▽▲▽▲ 現在、ブログ休暇中です▲▽▲▽

物語の再掲のみ更新予約にて続けております。

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気がつくと、イェシリーは繻子のクッションの上に倒れていた。
「まったく。心をすべり込ませている時は深追いしちゃだめだといつも言ってるだろう」
不機嫌に鼻を鳴らすマニンの顔が真上にあった。
「術の中にいる時は感応しやすくなってる。あんたは制御が上手くない上に、動物だけじゃなく、物にも草木にも入り込めるんだからね。ふっと入り込んで、数千年、数万年の記憶を追ったりしたら、心が破れるか、道に迷って戻れなくなっちまうよ」
「うん…ごめんね」
この世で暮らした時間を取り落としたかのように、イェシリーはゆっくりとぎこちなく身動きした。鷹になり、胎児になり、いきなり少女の体に戻ってきたのでは感覚が混乱するのも無理はない。

「お母さんは、フェルスリグの王宮にいたのね」
かすれた声の問いに、マニンは小さな目を見開いた。イェシリーがリフィアを「お母さん」と呼んだのは初めてだった。
「ああ。ローエのとこへ行ったり、市中で<エイル>の技をおこなっていたりしてたんだが、彼女もアイスリンのことを心配してね、しばらく王宮にいたこともあったよ。デウィンはどの宮廷でも賓客扱いだからね」
やはりそうか、とイェシリーは思った。王宮の何か ― 石だたみや壁、庭木などが在りし日のリフィアの記憶をとどめていて、知らずにそれに触れた自分の意識に染み込み、時を超えた “ 夢 ” を紡ぐ一助になったのだろう。
「それと…アイスリンから聞いた、大学の果樹のことがあってね」
「アイスリンが果実を食べた樹のこと?」
「聞いた限りでは、どう考えてもその樹が原因だと思うだろ。それにね、あたしらにはまた別の疑惑があったのさ」
「あたしらって?」
「リフィアにあたし、ローエとジルニトルもね。ヒューギンを飛ばして話し合ったよ」
いつもながら、マニンの言いかたはヒューギンを完全に下に見ているものだった。同じくリフィアの「友」とはいっても、その意味はまるで異なるものらしい。

「あたしには気がかりなことがあったのさ。今では文書ひとつ残っていないが、ずいぶん昔に、ある言い伝えを聞いたことがあってね。デウィンもジアルデルも未だ生まれぬ古い古い世には、自在に身を変える者たちがいて、あらゆるものの姿を取りながら暮らしていた。けれど、彼らも我らと同じく愚かな生き物で、恐ろしい戦を引き起こした…自ら根絶やしになるような戦を。それを忌み、木石に身を変えた者もある。心を眠らせ、喜びも悲しみもないものとなって生きのびた者がある…とね」
イェシリーは固唾を呑んだ。マニンはデウィンすら知らないことを知っている。豚の底深さはわかっているつもりだったが、あらためて空恐ろしく感じた。
「それで…」
「ジルニトルはだめだね。文書にないものは信じられないと言ってきた」






マニンはせせら笑うように鼻を鳴らした。現在のデウィンの長も、マニンには小僧同然らしい。
「しかし、ローエとリフィアは信じたよ。特にローエは “ 大森林 ” のおかしな生き物を抑えている立場だからね。塔に閉じこもって、干からびた知識を弄んでいる者とは違ってた」
ジルニトルを批判するマニンの口調には、何か別のものが含まれているようだった。イェシリーはやっとそれらしい感覚が戻ってきた身体がみょうに重く感じた。しかしマニンは口調を戻し、
「めずらしくローエもフェルスリグに来ると言い出したんでね、ハヴォルに話を通して、あたしらで大学へようすを見に行くことにしたのさ」
と、百年前の話を続けた。

「ところがね、ハヴォルに話をしたのがまずかった。アイスリンの言葉はまるで信じなかったハヴォルも、名だたる魔法使いがふたりも来るというんで、ようやく果樹をあやしむ気になったらしい。だからってねぇ」
マニンはため息のように鼻を鳴らした。
「公子の頃のハヴォルは王位を望んで必死だったけど、あんなにわからずやではなかったよ。おまけに、あたしの言葉を黙って聞いといて、こちらには断りなしで動くような人間になっちまうなんて」
「どうしたの?」
「王は兵士を派遣して植物園の果樹を伐らせたんだ。大学の長が骨のある人間なら、あるいは止めたかもしれない。大学は “ 王の力及ばぬところ ” だからね。だが、大学は抵抗しなかった。兵士たちは植物園に入り…どの木なんかわかるもんか、やみくもに伐って、貴重な植物園の大半をだめにしてしまったんだ」
「そんな…、デウィンが住んだ頃より古い時代のものかも知れなかったんでしょ?」
「ああ。そしてとりわけ、あたしらが暗澹(あんたん)としたのは…いくつかの木は悲鳴のような音を立てて倒れたというんだよ」

マニンは暗い目を伏せた。
「血のような樹液が飛んだと聞く。考えてもごらん、それは戦を避けた大昔の何者かだったのかもしれないんだよ。どんな者たちだったか、もはや知りようもないが、あたしたちと同じく血を流す者だったんだろうさ。それを無残に伐ってしまったとは…」
「……」
「ハヴォルは恐ろしくなったんだろう、アイスリンを王宮から出して山上の塔に移した。まあ、あたしとリフィアにしてみれば、愚かな王から守ってやりやすくなったんだがね」
ついフェルスリグの背後にそびえる山を見たくなって、イェシリーはあわてて自分を抑えた。心をすべり込ませる技はあまり使うと戻れなくなるし、受け入れるヒューギンの負担も考えねばならない。
「ハヴォルの愚行のおかげで、アイスリンが接した果樹の正体はわからなくなった。そう考えていたのさ、あたしらも。けれど、生まれてきた子がすべてを証していた。今の世にはあり得ない燃えるような瞳を持ち、どこか古く荒ぶる面影を宿した赤児がね」

 

 

 

 

くま 次回再掲は16日(土)になります みずがめ座

※画像はフリー画像です