「なぜアルドリドは王家とされるのか。君に訊ねたことがあったな。君はエアルワルド王が決めたことだ、とだけ答えた。君がそれしか答えられないのなら、それが正しいのだろう」
ヴィトは控えめに次の言葉を待った。
「ではエルナのことはどうなるのだろう。わたしはずっと疑問だった。エルナが本当にフェルス王妹ならば、アルドリドにはフェルス王家ゆかりの血が流れていることになるはずだ」
「本当に、とは」
「その血ゆえアルドリドは王族であるというのならばわかるが、なぜそのことには触れられていないのか」
ハールは身を乗り出して声を低めた。
「コルには独特の伝承があると言ったな。だが、こちらが正しいと誰にわかる? エルナの伝説もでたらめかもしれない」


「エルナってどなたなんです?」
我慢しきれなくなったように、ケルドーが訊ねた。
「ボールドリク4世とエアランの “ 王位継承戦争 ” の頃、フェルスから亡命してアルドリドの当主と結ばれたと言われる女性です。フェルス王の妹君であると伝わっています」
手短に説明するヴィトにハールは手をひろげて見せた。
「フェルス人が知らない女性だ」
「いくらフェルスの人間でも、王族すべてなんてわかりませんよ。まして160年も前の話…」
あわてて手を振るケルドーの言葉をさえぎって、
「それを知ってどうなさるのです」
アルドーがぼそりと訊ねた。常に核心だけを突いてくる、とハールは小さく笑い、
「ただの興味だった。昔から不思議だったし、外つ国へ渡ってみて、実際にいくつか違いを感じてもいたからな。だが、さすがに亡者の群れの中へ行く気はなかった。もし、ボールドリクの亡霊も他の者のように身近に現れるようになったのなら、出会いついでに訊ねてみたくはあったが」
ハールは言葉を切って三人の顔を見渡した。
「だが、わたしはボールドリク4世の幻影を見た。王城の客間からだ」
「それは…」
全員の顔に緊張が走った。
「フェルスリグは ” 護られた都 ” です。まして、うちの王さまの城に亡霊が入れるはずがない…」
ケルドーの言葉に頷き、
「あえて見せられたということだ、卓越した “ 夢使い ” どのにな」
と言ったとたん、あの夜のように亡者が集う荒れ野を近々と感じ、自分の声が遠くぼやけた。
「行かねばならぬらしい。レギン王に命じられるためばかりではない。わたしの中でも、行かねばならぬという声がする…。それすらも、王のささやきかもしれないが」

 


酒場を出てみると、いつのまにかケルドーの姿がなかった。ハールの怪訝な顔つきにもかまわず、アルドーは暗がりを選んで歩を進めていく。あやしげな宿屋の角を曲がったあたりでケルドーが追いついてきて、ハールは内心ほっとした。
レギンの意向が働いていることは疑わないが、それは表立った命令でも依頼でもない。他人がハールの思い違いや嘘だとして、勝手な行動をやめさせようと介入してくる可能性は大いにあった。それが護衛ふたりでないと言い切ることもむずかしい。
「どこへ行っていた」
思わず咎めだてするような口調になったが、
「いいものをお持ちしたんですよ」
と答えたケルドーはどこか笑いをこらえているような風情で、まったく気にしているようすはなかった。

 

 

 


「おわかりだと思いますが、もしうちの王さまにそのつもりがあれば、お城で亡霊話を持ち出して、亡者と戦う軍隊付きで王子を送り出すこともできるはずです。そうじゃないってことは、王子が何をしようと王さまは関係ない。少なくとも、表立っては関知しないってことです」
女たちの嬌声が洩れる窓を隠すように植えられた並木の脇で、ケルドーは抱えてきた荷物を解きながら言った。
「つまり、都の関所も上手くやらないと出してもらえないことになります。王さまからの通行許可証があるわけじゃないですからね」
「われわれの経験です」
アルドーが口を添えた。レギン王から個人的に夢で指令される “ 夢の護り手 ” は隠密行動が多いという。「こっそり王さまにこき使われる」と言っていたケルドーの言葉をハールは思い出した。
「というわけで、こちらです」
ハールの前にぱっとひろげられたのは、夜目にも華やかな女性のドレスだった。もはやケルドーは満面の笑みを浮かべている。
「知り合いに借りてきました。王子、そして図書の司どの、お召し替えを願います」
「なんだと」
おそらくかつて一度も出したことのない声でハールは叫んだが、
「しーっ。俺たちは関所番とも知り合いだし、そもそも正体を隠さなきゃならんのは王子です。王のお客が勝手に都を出るとなれば、騒ぎになりますよ。ヴィトさんだって、急に都を出るとなると目立ちます。それに2対2になってくれたほうがやりやすいんで、すいません」
ちっともすまながっていない笑顔でケルドーは押し返した。反論の余地はなく、しぶしぶハールとヴィトは木陰で着替えた。
「お似合いですよ」
ケルドーは楽しげに言い、愛らしいレース飾りのついたヴェールをハールの頭にかぶせた。
「おぼえてろ」
ハールはこどもじみた返事をした。派手なスカーフの陰で、ヴィトがひっそりやさしく微笑んだ。

 

 

 

 

※リーの月忌に当たるので土曜は休載します

くま 次回再掲は6日となります やぎ座