浮島ではマニンが飛び上がり、地響きをたてて着地した。
「レギン王が、眠ってしまったって?」
「そんな大きな声を出さないで、マニン。聞こえなくなるわ」
どこかぼんやりした声でたしなめたイェシリーの目は、ヒューギンを通じてフェルス王城の客間に注がれたままである。眉間に神経質なしわを刻んでいる男はアラリク王子、そして白い服の少女はフェラリス姫だろう、とイェシリーは見当をつけた。
「お目覚めにならない、って…」
「もう何度もお起こししているのだ。侍医を呼んだところだが、どうなるものでもあるまい。何かが呪いをかけていったに違いない」
「お兄さま」
フェラリスが表情をあらためた。
「それでは、お父さまの枕元からまっすぐこちらにみえたということですのね。まさか、ハールさまをお疑いなの?」
「いや、別に…」
アラリクはたじろいだように口ごもり、
「しかし、急に “ 夢の護り手 ” どもの姿が消え、コルの世継ぎもいないとなると…」
「 “ 夢の護り手 ” を動かせるのはお父さまだけ。彼らと同じように消えたのなら、ハールさまもお父さまに協力なさっているのかもしれませんわ」
フェラリスはぴしゃりと言った。
黙り込んだアラリクの渋面に重なって、
「人間じゃ心許ない。ヒューギンに小鳥から話を聞くように言っとくれ」
マニンの声がした。
《承知》
“ 中 ” にいるイェシリーを通じてヒューギンが直接応じ、ぐいとイェシリーの意識を引っぱって空へ舞い上がった。イェシリーはその一瞬、窓の向こうを覗き込み、フェラリスの整った顔とすみれ色の瞳に淡いあこがれを感じた。
ヒューギンは一気に塔をしのぐまで飛翔し、それからふわりと滑空して城の胸壁の上に舞い降りた。物陰に巣をかまえる小鳥たちは鷹の姿に恐慌をきたして騒いだが、並みの猛禽でないことをすぐに察し、ヒューギンを取り巻くように寄ってきた。
イェシリーは浮島に意識を向けた。小鳥の “ 言語 ” は弾けるような刺激で、ずっとひたっていると頭脳がこそばゆいような感覚に襲われる。ヒューギンが必要なことを聞き取るまでのあいだ、少し離れていたほうがよさそうだった。
水の中で目を開いたかのようにぼやけて見えた周囲が、ゆっくりと形を成していく。イェシリーはしばらく動かず、自分の体の感覚をひとつひとつ、指先に至るまで確かめた。
「戻ってきたのかい」
「鳥の会話は疲れるのよ」
羽根の感覚が残る手先を揉みほぐしながらふり返って、イェシリーはぎょっとした。マニンの背中の毛がちりちりと立っている。これほど緊張したマニンを見たのは、龍が争い、海から奇妙な光がひろがった、あの時以来のことだった。
「どうしたの、マニン」
「フェルス王…というより、燃える目を持つ “ 夢使い ” が夢の中へ入って戻らないんだ。よほどのものを見たのか…よほどのことが起きたのか…」
イェシリーに答えようとしたのだろうが、マニンは半ばひとりごとのようにつぶやいている。
「マニン!」
イェシリーが強く呼ぶと、マニンは小さく黒い目でじっとイェシリーを見つめた。その目の中には、名づけられないほど不思議なものや恐ろしく古いものや謎に盈(み)ちたもの、危険なものがからまり合いながら蠢いている。
「フェルスの王がなぜ燃える目を持つか。話しておこうか」
イェシリーは意識の端を探った。ヒューギンがまだ小鳥を「尋問」しているのを確認して、イェシリーはマニンの前にぺたりと座った。
「フェルスの王統に不思議な血が混じったのは、エアルワルド王からだってことは知ってるね? フェルスでまた王位継承の小競り合いがあったのをいいことに、イェルズがアデリスを併呑し、調子に乗ってコル島にまで遠征して叩きのめされた頃、幽閉されていた塔から出て即位した王だ」
「幽閉?」
「そう。なぜまだこどもだったエアルワルドが閉じ込められてたのか、それが話の始まりだよ」
マニンはあごを上げた。
「フェルスにはおかしな場所がいろいろある。デウィンのひとり、ローエが見張りについている “ 大森林 ” もそうだし、死んだ王がもぐり込んだ谷間もそうだ。それほどわかりやすくなくても、時におかしなものと遭遇することはあるんだよ」
言葉を切り、マニンは足もとの『失われた塔』を蹴った。
「不思議の技を使うのはデウィンばかりじゃないのさ。もっともっと昔、びっくりするような生き物たちがいた。龍もそのひとつだが…フェルスには彼らの栄えた跡がいくつも残っている。だから、王の娘アイスリンはもうちっと、用心するべきだっただろうね」
次回再掲は9日(土)になります
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