ところが、関所でのやり取りは思いのほか難航した。
「いまどき “星見の丘” へ行きたいって? やめておけ。亡者がこの川縁まで来てるって噂を知らんのか」
熊のような番兵は腕を組んでケルドーを見下ろした。
「そうか、お前はしばらく国を出ていたな。亡者どもの勢いは激しくなる一方だ。この都には入れるはずもないが、すぐ目と鼻の先まで来ていたのを数人が見てる」
「それは噂だろ。俺は東からずっと旅をして戻ったが、亡者には会ってないぜ。南で亡者に追われた商人たちが臆病風に吹かれて、そこらの木でも見間違ったのさ」
「ともかく、だめだ。責任が取れないからな」
番兵は手を振って、テーブルに置かれた酒瓶のほうへ戻ろうとした。
「頼むよ、助けてくれよ」
ケルドーが番兵に取りすがった。
「旅先の浮気がばれちゃってさ。そりゃもう、ひどい目に遭わされたんだ。もう一度、 “ 星見の丘 ” で誓いを立て直せって、そう言ってきかないんだよ。だめとか言ったら殺される」
ヴェールの陰からハールがすさまじい目つきで睨んでいる。番兵にささやきかけるケルドーの半泣きの声は、ひとかけらも演技ではなかった。
「旅からは無事に戻ってるんだ。女は納得しない」
アルドーが口を添えると、番兵は怪訝そうに彼とヴィトを見た。
「弟はともかく、あんたが女連れとはめずらしいな。酒場女に入れあげるとも思えないが」
「愛を見つけたんだ」
真顔でアルドーがそう答えたので、他の三人は思わず息を詰まらせた。しかし、不思議なことにその言葉が番兵の心を動かしたらしい。
「そうか…、ずっと長いこと、恋人同士なら誰もがしてきたことだ。おかしな噂くらいで引いたら男がすたるよな」
番兵は肩をすくめ、
「行けよ。どうせ “ 星見の丘 ” までなら何ごともないさ。王子がうるさいんで言ってみただけだ」
と一行に背中を向けた。

ようやく外へ出た四人は、ケルドーを先頭に川縁に沿って歩いた。
「このまま進むと小さな丘があるんです。その昔、デウィンが星を見ながら遊んだ場所と言われてて、そうやって彼らが恋の相手を探したって伝説もあるもんで、恋人同士が “ 星見の丘 ” で愛の誓いを立てるのが、ここのならわしみたいになってるんですよ」
ケルドーが説明したが、ハールはドレスの長い裾に足を取られて聞いている余裕がなかった。
「いつになったらこれを脱げるのだ」
「丘を回り込まないと、関所から見えるかもしれません。今夜は明るい晩ですからね」
ハールは白銀の月が輝く夜空を仰いでため息をつき、
「これでフィニアンと追いかけっこができるとは、トゥーリッドを尊敬するよ」
同じようにつまづいているヴィトに向かって苦笑いした。






トゥーリッドの名を出したことで、ハールは預かった押し花のことを思い出した。なんとなく、すぐには渡す気になれず、コルへ帰る間際にするつもりでいる。それ自体は王城の客間に置いてきてしまったが、この機会に話しておこうかと思わないでもなかった。しかし、やはり今は気が進まなかった。

丘向こうにたどり着くやドレスを脱ぎ捨て、一行は早い足どりで南へ向かった。特にハールは、いつにも増してきびきびと動いている。
朝を待って、南街道のほとりにある宿場町で食料や馬を調達し、4人はにぎわいを欠いた大きな道を進んだ。普段ならシオールの港から荷を運ぶ商人たちであふれ、活気に満ちた流通の大動脈なのだが、亡者の噂のせいで誰もが東に迂回するようになった、商売あがったりだ、と宿場の世話役も愚痴をこぼしていた。
「噂か。このあたりで亡者を見た者はいないのか」
「いませんな。 “ 荒れ谷 ” あたりは昔からだが、うろうろしてる連中もクライグ平原が関の山だ。あそこで昔の戦争を蒸し返してるだけですよ」
その言葉を裏書きするように、照りつける初秋の日射しはどこかあっけらかんとして、何の気配も含んでいない。
「亡者のことより後ろを警戒したほうがいいか。事情はどうあれ、関所破りに違いはないからな」
「いや、大丈夫でしょう」
ケルドーが答えた。
「都を出られたってことは、王子のお考えは間違いなかったってことです。それなら、王さまが事を荒立てるはずありません。人知れずやって欲しいってことなんですから」
言われてみればもっともだった。
亡者の影も見えず、追っ手もなく、道連れになるような商隊も現れず、馬のひづめの音だけが響く街道の旅が続いた。
時には暑さが戻り、日盛りを木陰でやり過ごすこともある。飛び交う虫の羽音が聞こえ、ハールはコルにいるような錯覚にとらわれた。ヴィトを見ると、彼も同じことを考えていたらしく、やわらかい笑みを浮かべてハールを見つめている。

 

くつろいだ気分は、しかし、アルドーの低く鋭い声で吹き飛んだ。
「王子、あやしげな影が見えます」
それははじめ、緑野についた小さな黒いしみのように見えた。見る間にしみはひろがり、陰鬱な灰色の一団がこちらへ向かってきているのがはっきりした。
「クライグ平原にはまだ遠いが、亡者どもの部隊のようだな」
ハールは腰に帯びた剣に手を掛けながら言った。

 

 

 

 

くま 次回再掲は12日(土)になります やぎ座