回復期リハビリテーション病院に到着すると、コロナ検査を行った後、個室に案内されます。

そこでまた1カ月ぶりに合った家族とお別れです。(またしばらく一人だなショボーン)残酷な瞬間でした。

救いなのは1週間に1度、15分間の面会が許されている事です。コロナ禍で全く面会が出来ない病院が

多い中、とても有難いことでした。

 

前の病院でお世話になった看護師さんや、リハビリのスタッフの皆さんの顔が浮かびます。

(ここにはどんな人がいるんだろう。怖い人とかいるのかなあ)ショボーン

まだ半年近くも入院しなければならないので、気になります。前の病院は比較的都心よりだった事も

関係しているのかは分かりませんが、スタッフは若い人ばかりでした。

今度の病院は山の中です。おとうマンの家からは車で20分ぐらいで違和感はないのですが、なんせ

田舎なもんで若いスタッフなどは全く期待してませんでした。(患者もスタッフもみんなおとうマンより

年上なんだろうなあ。一気に老け込みそうだな)えー 勝手にそう思っていました。

 

病室で一人待っていると看護師さんやリハビリのスタッフの方々が代わるがわる部屋に挨拶にきます。

(あれっ 若いぞニコニコ)皆さん若い方々ばかりでした。いけませんね。山の中の病院だからと言って

若い人がいないなんて勝手に決めつけちゃあ。てへぺろ 話をしてみればみんな近所の地区から来ている人

ばかりで、知ってるスーパーや、施設の話で盛り上がっていました。

丁度そのころWBCで日本中が盛り上がっていてテレビがある食堂で、病院のスタッフから患者まで

みんなで盛り上がっていました。普段、野球を見ない80歳のおばあさんも夢中で大谷選手を応援していました。

 

とりあえず一安心照れつらい病ですがこの病院なら乗り越えられる。そんな気にさせらる病院です。おねがい

 

(でも先は長いんだよなあ‥)笑い泣き

 

 

 

 

 

 

 

  入院中は,一日をほぼベッドで過ごします。一日3時間のリハビリと

食事,トイレ以外はベッドの上です。

コロナ禍ということもあり,入院して最初の一週間は個室に入ります。

個室というのは,なんとなく贅沢な部屋というイメージがありますが

おとうマンの場合,あまり性に合わない感じでした。

ひと言でいうと「孤独」です。リハビリの時間,一日一回,看護師さんが

体温と血圧を測りにに来たとき、食事を持ってきてもらう時、下げてもらう時、

それぐらいしか人と接しないのです。

 この頃ほど一日が長く感じたことは、ありません。

最初に入院した、急性期病院では、土日はリハビリがなかったので

一日のそりゃあ、長い事ゲッソリ 人とほとんど話すこともなく、コロナ禍で

面会もできません。昼間疲れる事もないので、夜も眠れません。

しかも消灯は20時。昼も長いけど、夜はそれ以上です。笑い泣き

 

日頃、忙し過ぎて「たまには、入院でもしてゆっくりしたいなあニヤリ

なんて考えてる人がいたら(実はおとうマンですてへぺろ)とんでもないです。

 

急性期病院では、体が回復に向かうと,個室から4人部屋に移ります。

(やっと、孤独から解放された爆  笑)と思ったのも、つかの間

夜、いびきや歯ぎしりは当たり前。テレビをつけたまま寝ちゃう人や

別の部屋では、夜中じゅう、叫んでいる人もいます。

そしてなぜか食事の時間になると・・(くっ! くさいゲロー)やらかすんです笑い泣き

 

ここにはかなり重症な人も一緒なので、患者同士で話をするなんてことは

ちょっと無理でしたねショボーン それにしても「脳梗塞」多いです!

