<前のブログ>の続きになります。

死産の話です。妊娠中の方は不安にさせるので閲覧をおすすめしません。

同じように赤ちゃんを亡くした方、辛いばっかりで苦しい方、そんな方が仲間を探したとき、小さくても力になれればと思って残します。

入院中からの手記、後から旦那に聞いた話、先生や助産師さんに聞いた話の記録としても残したいと思います。

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一日目の夜は涙が止まらず、鼻が出るので苦しくて横にもなれず、明け方4時ごろまで記憶があります。
泣いて苦しくて起き上がり、お茶を飲んでトイレに行き、手を洗った時鏡に大きくなったお腹がうつって悲しくなるのを繰り返して朝になりました。
明るくなってきた頃にやっと、疲れて少し眠ることができました。

後から旦那に聞くと、18時頃病院を出て、家に着いた頃は22時を過ぎていたそうです。赤ちゃんと一緒に棺に入れるお洋服や、縫いぐるみなどを買いに入った西松屋では、悲しみを余計に感じて辛かったそうです。本当ならいつ帰っても私が待っている家に、ひとりで帰って寂しさと悲しさに眠れないのを過ごすのを怖く感じて、なかなか家に帰る気になれず遅くなったようです。眠れないかもしれない恐怖からか、普段積極的に買うことのないビールを買って帰り、飲んで寝たと言う旦那の顔は明らかに寝不足でした。
私を支えるため、涙を堪える旦那がひとりで家でちゃんと泣くことができたのか心配でした。

二日目の朝、ラミナリアを抜くのは入れるときと同じような痛み。そして陣痛を促進するための錠剤を入れる。
旦那と部屋に戻り、陣痛を待ちます。

3錠ほどで効いてくると言われていたので、気長に待つことになります。
10時ごろ、分娩できる部屋に移り、2錠目を入れて待ちます。この時子宮口の開き具合を確認するための内診がありますが、今まで内診を痛いと感じた事はなかったのですが、このときは叫び声を上げるくらい痛かったです。

腰からお腹に鈍痛はあるものの、決定的な痛みはないままお昼になり、12時。痛い内診と、3個目のお薬です。お昼が出たので食べました。エネルギーを補給しないといけないと感じて、お腹に痛みがあっても膝立ちになって食べようとしましたが、力尽きて、旦那にバナナだけ食べさせてもらいました。

その後少しずつ痛みが強くなり、2時頃にはもう5分間隔の陣痛、3時にトイレに行くのに助産師さんをよび、血の固まりが出て内診。第一子が膣内に降りてきていると言われて半分パニックに。
3時のお薬を見送り、また旦那と二人に。
私と違って状況が詳しく把握できない、ただの恐怖でしかない状態で、一生懸命腰をさすったり涙を拭いたりしてくれた旦那がいなければ、陣痛の傷みと赤ちゃんをお腹から失う恐怖は耐えられなかったと思います。

自分がお腹から出したくないと思うから出てこれないのではないかという思いがあったのです。又、赤ちゃんが降りてきたのを確認する内診では、もう痛みではなく、女医さんが赤ちゃんを引っ張ろうとしてるんじゃないか、私の赤ちゃんが取られちゃう、という恐怖で涙が出ていました。私の赤ちゃんとらないで、という声を旦那が扉の向こうで聞いていたそうです。(内診の時は旦那は外で待たされていました)

そしてそれから30分ほどでやっぱりもう一錠入れることになり、内診、お薬。助産師さんらが出て行って間もなく強い強い痛みと共に破水。旦那が代わりにナースコール。助産師さんが来て破水を伝えている間にすぐ第一子が、続けて第二子が出てきました。

2017年3月23日15時28分でした。

出てきちゃった、やだやだと泣き叫び悲鳴を上げてパニックになり、やはり通常のお産よりショッキングだからか旦那は外に出され、助産師さんは赤ちゃんを確認。
私はなぜか自分に話しかけていました。「大丈夫、落ち着いて、泣くところじゃないから」となぜか妙に冷静に自分を勝手に落ち着かせ、お腹の痛みがひいて喪失感とともにぼーっとしながら先生を待ちます。

下半身にはへその緒の感覚がありました。まだ胎盤が出てきていないんだと、わかりました。

先生が到着し、胎盤を取り出す処置です。初期流産の子宮内容物除去術と似た処置を麻酔なしで行いました。本当に本当に、死ぬんじゃないかと思うくらい痛くて、赤ちゃんを亡くした悲しみに、元気な赤ちゃんを抱ける喜びのない陣痛、それに加えてスプーンやトングで子宮内を処置される激痛。私にとってはとても理不尽な痛みに感じました。

私の胎盤はとても大きく、根っこがしっかりしていて、取り出すのがとても大変だったようです。
ひとり、またひとりとお医者さんが駆けつけました。最後にやっとやってきたのが別の双子の診察中だったいつもの担当の先生で、女医さんが胎盤を出すのに手間取っているのをみると、すぐ痛み止めと子宮収縮剤を使うように言ってくれました。そして胎盤はボロボロになっていい、できるだけ痛くないようにと言ってくれたので、そこからはスムーズにいったように思います。
最後スプーンのような器具で子宮内を掻いて残存物を確認するのはまた気絶するくらいの痛みでしたが、それが終わってやっと泣き止んだころ、先生方が出て行き、旦那が戻ってきました。

もし今これを読んでいるあなたが死産の分娩を控えているのなら、胎盤が残ってしまい処置が必要な場合は麻酔を使ってほしいと、あらかじめ強くお願いした方が良いと思います。

旦那は自分がまだ部屋にいた間に、双子は生まれたとは思わなかったようです。あとから聞こえた私の声がすべて後処置の時のものだと知って、驚いていました。何が起きているのかも分からず、ただ妻の泣き叫ぶ声だけが聞こえるのは、怖かっただろうと思います。
よく学生のカップルのようだと言われて、自分たちでも家庭という感覚が薄かった私たちでしたが、もうとっくにこんなに夫婦だったんだと、お互いかけがえのない存在だと、心から感じました。

疲れた私の虚無感は旦那の優しさで少し埋められて、眠気がやってきました。少し眠ろうとしましたが、痛み止めと同時に始めた脈のモニターが不整脈っぽくて気になって眠れず・・・他に血液検査や血圧に異常が出たこともなかったので、産科の健診がすべて終わったあと、心電図をとってみたらということになりました。

旦那は有給の話をするために一度職場へ。一時間ほどで戻り一緒に入院している部屋へ戻り、先生が赤ちゃんを連れてきてくれるのを待ちました。この時点滴がおわり、やっと自由な体制で気にせず横になれて、旦那も一緒に少しだけ眠りました。

赤ちゃんに会う話から次に書きます。