三箇所目は、
群馬県吾妻郡嬬恋村にある
「鎌原(かんばら)観音堂」
天明3年(1783)の浅間山の大噴火。
火口からの火砕流が土砂や水をまき込み「鎌原土石なだれ」となって鎌原村を襲いました。
鎌原村の全118戸が流出、死牛馬165頭、死者477人。
(嬬恋郷土資料館パンフレットより)
助かったのは村外へ外出していた人と、石段を駆け上がり観音堂の境内にたどりついた人の合わせて93人。
土石が迫った石段は現在15段が残り、赤い橋の下に埋もれていた石段を見ることができます。
昭和54年(1979)の発掘調査の結果、50段あった石段のうち35段が埋没し、土層の厚さは6m程であることが判明します。
さらに、石段をのぼりはじめたところで、折り重なって倒れていた2人の女性の遺体がみつかっています。
境内まであと少しのところ…
生存者93人は、近隣の村の援助や幕府の援助をうけ、村を復興していきます。
近隣の有力百姓3人が世話役となり、今までの身分や血筋を取り払い、生き残った93人が血のつながった一族だという、親族の誓いをさせます。
驚いたのは、
夫を亡くした妻と妻を亡くした夫を再婚させ、子を亡くした老人に親を亡くした子を養子とするなどして、家族が再構成されたこと。
すぐには受け入れられなかったと思います。
でも、こうするしか村の存続はなかったのでしょう。
200年以上たった今も毎年供養祭が行われているそうです。
村史跡「延命寺石標」
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(4)へつづく…