「うちのばあちゃんが、こんな歌を歌ってたことがあるんですが」
ケルドーは目の鬼火をたぎらせるカレヴィではなく、ふり返ったヴィトに向かい、
「愚かなクニオル、純白のローブはまがい物、赤く染まりし死出の衣、道化に似合い」
早口で歌って聞かせた。思わずカレヴィが舌打ちをして、
「そんな歌があったのか」
とつぶやいたのが聞こえ、ヴィトはゆっくりとカレヴィのほうへ向き直った。


「いま、何とおっしゃいました」
ヴィトの声に、きわめて厳重な響きがこもった。
「学問の問答でないのはご自由です。しかし、問いかけの則(のり)は “ 知る由(よし)もない問いをせぬこと ” です。人はなぜ生き、なぜ死ぬのか、問われて答えられる者はいない。問答は規則がなければ成り立ちません。ボールドリク王の誓いも、それを踏まえたもののはず」
ハールはヴィトが心底から怒っているのを感じた。古今の学者を師としてきたヴィトにとって、師の裏切り行為は許せないものなのだろう。
「どれほど稀少なものであっても根拠があれば問えるが、問いかける者は、問われる者が知っておくべき根拠を知らぬまま問うてはならない。あなたほどの方にこれを言わねばなりませんか」
叱り飛ばされた愚かな生徒さながら、カレヴィが顔を背けるのへ、
「カレヴィどの。クニオルの衣服は、虚しくもデウィンの長を真似た純白のローブ。そして、すでに教えが語られているのではないかとの問いには、歌のみぞ残る。これが我らの答えだ。これで6つ」
ハールがびしりと言った。カレヴィはあわてたように顔を上げたが、反論はできなかった。苦いものを飲んだような表情で、カレヴィはいつのまにか現れた書物を手に次の問いを探す。


「やった、問いかけに詰まってますよ」
ケルドーがうれしそうにささやいた。ハールも口の端に笑みを刻み、頷き返した。
「そうだな…」
面白くなさそうにカレヴィは闇を見上げ、
「ボールドリク1世の剣はいずこまで及んだ」
と、どうでもよさげに問うた。あきらかに、ひと息入れるための問いかけだった。
「ヤムナハール303年、ヴァリスの一部となる “ 名もなき地 ” まで」
ヴィトもすらすらと答えた。
ところが、その答えを聞くなり、はっとカレヴィは目を見開き、まじまじとヴィトを見た。
「あの土地には名がある。ついにしくじったな、思い上がった若造め」
陰鬱な色あいのカレヴィの顔に、満面の笑みがひろがった。






青ざめたアルドーとケルドーがハールに身を寄せた。いざとなればハールを守って戦うつもりらしい。額に汗を浮かべたハールがヴィトのようすを窺うと、意外にもヴィトは落ち着いていた。
カレヴィはそのようすに気づかないのか、
「あの地はファランと呼ばれていた。アストルの『失われし夢の譜』を知らぬのか。第二章三節に “ 灼ける地を見はるかすファランの丘 ” と書かれておろうが」
自慢げに言いながら、卑しいほど痛快そうな顔つきで身を乗り出してきた。

時折からだから噴き上がる火花と目の奥の鬼火以外、古風な学者然としていたカレヴィだったが、生者を引き裂けそうな成り行きに夢中になるにつれ、あちこちの皮膚が曖昧になり、骨が透けて見えたり靄(もや)になったりして、亡者らしい様相になっている。

横目で窺うハールには、ヴィトの瞳に一瞬、哀しみがよぎったように見えた。


深く息を吸うと、ヴィトは勁(つよ)く、
「先師よ、その説は覆されたのです」
と言った。カレヴィの全身からすさまじいばかりの火花が散ったが、ヴィトはかまわず続けた。
「アストルの記述には矛盾があるといわれていました。それを調べたオルバンが、アストルの書は創作を織り交ぜたものであることを突き止めた。もう100年ほど前から、『夢の譜』を典拠とすることはなくなりました。そして、正しい名前が見いだせなかったため、現在では “ 名もなき地 ” と呼ばれているのです」
「ばかな。それが、口から出まかせでない証拠がどこにある。そなたの言葉ひとつで信じるわけにはいかぬ」
わめくカレヴィをじっと見つめ、
「先師よ、学問は日に日に進みます。あなたとて、オーリンの説を覆したことがおありではないですか。己が知識にしがみついては学問は終わりです。アストルの矛盾をご存知でないはずはない。あなたほどの学者ならば、冷静にお考えになれば推し量ることができるはずです」
深い声音でヴィトは言った。ヴィトの真情は理解できるが、ハールの見るところ、カレヴィは冷静になるどころか意地になっていて、説得は無駄だと思われた。

 

ところが、
「あなたがアルフと争った “ 呪術師の塔 ” の場所も、今ではその遺構が見つかり、あなたの説が正しいことが証明されたのですよ」
とヴィトが言ったとたん、カレヴィは飛び上がった。
「なんだと! やはりイェルズだったか。アデリスではなかったのだな」
「はい、イェルズです。アデリスではありませんでした」
ヴィトは妙にしつこく返答したが、カレヴィは気づかないようで、
「そうか、それはすでに定説になっているのか? あの愚かなアルフの説は消え去ったのだな?」
たたみかけるように訊ねた。
「はい、先師よ。すでに定説です。大学の教本にも載っています」
「これで10だ、カレヴィどの」
ハールが断固とした口調で宣言した。

 

 

 

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