その夜、フェラリスを欠いた晩餐には出席せず、あてがわれている客間で護衛ふたりと食事を済ませたハールは、体調がよくないと言って早めに床に就いた。
ハールが王城の一室、すなわち王の保護下にいるあいだ、アルドーとケルドーは交替で家に帰ったり街へ情報収集に出たりしている。少しでも手薄のほうがいい。
しばらく眠りを装ったハールは水を飲むふりをして起き出し、何気なさそうに扉の向こうへ誰何(すいか)してみた。
「アルドーです。いかがなさいました」
「何でもない。夜中まですまんな」
そう答えて寝台へ戻り、ハールは息をこらしてケルドーが戻るのを待った。ケルドーを軽く見るつもりはないが、何度も驚かされたほど気配のないアルドーよりはかわしやすい相手と言える。
中庭に通じる、床面まである大きな窓はわざと開け放っておいた。やがて、その窓から射し込む月光が澄明さを増した頃、ケルドーが戻った物音がした。ふたりが声を低めて交わす話し声がかすかに聞こえ、すぐ静かになった。アルドーが去った気配はないが、居続けているとは思えない。
ハールはそっと身を起こし、窓から入ってくる木々のそよぎに耳を澄ませた。
そのあるかなきかの音に添うように、静かに、すばやく歩を進める。窓枠に手をかけて立ち止まり、ハールは背後の気配を窺(うかが)った。扉の向こうからは何も伝わってこない。ハールは木陰の暗がりに溶け込むように外へすべり出た。
なんとか王城を抜け出したハールは大学の坂下のにぎわう街へ向かい、大きなビールの樽をそのままぶら下げている酒場を探した。看板代わりの目立つ樽が、そこをヴィトと落ち合う場所と決めた理由だった。ほとんど大学から出ないヴィトが、うるさい酒場女たちに顔を知られていないのは助かるが、入国したばかりのハール並みにこの界隈のことを知らないのには困る。
酒場の木戸を開くと、右奥のテーブルに座るヴィトが見えた。ほっとして近づこうとしたハールの行く手を、ふらりと立ち上がった手前の人影がさえぎった。
「どいてくれ」
「まあ、まあ。一緒に飲みましょう」
その声にぎょっとして、ハールは相手の顔を見上げた。
「楽しいところへご案内するのは俺の役目ですよ」
してやったりという笑顔で、ケルドーが言った。その後ろから、無言のアルドーが目礼する。
「まいったな。いつからだ」
「初めからですよ、王子。うちの王さまを出し抜けると思ったんですか?」
ばっさり言ってのけたケルドーはヴィトの座るテーブルにどっかり腰かけた。やむなくハールも、アルドーとともに同じテーブルについた。
「で、何をなさるおつもりで? 遊べるところならいくらでもお連れしますよ」
ハールは苦笑いを刻んで、
「君の苦手な場所へ行くのだ」
とケルドーに言い返し、笑いを収めてヴィトの目を正面から見た。
「 “ 死者の砦 ” に入りたい。助けてくれないか」
「わたしには古の猛者と戦う腕などありません。お手伝いできることがあるとは思えませんが」
「だが、十の問いかけをはね返すことはできるはずだ」
ヴィトの顔色が変わった。
「なぜ、それをご存知なのですか」
「君の家の書庫で文書を見つけた。砦には門番がいて、古今の事物について問いかけてくる。答えられなければ亡者の仲間入りだが、十の問いかけすべてに答えられた者はボールドリクと面会できる。古昔の誓いによって、彼は面会せねばならないのだ」
「ええ、彼はそう誓いを立てました。問いかけを経ずに通れるのは、彼が何よりも欲する王冠を運んできた者のみ…」
「王冠」
やっと理解できる言葉が現れたとばかり、ケルドーが口を挟んだ。
「王冠って、エアランに奪われた、あれですか」
「そうです。かつて王位に就いたシオール公家の女性が、ボールドリク3世の弟に嫁いだのが始まりでした。シオールとフェルス両家の血を引くエアランのほうが尊貴だと考える勢力が現れ、王位を継いだばかりのボールドリク4世に戦いを挑んだのです」
「へえ、そんな細かいいきさつは知りませんでした。で、エアランが勝ってボールドリク4世は殺された。その時、エアランは敵の頭に紙の王冠をかぶせ、偽の王だとあざけったろくでもない野郎だって、ばあちゃんから聞いてますが」
「ばあさんは、王に向かってそんな物言いはしなかったぞ」
アルドーがケルドーを睨んだ。しかしケルドーは兄のほうを見もせず、
「その王冠はエアランがミーラントで落としちまったんですよね」
「ええ。 “ 龍戦争 ” の時、落馬した彼は底なし沼にはまってしまった。その彼を救い出したのが、居住地を “ 北の蛮族 ” に奪われ、流浪の身であった時代のイェルズの族長オルヴァンです。そして、王が取り落としたヴィンデルスピルを拾い、とっさにシルシュへ向かって投げたのがルマの族長ザガスでした」
「えっ、龍を退治したのはルマ人なんですか」
ケルドーがにぎやかな酒場でも目立つほどの大声を出したので、四人は首をすくめ、しばらく小さくなっていた。
「ドゥニアを束ねるフェルス王家としては、面目にかかわる問題です。ルマに安住の地を与える代わり、公(おおやけ)の功績は奪った。ルマをフェルス国内に置いたのも、一種の監視かもしれません」
心持ち声を低めて、ヴィトが話を再開した。
「なるほど。王子、それでターニットも、後の王もルマをそのままにしたんですよ」
船上での会話をおぼえていたらしく、ケルドーがうれしそうにハールに話しかけた。記憶力のよさに感心はしたが、ハールは答えず、口許に笑みを刻んで彼を見つめ返した。
「あっ、すいません。俺、話の邪魔をしてましたね」
アルドーがあきれたように首を振った。
明日に続きます
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