▽▲▽▲ 現在、ブログ休暇中です▲▽▲▽

物語の再掲のみ更新予約にて続けております。

訪問のほうも休ませていただいていますので、

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見た目よりもずっと奇妙なローエの家で一夜を過ごすのは刺激的な体験だった。
ひと部屋だけしかないと思われたのに、ふと壁に通路が口を開けている。入っていくと簡素だが気持ちのいい寝室があって、寝台がふたつ並んでいる。
「それでは、王子とヴィト殿はおやすみください。我々ふたりは見張り番を」
アルドーが生真面目な声で言い出せば、さきほどまで確かに壁しかなかったところに扉が現れ、その奥にはやはりさっぱりした寝室がある。
「ローエ殿のお宅で見張りもないだろう。明日からはまた旅の身だ、今夜はゆっくり休ませていただこう」
ハールは笑って言い、突然あらわれて駒を踊らせるシュアックの盤や、しばしば天井から降りてくる酒杯や果物を載せた小さな台などに面食らいつつも、若者たちはひさしぶりのやわらかく清潔な寝台でぐっすり眠った。


朝になり、皆は最初の部屋でローエとともに食事をしたが、その時には、螺旋(らせん)の棚がめぐらされたこの部屋のどこにも通路は見当たらなかった。
「不思議な術ですね」
疑問ではち切れそうな一行を代表したハールの問いかけに、
「すべてはたたみかたじゃ。祭りの時の大きな玉飾りのついた帽子も、たたみ加減でただの地味な布に見える。そういうことじゃよ」
ローエは簡単に答えて、
「見えぬようにたたんだ罠にかかっておればよいが」
と、ひとりごとを続けた。皆が首を傾げるひまもなく、せわしなくテーブルを離れたローエは玄関の扉を開いた。
「おお、ハール王子、方々(かたがた)、上手くいったぞ」
呼びたてる声に一行は玄関へ向かった。


扉の外には森がひろがっているが、昨日ハールが見たのともまた違う場所で、少しだけ開けた空間には澄んだ泉が清らかな面(おもて)を見せている。そのほとりのやわらかい草が踏みにじられて青い香りが立ちこめており、草を蹄(ひづめ)に掛けた生き物はポーチの下でもがいていた。
「ルージェと呼ばれる生き物じゃ。見た目は鹿に似ておるが頑丈でな、そのくせ毛並みは絹よりもやわらかい。それゆえ、ほとんど狩られてしもうての。今ではこの森にしかおらんらしい。これがまた、春先にはいい香りがするんじゃよ。ああ、オスだけの話じゃがな、それでメスを惹きつけて…」
「ローエ殿、そのルージェを何とされるのです?」
“ 森の賢者 ” の脱線ぶりに慣れたハールがさえぎった。
「おお、そうじゃった。これらは頑丈ゆえ、男でも騎乗できる。あまり長くは保たんがな。丘陵地帯まで早めに抜けるに越したことはない。これに乗って行くがよい」


目に見えぬ何かに足を取られているルージェのもとへ降りると、ローエはその首筋や額を撫でながら何かを小声でささやいた。ささやかれたルージェはしぶしぶ立ち上がり、他のものも立って一行に背中を向けた。
馬よりは細身で頼りなく、乗りにくさも感じたが、敏捷さはその身体から伝わってくる。亡者が出没する地帯を駆け抜けられるならありがたい。ハールたちはしばらく乗り馴らしてからローエに別れを告げた。
「数々のお気遣い、痛み入ります」
「なに、デウィンの言葉に “ 関わりは分かち合うもの ” と言う。助けられるものが助ければいい」
ローエが手で指し示すと、その方向にだけ道が見えた。
「しばらく道をほどいておる。早く行きなされ」





 

平原の端に丘陵の影を認めた時、ハールたちはあらためてローエに感謝した。
ルージェは確かに見た目よりはるかに頑丈で、森からそれほど変わらないペースで一行を運んできてくれた。人間の足であればまだ半分の行程にも及ばず、あとひと晩かふた晩、亡者がうろつく平原で夜を明かす羽目になっただろう。
不安なのはローエが言っていたルージェの持久力だったが、ヴィトが騎乗した一番小さなものの足どりに乱れが出た以外なんの問題もなく、灰色の岩が切り立った段差を成す丘陵地帯にたどり着くことができた。


「どうなさいますか、王子」
崖を見上げながらアルドーが問うた。
「何をだ?」
「ルージェです。このまま乗り進めれば助かりますが…」
「無理だろう」
自分の乗る、リーダーとおぼしきルージェの首筋をやさしく叩いてハールは答えた。
「ローエ殿もあまり長くは保たぬと仰せだった。この岩山を越すのはむずかしいだろうし、住処の森に戻れぬところまで連れて行くのも哀れだ。ここで離してやろう」
一行はルージェを解き放って彼らが森の方角へ駆け去るのを見送り、それぞれ荷物を背負った。ずしりと肩に食い込む荷物とともに崖を這い上るのはつらく、せめて荷駄を運ぶ馬がいてくれたらと全員が思った。


岩が形作るいくつもの丘を乗り越えると、なだらかに下る草原が続く。いくつかの小さな森や谷を経て、海辺へ至るはずの道だった。
「村があればいいんですがね。このあたりは俺たちも不案内なもので」
あたりを見渡したケルドーが言った。
「馬も欲しいところだが、何より食料が心許ないな」
ローエはある限りの乾し肉や固パンや干した果物など保存のきく食べ物を渡してくれたが、そもそも食べることに無頓着であるらしく、豊富な量とは言いかねた。獲物がいれば狩りをするにしても、ルマまで何日かかるかわからないと思うと、村落のひとつもあってもらいたいところである。


しかし、二日目に通りすがった森で鹿を仕留め、やっとたらふく食べた翌朝、岩まじりの草原の向こうに見えた小さな点がすべてを解決した。
点はみるみる人馬の形を成し、やがて鞍上の人物は長い髪をなびかせた女であることがわかった。赤みがかった金色の髪が清浄な朝の陽光に輝く。
「フェラリス姫…?」
皆があっけにとられるうちに、凛々しい姫君は見事な手綱さばきで野営地に駆け寄ってきた。
「よかった、ハールさま」
フェラリスは心からほっとしたようすで、フェルスリグの大学で見せたよりもさらに美しい笑みを浮かべた。
「ルマへ向かわれたけれど馬をお連れでないと聞き及びましたので、お迎えにまいりましたの」
ひらりと馬から下りた姫に当惑して、
「ご厚意は感謝いたします。しかし…」
ハールは口ごもった。フェラリスはもと来た方角をふり返り、
「まあ、1騎もついて来ていなかったのですね。情けない」
初めて気づいたように小さく叫んだ。そして、
「すぐに馬がまいります」
そう言って、少しはにかんだような表情でハールを見た。

 

 

 

 

くま 明日に続きます みずがめ座

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