俺らとしては、人生で初めて自分の意思を貫き通した決断だった。
 
結局、ノーコンは嫌いだという監督に認めてもらえず
公式戦には一度も登板できず
最後の夏は「ライパチ」君でお情け出場という形で
俺らの高校野球は終わってしまった。
 
ちなみに、その年の甲子園では
「阿波の金太郎」水野投手とやまびこ打線の池田高校や
野中・紀藤のWエース擁する中京高校、
彼らを打ち破った桑田・清原の1年生KKコンビ擁するPL学園が活躍などなど。
 
彼らを見て、野球を続けようと決め
高校野球を謳歌できなかった悔しさをリベンジしようという想いで
今も現役を続けているようで。
 
今年母校は、40年前の最後の大会で破れた相手に勝って
初戦突破したことはネットで知ってた。
あの時の「リベンジ」を後輩達が果たしてくれたのかも。
 
夏の甲子園大会を迎えるたびに
「ああ栄冠は君に輝く」の曲を聴くたびに
あの頃の記憶が思い出される。