人はそれぞれ忘れられない日があると思う

1.17の阪神淡路大震災、9.1
1の米国同時多発テロ等々

私は1.6になると毎年、思い出すのだが、平成5年1月6日は私がくも膜下出血になった日なのだ。


1/3からに家族で家内の実家がある大阪に行った。


1/4は家内の父親・弟とゴルフに行き、夜は外食


何故かこの時は酒を飲んでも良いが回るのが早かった感じがした。疲れていたのかもしれないが。


そして1/5に最終の電車で一人、家に戻ったのである。



1/6は仕事始めで、朝起きて準備をしていた。洗面所で顔を洗い、髭を剃っていた時であった。


突然、右目の奥がピリッとしたのだ。


前夜、読書をしたから、疲れ目なのかなあと思ったのだが、それと右頭部の耳の後ろ辺りでジワッと言う感じがした。


ちょうど絵の具の筆を水に浸けた時に雲のようにひろがる絵の具のような。


その時、もしかしたらくも膜下出血ではと感じた。


同時に胸が悪くなり、寒気がした。首から背中にかけては板を張ったような感じなのだ。


寝違えて首が捻挫するような感じとは全く違った。


それと鈍痛である。殴られた事はないが、まるで鈍器で頭を殴られたような痛みである。


トイレに行っても頭がズキズキする為(汚い話であるが)腹に力を入れると頭が割れそうと言うか、血管が切れそうな感じがするので用を足す事が出来ない。


もしトイレで倒れたらどうしようとか恐怖感が募ってくる。


先ず、家の雨戸を開け、親元に「ご飯出来てる?」と電話をして自分が帰っている事を伝える。


実家に行って朝食を摂り、その時に両親に「頭が痛いんや」と言ったのだが、用意をして会社に行ったがそこでも「頭が痛い」と言う。


それならと町立病院の知り合いに電話をして頭が痛い事を言って「多分大丈夫やと思うけど念のために一度CTかMRIを撮ってほしい」と言ったが、頭の事なら○○先生に看てもらった方がいいのでは言われ地元にある脳神経外科の病院に電話をし、救急ではなく一般外来で行ったのである。


暫く待たされて「先ずレントゲンを撮りましょう」と言われ、レントゲン室へ

レントゲン医は「多分寝違いとかで首が痛いんだろう」みたいな事を言う。

しかし本人は尋常な痛さではない。


また待合室で待たされて順番を待っていると胸が悪くなり、処置室へ行き、ベッドで横になっていたが、とうとう吐き気を催した。


それからCT室かMRI室のいずれかに行った。


また処置室に戻ると向こうで先生が他の病院に電話をかけていて「クリア」云々と大きな声で話しているのが聞こえる。多分、意識がはっきりしていると言う意味なんだなと捉えた。


すると横にいた看護士さんが手をパーの形に広げたのだ。破裂と言う意味である叫び


「やっぱりくも膜下かい」と私が聞くと看護士さんは頷いた。


ここの先生は脳神経外科専門であるが、手術はしていないので救急車を呼んで他の病院に搬送である。


すぐに救急車が来て看護士さんが付き添いで病院まで


道がカーブが多いので寝ていると酔ってくる。


過去に付き添いで救急車に乗った事はあるが、乗せてもらったのは初めてである。


しかも隊員が知り合いなのだ。「大丈夫ですか」と声をかけられながら、約40分ほど先の病院へ


隊員にと礼を言い、「日曜日、ゴルフに行けんよ」と言って別れる。


何時頃から手術が始まったのかは覚えていないが、手術室に行く時に父親に「行ってくるから」と言う。この時点で自分では無事に還ってこれると自負していた。いや自分の中で大丈夫という確信があった。


手術室では内股の付け根から造影剤の管を差し込んで頭の中に造影剤を入れ、悪い部位を探すのだ。


この時に血管に圧をかけるので、この時点で血管が破裂する場合があるので、家族の承諾書はこの時と手術の時とで2回書かされたと後で聞いた。


造影剤が血管の中を流れると何か熱さを感じ、ピクッと痛みを感じる。

こういう時だからするが、元気な時はやりたくないガーン


約7時間余りの手術であった。麻酔が覚めやらぬ中で私の名前を呼ぶ人がいる。


「○○さん、大丈夫ですかぁ。起きて下さいよう」と。誰やねん「折角、人が寝てるのに、うるさいなあ」と思いながら目を覚ます。


「○○さん。分かりますか。手を開いて下さい。握って下さい云々」と先生が言い、私がそのように反応する。


すると先生が「もう大丈夫ですね」と。付き添いの両親もさぞやホッとしたと思う。


病名はと言うと動脈瘤破裂によるくも膜下出血だそうである。


恐らく先天性で生まれ持って血管の薄い部分が何らかの具合で破裂したが、出血が少しでカサブタになったので軽かったのだと


1/6に入院手術をして2/8に退院した。


くも膜下出血は3分の1が助かって、3分の1が後遺症があって、3分の1が死ぬのだそうである。


それとくも膜下出血は突然死と言われるぐらい前兆がないみたいである。私も前兆はなかったのだ。


最後になるが、一人で家にいた時の恐怖は薄らいではいるが、まだ心の中に残っている。


それとあの痛みだけは二度と味わいたくないのである。


また私の頭の中にはクリップが入っている。 


父親が手術の際に術式を先生から説明受けた時に聞いたそうな。「クリップって錆ないんですか」ドクロ


さすが土建屋の親父であるガーン



一度は死にかけた命。これからは大事にしていかなければと思いつつも、すぐ酒やタバコをやってしまう。


これでは反省猿に怒られそうである。



もし私に何かあると子供らは親無し子になってしまう。人間いつかは死ぬのだが、子供らの為にも自分自身の為にも出来るだけ長生きしよう。



だからこその健康第一なのである。



今年の目標も健康第一を目標にしたいと思う。出来れば禁煙もシラー



皆さんも、ご健康で今年一年、頑張って下さい。