▽▲▽▲ 現在、ブログ休暇中です▲▽▲▽
物語の再掲のみ更新予約にて続けております。
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マニンはさまざまな術の危険さをよく心得ていて、イェシリーにも口やかましく注意を与えるのが常である。 “ 着地 ” したかどうかという時に横合いから口を出すのはめずらしかった。
「いま着いたところよ」
浮島で少し虚ろな目をした少女の体が答える。唇で答えながらも、城壁の石をつかんだかぎ爪の鋭さがゆっくりと自分のものになっていく。引き裂かれる感覚の均衡を保つことが、この術のむずかしさでもあった。
《小鳥たちは何て?》
《さほどのことはわからぬ。昨日の夕暮れまでは王に変わりはなかった。夜のうちのことは、ほとんどの鳥には知りようがないゆえ》
鋼のようなつやを持つ羽根をかすかに動かしたのは、ヒューギンなのか自分なのか。イェシリーがそちらに気を取られる間に、
「王の寝室の窓辺に、代々巣をかけているカラスがいるはずだ。何か聞いてないのかい」
マニンの声が割り込んできた。少女の耳が聞いた言葉が鷹の中にいるイェシリーの中に響き、その共鳴をヒューギンが聞き取る。
《カラスだけは王の叫びを聞いた。「スローヴティンが抜かれた」と》
「何だって?!」
マニンの叫び声の大きさがイェシリーを浮島へ引き戻し、彼女自身の体に叩きつけた。
「いたた…」
頭を抱えながら起き上がったイェシリーは、マニンを見てぎょっとした。
マニンは尻もちをつき、虚ろな目をしていた。常に幾重にも底がある謎をたたえたマニンの目が、これほど無力になることがあろうとは、思いもよらなかった。
さらに、
「なるほど。妙に智恵をつけたと思えば、このようにして外を眺めさせていたのか」
いつにも増して冷たいソルーシュの声が背後から聞こえた。
「お前たちを喚ぶことは許した。黄水晶で遊ぶことも許した。心をすべり込ませれば、お前たちからなにがしかの知識を得るだろうとは思った。だが、こんなことは許していない」
マニンの顔にさっと生気が戻った。
「そりゃ<エイル>の修行をさせるんだ、ちっとは世の中を知らないとね」
「島から出ることは許さない」
「そんな馬鹿な!」
「イェシリー本人が約束したのだ」
マニンに見つめられ、イェシリーは思わずうつむいた。
何も考えてなかった。幼さをとどめた少女は、自分が返答した言葉の重大さをやっと理解した。
イェシリーは唇を噛んだ。<エイル>の技は他者を癒やすものである。世間から隔離された “ 浮島 ” に居続けるとしたら、永遠にそれを活かすことはできない。
ここから出たいと、イェシリーは初めて心から思った。そう思った時には、彼女自身の約束ゆえに、出ることはかなわなくなっていたのだった。
緑の瞳に薄い水膜が張った。置き忘れられたイェシリーの感情は幼く、その表れかたはますます幼かった。それを見て取ったマニンは鼻を鳴らしてソルーシュを睨みつけた。
「こどもを騙すような真似はおよしよ。この子はまだどうしたいかわかってないんだ。自分が望む答えに釣り込むなんて、ひどいじゃないか」
「そういうお前は何をしている」
ソルーシュの端正な面差しが揺らぎ、荒々しく酷薄なものの影が重なった。
「これを使って何を嗅ぎ回っている。お前こそ、己が目的のためにこれを利用しているではないか」
「なんだって!」
「人の世で何が起ころうが、われわれには関係ない。つまらぬことに巻き込むようなら、ただではおかぬ」
マニンが怒りでふくれ上がった。
「つまらぬこととはどういうことだい。あんたはやっぱりオルムリンなんだね、龍どもはいつもそうだ。知らぬ顔をしようとした結果が “ 邪龍 ” じゃないか。自分たちも他の種族も傷つけて、まだ学ばないのかい」
獲物に飛びかかる蛇の素早さでソルーシュが動いた。しかし、それよりはるかに速く、マニンの前にイェシリーが手を広げて立った。
「マニンに何もしないで」
イェシリーの顔つきから幼さや頼りなさが消えている。純粋な怒りがそれらを灼き、瞳を緑柱石のように冴え返らせた。
「わたしはオルムリンの子なの? きちんと答えて。あれもこれも秘密にして、ただ服従を求められるのはもう我慢できない。わたしは誰で、何をしなくてはならないの?」
未来の彼女を思わせる勁(つよ)さがソルーシュを圧した。人ならぬものの気配が去り、美しい顔をうつむけたソルーシュは小さく見えた。
「…お前はオルムリンの血を引く。我ら一族は、そこの豚が言うように他種族を無視して生きてきたわけではない。他種族の血が混淆し、時にデウィンや人のような形で生まれる者もある。ましてお前は、母がデウィンだからな」
イェシリーを包んでいた怒りの薄い鎧が砕けた。イェシリーはふらつき、マニンがその鼻先で彼女の腰を支えた。
ソルーシュには息をつく隙ができたらしい。
「まだ、すべてを語るわけにはいかぬ。この地には数知れぬ騒動があった。そのいくつかはまだ終わっておらず、それゆえにお前はここで静かにしておくべきなのだ。運命に見つからぬように」
マニンが何か言おうとするのを押さえて、イェシリーはまっすぐ立った。
「運命に見つかった時、何も知らないこどもでありたくない。戦えるだけのことは教えて、ここで得られる知識だけでなく。この地で起きることはあなたにも、わたしにも関わってくることでしょ。知らなくてはならないわ」
もう一度、そう遠くない未来に独り立つ女の面影がイェシリーの顔に表れた。
次回再掲は23日(土)になります
※画像はフリー画像です