おとうマン含めて,4人部屋全員50代で、脳梗塞なんて時もありました。

 

やがて体調が回復するにつれて、病室を移って行き、一番病状の安定した

病室まで行くと、そこで回復期リハビリテーション病院への転院を待ちます。

こちらの希望で転院先は決めることが出来るのですが、病室が空いてない

などの理由でタイミングが合わないと、待たされることになります。

おとうマンの場合は2週間ぐらい待ちました。

その病院に決めた理由は、「家から近い」「料金が抑えられている」

何と言っても「面会が出来る」照れ

コロナ禍のため、面会NGの病院も珍しくない時期でした。あと5ヶ月は退院

出来ないと言われていたので、家族に会えないという選択肢はありませんでした。

 

転院当日 一カ月ぶりにかみさんと長男に会いました。こんなことになってしまって

申し訳ない思いと、やっと会えたうれしいおもいとで複雑でした。

転院先の病院に向かう途中、(ちょっと家に寄りたいなあ)なんてことも頭をよぎりましたが

そんなことをしたら、この先の入院生活を乗り越える自信が無くなりそうだったので、我慢

しました。ましてうちのネコちゃんと対面しようもんなら、きっと泣いてしまうでしょう。えーん

 

あと5ヶ月頑張ろう!

こうして回復期リハビリテーション病棟での入院生活が始まるのでした。笑い泣き

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 車椅子で 移動できるようになると トイレの練習も始まります。

もちろん 一人で勝手に 行ってはいけません。看護師さんに 付き添ってもらいます。

忙しい看護師さんに トイレの度に 手間を取らせる事を申し訳なく思った事を

思い出します。 

  

 リハビリは「頭」「手」「脚」と 同時に始まります。同じ病名でも 一人一人

みんな症状は違います。

 

「頭」に関することは 言語聴覚療法士(ST)さんです。

口も半分 麻痺しているので 言語の発声練習をしなければなりません。

一番の課題は 運転免許です。脳の病気をすると免許センターに申告しないと

いけません。運転を再開するために 様々なテストや訓練をします。

おとうマンの場合 幸い 高次脳機能障害(脳の障害)はなかったのですが

さすがに 脳梗塞発症の前のようにはいきません。表現が難しいのですが

なんとなく脳がしびれてる様な クラクラする様な 何とも言えない感じです。

これは天気(気圧)や 気温も関係していると思います。また、おとうマンの場合

ですが 麻痺側の足を動かしてるとき(要は 装具をつけて歩く時)は

結構キツイです。

普通 脳からの信号で動く足が 足から出た信号が脳に電気信号として

送られてるような・・ わからないですけど そんなかんじ・・キョロキョロ

 

「手」に関することは 作業療法士(OT)さんです。

日常の生活を行えるように トイレ 食事 着替えはもちろん パソコンの

使い方 掃除機 風呂・・・生活に欠かせない事は全部 教えてくれます。

あとは 麻痺した腕を動かす訓練です。‥これはキツイ笑い泣き 今まで当たり前に

動かせていた腕も 手も全く 動かないのです。いう事をきかない手足を動かそうとすることが

これほどまでに 大変とは・・・ゲッソリ しかも 重い。体のパーツって結構 重いんですね。

 

「脚」に関することは、理学療法士(PT)さんです。

退院してからの 生活が大きく左右されるところの一つに (自分の脚で歩く)が

あります。6カ月の入院生活のうち 半分は車椅子です。病室と リハビリ室の間も

車椅子で移動します。もちろん トイレに行くのもあっという間です。

脚の回復に合わせて 病院の装具を借りてリハビリを行い そろそろ回復が安定したところで

シャア自分専用の装具を作ります。石膏で 足の型を取り 二週間後に出来上がります。

「車椅子 もういらないですね!」 ついに車椅子とのお別れです。少し不安もありましたが

車椅子がないだけで スペースにだいぶ余裕が出来てスッキリします。

(ああ~スッキリした!これで 一歩前進! 退院に近づいたかなニヤリ

(しまった!トイレどうしようガーン) 食事の後の争奪戦!今までは一番遠くのトイレでも

車椅子で あっという間でした。これからは10倍以上時間がかかる。

夜中のトイレはもっと やばそう。緊張した足に装具を付ける ところからです。

 

  こうして のろまな おとうマンの入院生活が始まりました。笑い泣き