背後で生産してくれる民百姓あってこそ
戦国武将は戦えた、と書いた。
もちろん、戦国時代に限った話ではない。
前にも書いた例で言うと、源平が争い、
源氏の中でも頼朝と義仲が競った頃にも
大規模な飢饉が起きて
政治的には
非常に緊迫していたにも関わらず、
数年に及んで都の軍も頼朝も義仲も、
誰も動けなかったことがあった。
(ご興味あれば「因縁の対決」へどうぞ)
領国の出来高は、これほど直接
領主・為政者の計画構想にも
響いたわけで、
誰が収穫したものかも知らず
その苦労も知らず、
手近に並んでいるモノを買ってくる
わたしたちより
ずっと肌身で民百姓を感じ、
彼らのことを気にしていただろう
と思ったりする。
そして、そんな彼らを守るために
為政者である武人たちは戦った。
わたしの住む地域は
大きな川に向かって下る
段丘崖(だんきゅうがい)の途中にあり、
下方の川の近くでも
農業用水には苦労したらしく
水路を引いた人が銅像になっているが、
少し上のほうではさらに水が無く、
隣の地域と水争いで血を見たと言う。
殴り合いの鼻血なんかじゃない。
クワやカマ(刀狩り前は刀剣もあっただろう)で
斬りつけ合って、
死者が出ていたということだ。
誰がそそのかしたわけでも、
誰がそこへ導いたわけでもない。
まずは愛する家族、そして仲間、
彼らが少しでも生きやすいように
生きられるように
水が、土地が、食べ物が必要だったから
誰もが「敵」と戦った。
これが「戦争」の
もっとも原初の形だろうと思う。
とてもざっくり言うと、
二次大戦後に「戦争責任」なる
新しい概念が出てきて
戦争はとてもいけないことだという
話になる前までは、
「敵」と戦って
手持ちのいいもの守ってねー、とか
いいものゲットしてきてねー、
というのは庶民の普通の感覚で、
その点については、
戦中、旗を振って喜んでいたのも
別に騙されたわけでもなんでもない。
体裁が悪いから
何でもかんでも騙されたと言っとこう、
というのは卑怯だと思う。
少し話が脱線した。
刀剣を取って戦う人々は
背後で野良仕事をする人々を守り、
田畑を耕す人々は
そこを脅かされないよう
命がけで戦う人々を尊敬した。
相互の関係がそこにはあった。
そういえば、
ヨーロッパの城郭は街を内包するが
たとえば強敵に囲まれてしまって
現在の城主では
自分たちを守れないと見ると
住民代表が敵に街の鍵を渡し、
見返りに「新しい契約」を結ぶのが
通例だったそうな。
中国の歴史にも、同じような手法で
住民が自分たちの既得権を守る姿が
見受けられる。
日本は「城下町」の形態なので
まったく同じ例はない(だろう)が、
領民が日和見して
敵に協力しかねないところ、
なだめすかして自分側に留めるのに
苦労したりはしてるようだ。
天地の始まりから
支配階級と被支配階級がいて、
嫌がる無垢で良心的な民を
一部の傲岸な人間の野望で
引きずってきたわけではない。
ひとつの群れとなった人間たちが
各々の都合や能力で関係を築き上げ、
群れ以外の「敵」と戦って
群れ、つまりは
その中にいる自分や家族・血族を守り、
折り合ったり取引したりしながら
よりよい暮らしを手にしよう
としてきた。
現代の目で
その営みを評価するのであれば、
まず「ありのままの姿」を
受け取ってからの話ではないだろうか。
胃痛が治りません(T∇T)