やがて暗雲が切れ、嘘のような青空がひろがった。闇夜のようだった荒れ野にも陽光がふりそそぎ、いつのまにか、亡者の姿はかけらもない。
「やつらが姿を現すのはこの世に残した未練によるんですが、それだけなら、ただぼんやり現れたりするだけなんだそうです。こないだの小隊みたいにね。執念深いターニットたちのように、自分の意志で生前の姿を作り出すとなると、とんでもない力が必要なんで、長くはやってられないらしいんですよ」
そういうケルドーの声も、たった今まで夢でも見ていたかのようにどこかぼんやりしている。
「つまり決着に及びきれず、集まっては激突する、をくり返しているわけか。くだらぬことだ」
と、ハールはあたりを見まわし、
「これならば、呪われた者たちのほうがよほど厄介だ。正体は知れぬがこの世のもので、このように消え失せることもないだろうからな」
「ですが、ご用心くださいよ。亡者の剣に斬られた傷は治らず腐っていくんです。 “ 呪い傷 ” ですよ。呪いと腐敗が全身にまわって苦しみ悶えたあげく、天宮にも行けず、地をさまよう亡者の仲間入りになっちまう。フェルスで一番の名医にもどうにもならんのですから」
頷きかけて、ハールはふと湧いた疑問を口にした。
「人間はだめでも、デウィンならどうだろう。<エイル>ならば救えるか」
「さあ、どうでしょう。<エイル>がドゥニアにおいでの頃は、亡者がこんなに暴れたりしなかったでしょうからね」
アルドーとヴィトは最初の岩陰に置いてきた馬を連れてこようとしていたが、おびえた馬はまったくいうことをきかない。ハールとケルドーも馬のそばに戻った。
「ボールドリク4世が “ 砦 ” から出てこないのは、これが理由か」
「 “ 砦 ” のある荒れ谷自体に不思議なちからがあるため消耗することがないとの説もありますが、おそらく、やはり長くは存在できないのでしょう。 “ 砦 ” に閉じ込めてしまえば、彼らが姿を失っているあいだも逃れることができない。王冠欲しさに生者と関わらざるを得ないゆえの、王の戦略かと」
馬の首筋をやさしく叩きながらヴィトが答えた。
ボールドリク4世は従兄弟エアランを担ぐ勢力に敗れ、偽物の王として紙の王冠をかぶせられて遺体をさらされた。そのため、奪われた王冠を取り戻して恥を雪(すす)ぐまでは荒れ谷を去らぬと誓っている。
「王冠か。ミーラントの沼の深泥(みどろ)の底にあるものを誰が手にできよう。虚しい望みなど、棄ててしまえばよいのに」
フェルスリグのずっと南に当たるクライグは陽光が明るい。コルの空にも似たまぶしい青空のもと、ハールの言葉は戯れのように消えていった。
さいわいターニットたちとふたたび出くわすこともなく、一行は死んだ王がこもる荒れ谷に向けて東へ東へと進んだ。あたりの景色は荒涼としていたが、ところどころには草や灌木もあり、すばしこい小さな生き物が草間を走り抜けて行ったりもした。
やがて道はゆるやかに迫り上り、いびつな木々に覆われた小さな谷間が南側に見えた。木々の作る陰翳のためだけではなく、名状しがたい暗さがたちこめている。
「あれか」
ハールは短く言い、馬首をめぐらせて道なき道に踏み込んだ。いつもなら必ず何か言うケルドーも無言でそれに続き、押し黙ったまま一行はつづら折りに下っていった。
しかし、傾斜が尽きる前に馬が落ち着かなくなり、それぞれがさまざまになだめてみたものの、よくなるどころか馬を御するのがむずかしくなってきた。
「これ以上は無理らしい。放ってやろう」
やむなく荷を下ろし、手綱を放すと、馬は迷わず街道へ駆け戻っていく。馬とともに戻りたいと叫ぶ本能をハールたちは全力で抑えねばならなかった。
近づくと、荒れ谷の禍々しさが迫ってきた。ねじ曲がった木々は植物の持つやさしさを失っていて、侵入者に悪意を含んで立ちふさがり、隙あらば襲ってくるかのようだった。風は死に、よどんだかび臭い空気がただよっている。病んだ色合いの土がわずかに見える地面は朽ち葉で覆われ、ところどころにのぞく黄ばんだ塊は人骨らしかった。
生き物のように垂れ落ちてくる蔓をはねのけながら、ハールたちは荒れ谷へ入っていった。木立のあいだは想像以上に暗く、先頭を歩くアルドーの背中がうしろに続くハールからよく見えないほどだった。
それでも薄闇の果てに何かがぼんやり見え始めた。黒くしか見えない壁、あたりを明るませることなく燃えるたいまつ、そしてさらに深い闇をたたえた入り口が見えてきた。
「王子」
口をへの字に曲げたケルドーが目で脇を指した。一行を探るかのように、緑青色(ろくしょういろ)の鬼火が白い炎を曳きながら周囲を飛び回っている。やがてそれはすっと一行から離れ、前方の壁にぽっかり開いた入り口へ飛び込んだ。
真闇の中でくるくると回る鬼火の中から、ぼんやりと人影が浮かび上がってくる。絵巻物そのままのフェルスの古い宮廷服を身につけた男が、陰険なまなざしで一行を見据えた。
次回の再掲は19日(土)になります