311の東日本大震災発生から約3ヶ月後の2011年6月に
宮城県気仙沼市の気仙沼小学校に設置されてた避難所へ
避難されてる方へのお手伝いに1週間ほど行ってました。

地震や津波で住むところを失った方達約100名が
小さな小学校の体育館に寝泊まりしているところで
救援物資の配布や、食事の用意などお手伝いしたのですが。

それまで生きてきた自分の人生の中では考えられなかった情景。

当たり前が当たり前でない生活。
それでも皆さん、懸命に立ち直ろうとする前向きな想い。

わずか1週間しかお手伝いできなかった悔しさ。
「復興したら必ずまた来てくださいね」
そう言ってお別れしてから約3年。

テレビからしか入ってこない情報を見ながら
どれくらい復興が進んでいるのだろうか。

今回多賀城市派遣が決まって、一番に決めてたのが気仙沼への再訪。
この目で確かめたくて、4月中旬にようやく実現できました。
気仙沼だけじゃなく、被災された各地をなるべく見て回りたい。
そう思い、沿岸沿いに車を走らせました。
先日通った松島を抜けて、まずは石巻へ。
ここで、まずショック。

多賀城より全然遅い復興の進み具合に、言葉を失いました。
市内中心部であっても道路の舗装が補修されてなかったり
更地はあちこちに点在し
中には津波で壊されたままの建物がいまだにそのままだったり。


こんな高さの津波が襲ったなんて、考えられず。。。
気持ちがへこんだまま、さらに海岸沿いを走り、ひと山超えると
突如現れた巨大な更地と巨大な工事現場?


立ち入り禁止の看板はなかったはずとゆっくり走ってると見えた看板


ここが、女川町。。。
町が無くなったまま。
ここも、まだまだ。

後から聞いた話ではこの建物(病院)の1階の高さまで津波が襲ったそうで。
15メートル以上はあるほどの高台なのに。。。
続いて、またまた同じように広大な更地と巨大な工事現場。
入り口付近にあった看板でわかった地名「南三陸町」。
広大な更地の真ん中に人だかりが。

あっ、ここがあの。。。

花もなにも無かったんだけど
手を合わさせていただきました。
そして走ることトータル4時間ほど。
(途中停車が何度もあったのでこれくらいかかりましたが)
3年ぶりの気仙沼が見えてきました。

変わってない。
っていうか、あの時からは変わってるけど
がれきも無くなってるし、嵩上げ工事も行われてるけど
「町」としてはまだまだ戻ってない。。。
魚市場が再開したのはテレビのニュースで知ってたけど


(3年前に撮影) (今回撮影)
周辺の町並みはまだまだ。

落胆の思いのまま、あの気仙沼小学校へ。


建物はそのままだったけど、
中身は元の「体育館」に戻ってた。
こんなに時間がかかるの?
同じ「被災地」でも、こんなに温度差があって良いの?
何故か気持ちが落ち込んで、やるせなさがこみ上げて。
桟橋の建物は撤去されてたけど
スーパーハウスを券売所にして、船も運行されてはいました。


(3年前に撮影) (今回撮影)
「観光客」を引き連れて、ボランティアガイドさんが
一生懸命に案内されていました。
一人でも多くの方に当時のことを知ってもらいたいという想いの様子で。
それでも気仙沼は頑張ってる。
東北は今でも頑張ってるんだ。
少し勇気をもらいました。


じゃあ、俺は何が出来る???
いや、特別なことなんてできないから
今出来ることからやってみようか。
出来ることだけでいいのかな?
でも、出来ることしか出来ないし。
落ち込んでても、悩んでてもしゃぁ~ないね!
呉に帰るまでには、何度でも来てみよう。
勇気をもらいに。