「ジルニトル殿に会ったのか」
というハールの問いに、アルドーは黙って頭を下げた。普段のハールは他人のことを聞きほじるのは好まないが、この場合は好奇心のほうが勝った。
「どのような御方だろう。それに、塔は入り口がないと聞くが、どうやって入ったんだ?」
「隠し扉があるに過ぎません。雪花石膏と透明の水晶から成り、白く輝く美しい塔ですが、住まう御方と同じく、見かけを飾ってあるだけです」
「手厳しいな」
笑い流そうとしたハールだったが、アルドーはにこりともせず、
「ミーラントで人間を見放した方です。思ったとおりの尊大な方でした」
はっきり言い切った。
「150年も前の戦争のことを兄貴が怒ることはないだろ」
からかうようなケルドーの声が、その場に立ちこめた気まずさを払った。
「人間がねずみを大事にしなかったとか、敬意を払わなかったとかいって怒るヤツはいない。デウィンにとっちゃ、そういうことさ」


「辛(から)いな、君は」
ハールは苦笑した。ドゥニア周辺の人間として、ハールも、デウィンに対する無意識の敬意や好意を刷り込まれている。といって、フェルスの兄弟の言葉を否定するほど石頭でもない。だいいち、人間がデウィンをどう評価しようと、デウィンはデウィンであり、デウィンであり続けるだけだった。

 

 

 


「ジルニトル殿以外で、フェルスの亡者に加えて西と北の蛮族をいちどきに動かせる者があるだろうか」
ハールは話を戻した。
「行方不明のデウィンがたはどうなんでしょう」
ケルドーが言った。
「 “風の賢者 ” が行方知れずになって200年は経つ。むしろ彼はドゥニアを去ったと見るべきだろう。リフィア殿も数十年前から消息がわからないというが…」
三人は顔を見合わせた。
「かの<エイル>が人間を傷つけるとしたら、世の終わりだ」


遠くで雨になったのか、ひんやりした風が吹き寄せてきた。炎が霊妙な形を描いてなびく。
「デウィンには理由が見いだせない。残るは人間だが、人間の陰謀とは思えぬ。たとえ蛮族をそそのかす巧みな口舌(こうぜつ)があり、亡者と取引できる何かを握っていたとしても、そのすべてをあやつるとなると人間の智恵で動かせる範囲を超えていると思う。人間のしわざならば、レギン王だとて見逃しはなさるまい」
考えを言葉でなぞるようにハールが言った。
「そうすると、全部をつなげて考えるのは無理があるってことですか」
「わからぬ」
偶然にしては時期がそろいすぎている。だが、龍の動向から何かを読み取ったものたちが、てんでに動き始めたとも考えられる。

「レギン王のような目を持たぬ我らには、読み解けないということだな」
手を広げて肩をすくめたハールの顔を、ケルドーが覗き込んだ。


「王子、お尋ねしたいことがあるんですが」
ハールが促し顔を向けると、ケルドーは目を輝かせ、
「先ほどおっしゃった、 “ 誕生日 ” とは何ですか」
興味津々といったようすで質問した。ああ、とハールは頷いた。

ドゥニアには誕生日を祝う習慣がないとは聞いていたが、誕生日という考えそのものがないらしい。コル島では当たり前のことが、ドゥニアでは不思議なことになるのか、とハールは面白く感じた。
「誕生の日を憶えておいて、毎年それを祝う習慣がコルにはあるのだ」
「へえ。さすが暦の国ですね。俺たち、生まれた季節はともかく、日にちまで知りませんよ」
ケルドーは面白そうに言って、なあ、というようにアルドーの顔を見た。

「暦の国、か」
コルの<グーダ>はドゥニアの誰より天文に通じているという。その知識を活かして作られる暦は精緻なもので、ドゥニアを束ねるフェルス王も、コルから届けられるこの暦をもとにして治政をおこなうのだった。

 

 

 


まさしくそのためにフェルスリグへ向かって旅をしているというのに、突然、ハールの頭裏に思ってもみなかった疑問が湧いた。
「フェルスには大学がある。多くの学者もいる。コルに任せなくとも、こうして運ばずとも、やりかたさえ学べばフェルスで暦を作れるのではないか?」
一瞬きょとんとしたケルドーが、
「無理だから、こうして運んでおられるんでしょう」
と笑った。しかしハールは真顔で首をふった。
「簡単とは言わぬ。だが、コルの<グーダ>以外にはできぬ技とも言えない。わたしもいくらかの手ほどきは受けた。その上で、たとえばバルデルのような、天文に関心を寄せている学者であればできるはずだと思うのだ」
途方に暮れたような顔つきで、
「それじゃ、何だってこんな旅をなさってるんです?」
ケルドーが問い返した。ハールにも答えはない。それが習わしであるから、今まで何の疑問も感じずにきた。むしろハールこそ、ケルドーと同じ問いを誰かに投げかけたかった。
「暦は王のものです」
アルドーが不意に言った。
「それは…」
どういう意味だと問おうとした時、暗い空を切り裂いて稲妻が走った。いきなりの突風に焚き火の炎が叩きのめされ、あたりは真闇に近くなる。三人が雷雨を覚悟して立ち上がると同時に雷鳴がとどろき、一行の上へ大粒の雨が打ちつけるように激しく降り注いだ。

 

 

 

 

くま 明日に続きます いて座